セル&ウィーン・フィルによるザルツブルク音楽祭でのオール・ベートーヴェン・プロのCDを聴いて

セル&ウィーン・フィル&ギレリスによる1969年ザルツブルク音楽祭でのオール・ベートーヴェン・プロをライヴ録音したものを聴いてみました。
曲目は、下記の3曲。
≪エグモント≫序曲
ピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:ギレリス)
交響曲第5番

この輸入盤CDを購入したのは平成10年(1998年)10月14日(水)。レコード屋に足を運んだ際に、見慣れないこのCDを見つけて、仰天したものでした。「えっ、このような録音が残されていたの!?」と。そして、喜び勇んで購入したのでした。なにせ、敬愛するセルが、ウィーン・フィルと組んだ演奏を聴くことができるのですから。℗1998の表記がありますので、発売されてすぐのことだったと思います。
セル&ウィーン・フィルによる演奏で、それまでに聴いたことがあったのは、DECCAにセッション録音していた≪エグモント≫全曲と、戦前にフーベルマンと録音していたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のみ。そこに、この3曲が加わることになる。心が躍りました。
帰宅してすぐに聴いたはずです。聴いてみてまた、大いに仰天しました。なんと熱い演奏なのだろうと。

セルによる演奏は、あまりに巧緻であるために、「冷たい」というふうに言われることが多かった。しかしながら、私は、そのように評されることに違和感を覚えていました。決してそんなことはない。セルの演奏は、実に生き生きとしていて、弾力性を持っていて、必要十分にロマンティックで、人間味のある暖かさを備えている、と捉えてしたのでした。ここで採り上げているザルツブルク・ライヴに接する15年ほど前、1980年代の前半にレコードで聴いたクリーヴランド管とのメンデルスゾーンの≪イタリア≫で、そのことを確信したものでした。
また、同じ頃にレコードで聴いたウィーン・フィルとの≪エグモント≫全曲では、燃えに燃えているセルの姿が刻まれていることに驚愕したものでした。序曲の最後の箇所(「勝利の交響曲」と名付けられているナンバーでの旋律が使用されていて、勝利を高らかに謳い上げる場面)では、うんうん唸りながら指揮をしていて、凄まじいまでの昂揚感を築き上げていたセル。
これらの体験から、セルは、熱い情熱を音楽に注ぎ込む指揮者であるという思いが、私の中で固まったのでした。

そのような認識のもとで、購入直後にこのCDを聴き始めたのでしたが、それでも、ここでのホットな演奏ぶりは、聴く前の想像を遥かに超えていたのでした。途轍もないほどに熱の籠っている演奏が繰り広げられている。逞しくて、芯が強くて、推進力が抜群。しかも、しなやかさもある。今、まさに目の前で生まれたばかりの音楽とでも言えるような初々しさが感じられもする。
ここでのセルは、それまでに聴いていたセルとは別人のようであった。しかしながら、これもまたセルの真実の姿なのだ。むしろ、こちらのほうが、「素の」セルの姿なのかもしれない。そんなふうに考えたものでした。

ところで、セルの録音を聴いてゆくと、手兵のクリーヴランド管を指揮した場合よりも、ニューヨーク・フィルや、コンセルトヘボウ管などに客演しての録音において、赤裸々な情熱が迸っているように思えます。クリーヴランド管との録音では、情熱が内側に凝縮されてゆくセルの姿が刻まれていて、客演したオケとの演奏では、情熱が外に発散されてゆく姿が示されている。そんなふうに言えるように思うのです。

さて、今回、久しぶりに当盤を聴き直したのですが、やはり、興奮ものでした。
なんと雄弁で、スケールが大きくて、熱い演奏なのでしょう。そこに加わる、ウィーン・フィルのしなやかな美音がまた、実に魅力的でもある。熱さとともに、ふくよかさを持ってもいる。
私にとって、宝物の1枚であります。