大野和士さん&都響の大阪公演を聴いて

今日は、大阪フィスティバルホールで大野和士さん&都響の大阪公演を聴いてきました。演目は、下記の通りになります。
●マーラー 交響曲第7番

都響の大阪公演は、2021年、2019年と実施されていて、1年おきに開催されているようです。ということで、私にとっては一昨年に聴いて以来の、大野さん&都響の実演でありました。
一昨年は、アホのティンパニ協奏曲と、マーラーの≪巨人≫というプログラム。そこでの≪巨人≫はと言いますと、アゴーギクの掛け方に違和感を覚えつつも、大野さんの思いの丈をぶつけていった赤裸々な演奏ぶりに「マーラーの青春の歌」を聴くことができ、大野さん&都響のコンビの充実ぶりを実感したものでした。第2楽章などでは、「奇怪さ」や「いびつさ」が強調されていて、音楽を捉える単位が短いために「パッチワーク的な面白さ」を感じもした。
そのときに続いての、マーラーを引っ提げての大阪公演。本日の7番では、どのような演奏に巡り会うことができるのだろうかと、期待に胸を膨らませながら会場へと向かいました。

聴後の満足度は、期待を大きく上回るものでした。
一言で言い表すならば、大熱演。終演後は、ホールは熱狂の坩堝という表現がピッタリなほどの盛り上がりを見せていました。そのような聴衆の反応が相応しく思えた演奏でありました。
本日の演奏会での大野さんによる音楽づくりは、壮麗にしてダイナミックなもの。そのうえで、音楽が上滑りするようなことはなく、骨格がシッカリとしていて、彫琢が頗る深かった。それはもう、生気に溢れたヴィヴィッドな音楽が、常に鳴り響いていました。
音楽は終始、骨太で、腰が座っていて、逞しい生命力が漲っていた。そのうえで、誠に鮮烈でありながら、お祭り騒ぎに堕するようなことのない、芯のシッカリとした演奏が展開されていたのであります。
表現意欲が旺盛でもありました。自在感に溢れていて、作品の呼吸を的確に掬い上げながら、この作品に織り込まれている多彩な性格を率直に、そして赤裸々に描き上げてくれていた。とりわけ、アゴーギクの掛け方が頗る自然で、そのことによって生まれる息遣いの豊かさは、見事でありました。この作品が持っている、ちょっといびつな構造を、確信を持って描き上げていた。そのような演奏であったと思います。その後に訪れる、壮大にして賑々しいクライマックスでの昂揚感も、絶大でありました。エンディングの場面での打楽器の活かし方など、誠に痛快だった。それでいて、既に触れたように、単なるお祭り騒ぎに終わらない真実味が感じられもした。それは、大野さんの、この作品への愛着の深さ故なのかもしれません。
そのような大野さんの音楽づくりに対して、都響は献身的に応えてゆく。弦楽器がトッティで圧力を掛けた弓遣いなると響きがガサガサとした感じ(潤いや艶やかさに不足していた)に思われたことと、第2楽章に舞台裏で鳴らされるカウベルの音がちょっと小さかった(もう少し、ステージに近い場所で鳴らすなり、扉の開放具合をもう少し大きくするなりしてくれていれば、良かったのかもしれません)、その2点が数少ない不満でありまして、それら以外は、精緻な合奏と言い、パワフルでありながらゆとりを持って音を奏でてゆくことによって響きに混濁がなくて余裕のあるサウンドであったことと言い、見事なオーケストラ演奏を繰り広げてくれていました。

次の都響の大阪公演は、また2年後になるのでしょうか。1年おきと言わずに、毎年来演して欲しい。そして、充実度の音楽を、大阪の聴衆に届けて欲しい。そう願わずにはおれません。