沖澤のどかさん&京都市交響楽団による演奏会を聴いて

今日は、沖澤のどかさん&京都市交響楽団による演奏会を聴いてきました。演目は、下記の3曲。
●メンデルスゾーン 序曲≪ルイ・ブラス≫
●メンデルスゾーン 交響曲第4番≪イタリア≫
●ブラームス 交響曲第3番

今季から、京響の第14代常任指揮者を務める沖澤さん。今日は、その就任披露演奏会でありました。沖澤さんの演奏を聴くのは、これが初めてになります。
メンデルスゾーン、ブラームスと、ドイツ音楽の正統的な作品で打って出てきた、この就任披露演奏会。沖澤さんと京響が、どのような音楽を作り上げてゆくのか、その方向性のようなものがよく掴めそうなプログラムとなっているように思えます。
2019年のブザンソン国際指揮者コンクールに優勝して以来、脚光を浴びている沖澤さんが、どのような演奏を聞かせてくれるのか、更には、我が街のオーケストラが新しい常任指揮者を迎えてどのようなスタートを切ってくれるのかと、胸をときめかしながら会場へと向かったものでした。

開演前に、沖澤さんによるプレトークが行われました。
滅多に実演で採り上げられることのない序曲≪ルイ・ブラス≫で幕を開けると、続く≪イタリア≫の明るい曲調は、新たに組んだコンビのスタートにはピッタリだと考えての選曲だと説明されていました。
メインのブラームスでは、「マイニンゲンの伝統」を採り入れて演奏するとのこと。「マイニンゲンの伝統」とは、ブラームス自身が指揮して交響曲第4番の初演をしたマイニンゲン宮廷楽団に残る、ブラームスがフレージングなどの指示を与えた内容が書き込まれている楽譜に基づいて演奏することを指すそうです。ブラームスは、マイニンゲン宮廷楽団をたびたび訪れていたようですので、数多くの作品についての「伝統」が残っているのでしょう。「マイニンゲンの伝統」の内容については、日本語による刊行物が無いため、日本にはあまり伝わっていないはずだが、沖澤さんは、師匠であるペトレンコが、マイニンゲンの劇場のポストに就いていた時期に「マイニンゲンの伝統」に触れているために、ペトレンコを通じて知り得たとのこと。
そのような説明を耳にして、ますます、演奏への期待が高まりました。

ところで、聴衆の入りは、8割から9割といったところだったしょうか。
京響の定期演奏会に通い始めて3年目になります。これまで、全ての定期演奏会に足を運んできた訳ではありませんが、半分以上には通っているでしょう。その中では、一番のお客さんの入りだったように思えます。これも、沖澤さんの常任指揮者就任への歓迎、今後への期待、そして、京響との門出となる演奏を直に触れたいという願望の現れだったのでしょう。
終演後の喝采は盛大なもので、ホールは大いに沸いていました。沖澤さん&京響の船出は、順風満帆だったと言えましょう。
しかしながら。。。

私には、不満の残る演奏会でありました。終演後の周囲の熱狂に大きな温度差を感じながら、一人ポツンと取り残されていた、といった感覚で席に座っていた。
沖澤さん、かなり几帳面な音楽づくりをされる方なのでしょう。それが、演奏を聴き始めての第一印象でありました。≪ルイ・ブラス≫や、≪イタリア≫の両端楽章では、そのような演奏ぶりが功を奏していたように思えたものでした。音楽が、キッチリとしたフォルムに包まれながら、程よい呼吸をしていた。
しかしながら、≪イタリア≫の第2,3楽章は、平板な音楽となっていた。第2楽章は、意識的にセンツァ・エスプレッシーヴォな演奏を目指していたのかもしれませんが、抑揚が無さすぎて、貧弱な音楽になっていた。第3楽章も、演奏意図がハッキリと掴めなかった。
いったいブラームスは、どのような演奏になるのだろうか。少し不安を覚えながら、休憩時間を過ごしたものでした。
ブラームスは、≪イタリア≫の第2,3楽章での演奏ぶりの延長線上にあるような演奏でありました。ブラームスの「うねり」が、あまり感じられなかった。
なるほど、第1楽章のコーダなどでは、テンポを上げて、激情的な音楽になろうとしていた。この際のテンポを速める素振りは、アッチェレランドが掛かったというよりも、「走った」といった感じ。同じような現象が、≪イタリア≫の両端楽章での終盤でも起きていました。テンポが速まったことによって、やっと音楽が熱を帯びてくるのですが、なんだか表面的な熱し方のように思えた。
もちろん、速めのテンポで音楽を煽る、或いは、激情的な演奏を展開する、そういったことばかりが能ではありません。ジックリとした歩みの中で、玄妙であったり清澄であったり、といった音楽世界を描き上げることも、とても大事なこと。沖澤さんは、そちらの方に比重を置いているようにも思えます。しかしながら、ただ単に声を潜めるだけでは、音楽が貧弱になる。音楽が弛緩してしまうことにもなる。声を潜めるような演奏を目指せば、より一層、音楽が緊張感をもって鳴り響いていてこそ、音楽は生きてくる。その点、沖澤さんは、音楽をシッカリと支えきれていなくて、緊張感を持った音楽とはなっていなかったように感じられたのであります。そこのところが、残念でありました。
なお、「マイニンゲンの伝統」については、「あぁ、このフレージングがそうなのだろうな」と思われる箇所が幾つも見受けられました。そこには、沖澤さんによる確乎とした意志が働いていて、このようなフレージングを採っているのだ、といった気概が感じられたものでした。また、最終楽章の展開部で、ヴァイオリンがスルポンティで弾いていた箇所があり、これも「マイニンゲンの伝統」の一つだったのかもしれません。あのスルポンティは、かなり効果的だったと思えます。

次回の沖澤さん&京響の定期演奏会は、9月に開催。それは、ベートーヴェンの交響曲第4番と、コネソンという1970年にフランスに生まれた作曲家による管弦楽のための≪コスミック・トリロジー≫という作品の日本初演を組合わせたプログラムになっています。
その演奏会では、どのような演奏に巡り会うことができることでしょうか。今日の演奏会での印象を払拭させてくれるものになることを、期待しています。