アバド&シカゴ響によるプロコフィエフの≪スキタイ組曲≫を聴いて

アバド&シカゴ響によるプロコフィエフの≪スキタイ組曲≫(1977年録音)を聴いてみました。

私個人としましては、アバドが遺してくれた夥しい数の音盤の中で最も強く惹かれるのは、1970年代から80年代の前半辺りに録音されたものであります。
この時期のアバドの演奏は、敏捷性が高くて、覇気があって、颯爽としていて、清新なものが多かった。音楽づくりがクリアで、エッジが効いていた。晴朗で、歌心に溢れていた。
とにもかくにも、勢いがあって、生気に溢れた演奏が多かった。なるほど、理知的に音楽を纏めてゆこうという姿勢をベースにしていたように思えますが、音楽が生硬になるようなことは殆ど無く、身のこなしがしなやかで、音楽は伸びやかに息づいていた。
そのような演奏ぶりに、強く惹かれるのであります。

≪スキタイ組曲≫は、ストラヴィンスキーの≪春の祭典≫を意識して作り上げられた作品であり、野趣に溢れた作品であると言えましょう。そのような音楽に対し、ここでのアバドは、隈取り鮮やか、かつ、鋭角的に奏で上げてくれている。そう、とてもクリアな音楽づくりが為されているのであります。そして、この作品に必要な「異様な緊張感」も充分に示されている。
そのうえで、音楽が存分に弾けている。溌溂としていて、小気味が良くて、疾駆感に溢れている。とてもダイナミックでもある。それでいて、音楽のフォルムが崩れるようなことはなく、巧緻であり、かつ、整然としていて、品格のようなものが感じられもする。

この作品にしては、洗練され過ぎていると言えるかもしれませんが、この作品の魅力をタップリと味わうことのできる演奏となっている。
この時期のアバドの美質が遺憾なく発揮されている、素晴らしい演奏であります。