ベルリン・フィル八重奏団の西宮公演(シューベルトの八重奏曲 他)を聴いて

今日は、西宮の兵庫県立芸術文化センターでベルリン・フィル八重奏団の演奏会を聴いてきました。演目は、下記の3曲。
●ドヴォルザーク(シェーファー編曲) ≪5つのバガテル≫
●カウン 八重奏曲
●シューベルト 八重奏曲
樫本大進さんが率いる、と言っても良さそうなベルリン・フィル八重奏団。しかも、クラリネットにはフックス、ホルンにはドールと、ベルリン・フィルの「顔」と呼べる奏者が名前を連ねているという、なんとも豪華なアンサンブル。
そこに持ってきて、この編成のグループにとっては定番中の定番となるシューベルトの八重奏曲が演目に含まれている、垂涎ものプログラミング。
(個人的な好みを申せば、ベートーヴェンの七重奏曲であれば、もっと嬉しかったのですが。)
樫本さんとフックスが出演してのシューベルトの八重奏曲は、一昨年の10月に開催されたル・ポン国際音楽祭で聴いています。その折は、樫本さんは第2ヴァイオリンを弾いていたのですが。
但し、そこでの演奏には、満足ができませんでした。と言いますのも。
音楽に伸びやかさが欠けていたように思われた。息遣いが自然でなかった。表情に「取って付けた感」が漂っていたようにも思えた。それ故に、この作品に不可欠な屈託の無さや、天真爛漫さが薄かったように思えたのでありました。
もっと言えば、この作品に備わっていて欲しいウィーン情緒の薄い音楽が鳴り響いていた。
更には、これはクラリネットのフックスに顕著だったのですが、弱音を多用し過ぎていて、総じてか弱い音楽だという印象を生むこととなり、かつ、シューベルトに特有の歌謡性も薄くなっていた。音楽が一本調子になっていたようにも思えた。
本日は、そのような印象を払拭してくれるシューベルト演奏が繰り広げられて欲しい。そう願いながら会場に向かったものでした。
それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

まずは前半の2曲から。
緊密なアンサンブルが展開され、かつ、全てのパートから美音が鳴り響いていて、しかも、まろやかな響きに包まれていて、なんとも素敵な音楽が奏で上げられていました。そのうえで、繊細でありつつも、目鼻立ちのクッキリとした演奏となっていて、旋律線が明瞭に浮かび上がる。更には、楽器間の受け渡しも、実に滑らか。そして、自分に旋律が回ってくると、朗々と旋律を奏で上げてゆく。その様は、実に闊達なものでもありました。
冒頭のドヴォルザークは、同じ作曲家による≪チェコ組曲≫を想起させられる、哀感の漂う場面の多い作品でありました。
(その≪チェコ組曲≫の中の1曲は、テレビドラマによる「のだめカンタービレ」のチェコにまつわるシーンで、しばしば流れたものでした。)
そのような中で、最終曲は朗らかな音楽となっていた。ヴィオラ奏者が休みの際には、ウキウキとしながら身体を揺らしていたのが印象的でもあった、快活な音楽であり、明朗な演奏が展開されたものでした。
続くカウン(1863-1932)による八重奏曲は、R・シュトラウスと同時代のドイツの作曲家の手による、19世紀の後半に書かれた作品。ロマン派の流れを汲んだ音楽であり、単一楽章の作品となっていました。
曲が始まって間もない箇所でホルンが旋律を奏でた際の、ドールの威風堂々とした吹きっぷりが何とも見事で、度肝を抜かれたものでした。
そんなこんなを含めて、見事な演奏が展開されていた。危惧していたフックスの弱音の多用も、さほどのことはなく、しかも、適度な弱音が音楽をまろやかなものにしてくれていて、まずは安堵したものでした。
この演奏会のメインディッシュは、何と言いましても後半のシューベルト。前菜とも言えそうな2曲で、奏者も聴衆もウォーミングアップ完了、といったところでありましょうか。
それでは、ここからはメインのシューベルトについて。
前半と同様の演奏ぶりだったと言えましょう。すなわち、緊密なアンサンブルをベースにしながらの美演が繰り広げられていました。とても親密な演奏ぶりだったとも言いたい。
この編成による八重奏は、第1ヴァイオリンとクラリネットが旋律を奏でるシーンが多く、その2人が全体をリードするといった傾向が強い。もっと言えば、この2人のキャラクターが支配的で、全体の印象に大きな影響を与えることになります。その点、樫本さんとフックスによる演奏ぶりは見事で、頗る魅力的な演奏となっていました。
フックスは、やはり弱音を多用しながらの演奏。とは言うものの、ル・ポン国際音楽祭の時のようなワザとらしさが漂ったり、病的であったり、といった演奏ぶりではありませんでした。そのうえで、デリケートな美しさを湛えた音楽が鳴り響くこととなっていた。
更に言えば、フックスによる弱音主体の演奏によって、緩徐楽章となる第2楽章では、儚くも、天国的と形容したくなるほどの美しさがもたらされていました。それは、夢幻的な世界を漂う、といった音楽でもあった。また、変奏曲形式の第4楽章の多くの場面でも、同様の音楽世界が出現していました。
その一方で、音楽が活力を帯びて進んでゆく場面では、弾力性を帯びた音と吹き方によって、「まろやかな活気」と呼べそうな空気感を創出してくれていた。また、響きはマイルドにしてコクがあり、8人による演奏を温かく包み込むような役割を果たしてもいた。そして、吹き方や、奏で上げられてゆく音楽は、とても滑らかで、ムラがなかった。
ドイツ系のクラリネットの美質に満ち溢れた演奏ぶりだったと言えるのではないでしょうか。
もう1人の主役と見なすことのできる樫本さんもまた、艷やかな美音に支えられながら、しなやかにして自在な演奏を展開してくれていました。樫本さんは、奥床しさを持っているヴァイオリニストだと感じられることが多いのですが、同じオケのメンバーでのアンサンブルという、気心のしれた仲間達との演奏だということで、伸び伸びと音楽を奏で上げている、といった印象も強くしました。
更には、インテンポの中で音楽を微妙に伸縮させたり、抑揚を付けたり、といった表情付けも、何とも音楽的で、かつ、美しかった。その代表例として、第5楽章のトリオでのたゆたうような演奏ぶりを挙げたい。
そんなフックスと樫本さん以外の6人も、決して脇役を演じていたと言う訳ではありません。準主役として、自身に旋律が割り当てられたり、対旋律を奏でたり、といった箇所では「任せとけ!!」とばかりに、一気に主役然として振る舞う。その切り替えの鮮やかは見事なもの。名人達の集まり、と呼ぶに相応しいものでありました。とりわけ、ホルンのドールが表に出てくるシーンでは、音楽が一気に雄弁になる。もっと言えば、雄大な音楽に様変わりすることも多かった。また、あまり目立つシーンの多くないコントラバスも、ドッシリと構えながら全体を強固に支え、個性的な音の動きが現れると、シッカリと主張してゆく。そんなこんなが、とても揺るぎないもののように感じられ、演奏に安定感をもたらしてくれていました。
かように、見事な演奏が展開されてゆき、美しくも魅惑的な音楽が鳴り響いていたのですが、心の底まで魅了されたかと言えば、さにあらず。それは、シューベルトの作品ならではの抒情味が十分だったとは思えなかったが故に。屈託のなさが十分に備わっていたとは思えなかったが故に。更には、この作品に備わっていて欲しいウィーン情緒といったものが薄かったように思えたが故に。そう、この演奏は、インターナショナルな味わいを湛えたものだったと言えそう。こういった不満は、一昨年のル・ポン国際音楽祭でのシューベルトの八重奏曲の演奏から受けたものと、同種のものであります。
とても贅沢なことを言っているのは承知の上なのですが、上記の理由から、聴いていて恍惚としてこなかった。夢の世界に引き込まれたといったことにはならずに、現実世界の中で作品を追っていたのでありました。
2ヶ月後には、同じホールで、ウィーン・フィル八重奏団がシューベルトの八重奏曲を演奏することになっており、既にチケットを確保しています。その演奏が、本日の「喉の渇き」を癒してくれることになるのでしょうか。
なお、アンコールは、シューベルトの≪楽興の時≫から、最も有名な第3番を八重奏に編曲したものが演奏されました。
冒頭の旋律はクラリネットに割り当てられていて、そこでのフックスによる装飾音符の吹き方に、ちょっと難があったように思えたでのですが、総じて、可憐にして軽妙で、しかもちょっぴりアンニュイな演奏ぶりとなっていて、おもしろく聴くことができました。






