渡月橋の畔で初日の出を拝み、聴き初めとしてアバド&ロンドン響によるロッシーニの序曲集(RCA盤 1978年録音)を聴いて

渡月橋の畔へ行って、初日の出を拝んできました。
ちらほらと雲が出ていましたが、雲から顔を覗かせる初日の出も、一興でありました。次第に空が明るくなる、その変化も、雲があることで複雑なものになっていたように思えます。

そして、2025年の音楽聴き初めはこちら。アバド&ロンドン響によるロッシーニの序曲集(1978年録音)。
収められているのは下記の6曲になります。
≪セミラーミデ≫序曲
≪絹のはしご≫序曲
≪イタリアのトルコ人≫序曲
≪イギリスの女王エリザベス≫序曲
(のちに≪セヴィリャの理髪師≫序曲に転用)
≪タンクレーディ≫序曲
≪ウィリアム・テル≫序曲

中学・高校の頃から、聴き初めはこのロッシーニの序曲集にすることが多い。アバドによる晴朗で颯爽としたロッシーニの序曲に接すると、晴れやかで清々しい気分に浸ることができ、その年が素晴らしい1年になるように思えるからであります。
そのような空気感は、冒頭に収められている≪セミラーミデ≫から如実に現れています。なんと晴れ晴れとしていて、颯爽とした音楽が鳴り響いていることでありましょう。音楽が、嬉々として弾け飛んでいる。ムチのようなしなやかさを備えてもいる。そのうえで、キラキラとした輝きを放ちながら、音楽は勢いよく突き進んでゆく。
どこにも屈託のない演奏ぶり。その様の、なんと爽快なこと。ロッシーニの音楽に特徴的なクレッシェンドも、生き生きとしていて、かつ、輝かしく、聴き手をワクワクさせる効果を生んでくれている。11分を超える演奏時間を要するこの序曲は、ロッシーニによる序曲の中でも規模の大きなものに属するのですが、その規模に相応しい壮麗さが伝わってくる演奏が繰り広げられています。
更に言えば、適度にドラマティックでもあります。しかも、そのドラマティックな感興は、決して大袈裟なものではなく、ロッシーニの音楽に相応しい爽快感を伴っているのが、なんとも心地よい。
ここまで≪セミラーミデ≫序曲について語ってきましたが、演奏ぶりは他の5曲でも大きく変わることはありません。屈託がなくて、伸びやかで、溌溂とした音楽が颯爽と奏で上げられてゆく。そのうえで、例えば≪絹のはしご≫序曲では、可憐な味わいにも満ちた音楽が奏で上げられている。
そして、最後に収められている≪ウィリアム・テル≫序曲では、4つの場面から構成されている起伏に富んだこの序曲を、ドラマティックに、かつ、丹念に奏で上げてくれている。終曲の行進曲では、音楽をグイグイと畳み込んでいて、めくるめく音楽世界が描き出されており、この卓越した序曲集を輝かしく締めくくってくれることとなっています。

それにしましても、なんと素敵な演奏たちなのでありましょうか。
アバドの美質がクッキリと刻まれている、頗る魅力的なロッシーニ序曲集であります。