兵庫芸術文化センターでの佐渡裕さんプロデュースオペラ2026 ≪カルメン≫(主役級を外国人歌手で固めた組)を観劇して

今日は、兵庫芸術文化センターでの佐渡裕さんプロデュースオペラ、≪カルメン≫を観劇してきました。
本年の≪カルメン≫は、全8回の公演。主役級を外国人歌手で固めた組(便宜上、A組と表記することにします)と、大半の役を日本人歌手で固めた組(こちらをB組と表記することにします)と、それぞれ4回ずつ上演されることに。一昨日、A組による上演で初日を迎え、昨日はB組による公演が持たれ、本日は、A組による2回目の公演ということになります。
なお、キャストや演出者やにつきましては、お手数ですが、添付の写真をご参照ください。

主役級の4人の中では、実演に接したことがあるのはエスカミーリョに扮するアルドゥイーニのみ。一昨年の小澤征爾音楽塾での≪コジ・ファン・トゥッテ≫でグリエルモを歌っているのを聴いています。そのグリエルモでは、威勢が良くて、しかも、朗々としていて、伸びやかで艶やかでもあり、総じて、率直な歌を披露してくれていました。となりますと、エスカミーリョも、彼にとってはピッタリな役柄なのではなかろうかと、期待が膨らんできます。
また、ドン・ホセを演じるアローニカにも期待。ここ20年ほどの間、世界中の一流どころのオペラハウスの舞台を踏んできたアローニカの歌に触れることができる。そのことに胸を躍らせたものでした。
そのような歌手陣を統率しながら、佐渡さんがどのような演奏を展開してくれるのか。そのことも、楽しみでありました。

なお、この公演の演出では、舞台をセヴィリャに設定するのではなく、赤い砂漠を舞台にドラマが繰り広げられてゆくとのこと。この手の読み替えは、私個人としましては、原作を捻じ曲げるだけといった傾向が強いように思われ、あまり納得できる舞台に巡り会ったことがありません。そのような中、本作はどうだったのでしょうか。
ちなみに、休憩は、第2幕と第3幕の間に1回挟まれただけでありました。休憩が多くなると、その分、終演時間が遅くなるため、少ないのは私にとってはとても有難い。

それでは、本日の公演をどのように観劇したのかについて、書いてゆくことに致します。

第2幕までの印象としては、セメンチュクによるカルメンが薄口に過ぎると思えてなりませんでした。あまりドギツくないカルメンも、大いに結構であります。その代わりに、格調の高さが備わっていたり、純真な女心といったものが滲み出ていたり、といったカルメンであるならば。しかしながら、前半を聴いてのカルメンは、そのようでもない。引っ込み思案、と言うのとは違いますが、前面になかなか出てこない。柔らかな歌い口を意識し過ぎている、といった印象でもあった。なるほど、初めて登場した場面では、低音を響かせていたようにも思えたのですが、その後、すぐに「ハバネラ」に入ると、ドスを効かせた低音は鳴りを潜め、その後は、第2幕が終わるまで、ほぼ封印してしまっていた。
更には、音程も不安定。そのために、カルメンという役の全体像も不安定なものとなっていた。
そのような中、第2幕の終了間近での、ホセが牢屋から釈放されて戻ってきた際に口論となるところでは、劇性の高い歌唱を繰り広げてくれていました。全体を通じて、同様の歌唱を聞かせてくれたならば、という思いを抱かずにはおれなかったものです。
しかしながら、第3幕に入ると、印象は少々変わりました。とりわけ、第3幕の「カルタ(カード占い)の歌」では、最も持ち味が出ていたのではないでしょうか。低音を効かせながら、深みがあって、かつ、情念的な表情がクッキリと出た歌となっていたのであります。押し出しの不足も、あまり感じられなかった。音程が不安定になるようなこともなかった。
この「カルタの歌」に象徴されていたように、後半の2つの幕では、前半の2つに比べると、存在感が希薄だな、といった印象は薄れたものでした。とは言いながらも、第4幕後半の、このオペラのクライマックスとなるドン・ホセとの二重唱では、今一つ気魄に不足していた。私には、ドン・ホセの気魄に押し切られていたように感じられたものでした。
総じて、タイトルロールとしての牽引力に乏しい歌唱だった、というのが正直なところであります。
さて、独唱陣で最も惹かれたのは、ドン・ホセを演じたアローニカ。輝かしくも、凛々しい歌唱を繰り広げてくれています。しかも、最大の聴かせどころの第2幕でのアリア「花の歌」では、力任せにならずに、柔らかみを帯びたリリックな声と歌を聞かせてくれて、惚れ惚れとするほどに見事でありました。
後半の第3,4幕も好調。と言うよりも、尻上がりに見事になっていったように感じられた。例えば、第3幕で、ミカエラがホセを密輸団から足を洗うようにと説得し、最後には母親が危篤だと伝えられた場面での逡巡などは、まさに凄みのある歌唱となっていた。また、最後のカルメンとの二重唱でも、輝かしくて、力強くて、張りのある声を駆使しながら、高らかに歌い上げてくれていた。
ドン・ホセは、頼りなさがありつつも、ヒロイックな役柄として成立させることも十分可能であります。そこへゆくと、本日のアローニカによる歌唱は、頗るヒロイックなものだったと言いたい。
また、マストランジェロによるミカエラも、なかなかに素敵でした。この役にしては、声が強すぎるかな、といった印象もあったのですが、十分に可憐であり、清楚だった。
とりわけ、第3幕が素晴らしかった。ミカエラにしては強めの声だということが、この幕でのアリアでは、拡がりのある歌に繋がっていた。なおかつ、ミカエラに備わっていて欲しい清冽な雰囲気にも不足はなかった。歌い口が伸びやかで、滑らかでもあった。
更に言えば、第3幕の幕尻でのホセを説得するシーンでは、声の強さが相まって、必死の形相、といったものが滲み出ることとなっていた。
聴き応え十分なミカエラでありました。
エスカミーリョに扮したアルドゥイーニは、いささか期待外れ。第2幕での「闘牛士の歌」では、威勢の良さを前面に押し出そうとするあまり、歌が上滑りしているようになっていたように思えたものでした。
しかしながら、後半に入ると、上滑りな歌唱といったものは、あまり感じられなくなった。威勢の良さを押し出すというよりも、ノーブルな歌いぶりが目立つようになった。そのうえで、第3幕でのホセとの決闘の場面では、演技のみならず歌唱においても俊敏性が感じられたものでした。
かように、主役級の4人については、おしなべて、前半の2つの幕よりも、後半のほうで充実した歌唱を繰り広げてくれていたように感じられたのは、興味深いところでありました。

ここからは佐渡さんについて。
その音楽づくりは、雄渾であったり、生気を帯びていたり、といった箇所が多く、その点では流石と思わせるものでありました。その一方で、力任せになり過ぎていたり、繊細さを欠いていたり、といったところも散見され、そのことが残念でもあった。
第1幕のタバコ工場の女工達と共にカルメンが登場し、それを周りの男たちが言い寄るシーンや、その後の女工の2つの派閥による喧嘩のシーンや、第3幕でのドン・ホセとエスカミーリョによる決闘のシーンや、といった、騒然とした箇所では、佐渡さんによるドラマティックな音楽づくりが功を奏していました。それらはまさに、逞しい音楽になっていた。
その一方で、第1幕のドン・ホセとミカエラによる二重唱の途中で、ホセの母親からの預かり物としてミカエラがホセに口づけをするシーンでは、音楽を官能で染めることに全く関心がないかのように、素っ気なく進めていたことに象徴されていたように、音楽が「むせぶ」かのように高揚することが殆どなかったところに、大きな不満を覚えたものでした。この点については、純然たる音楽としての興奮には気を配りながらも、オペラティックな面での興奮には、さして拘らない、といった姿勢で臨んでいるのかな、とも思えたものでした。
また、第2幕での、密輸団のメンバーが次の「仕事」(それは、悪事ということになりますが)の段取りについて協議しているシーンは、過度に騒がしくてセコセコとした音楽になっていた。もっと言えば、暴力的でもあった。これは、密輸団の連中が、暴力的な振る舞いをしでかすであろうことの暗示だったのでしょうか。恐らく、そのようなことを意図したのではないでしょうが、かなり乱暴な音楽になっていたように思えたものでした。このオペラはフランス音楽なのであります。しかしながら、フランス音楽が備えていて欲しい芳香からは、ほど遠いものだった。本日の佐渡さんによる演奏で、最も感心できなかった場面でありました。
なお、第3幕への間奏曲が終わった直後での、密輸団のメンバーによる重唱は、出だしから声量がかなり強くて、びっくり仰天してしまいました。あれは、佐渡さんが要求した結果なのでしょうか。独唱陣の判断によるものだとは思えないほどに、度を超えた強調ぶり(大きな声量により、このナンバーを引き立てる)であり、違和感を覚えたものでした。
また、この公演では、ナンバーとナンバーを、セリフで繋いだり、レチタティーヴォで繋いだりと、アルコア版とギロー版とが折衷された形が採られていました。そのレチタティーヴォにおいて、強音で合いの手を入れる際に、過剰なまでに強い音で「ジャーン」と鳴らされることがあって、閉口したこともしばしば。大きな音で「ジャーン」とオケが鳴ってくれると、指揮者としては気持ちが良いのでしょうが、コケ脅しのように思えてなりませんでした。
かように、感心させられる箇所も多数あったにも拘らず、あまり後味の良くない音楽作りだった、というのが正直なところでありました。

最後に、演出について。
赤い砂漠を舞台にした必然性や、そのことによる効果や、といったものが全く感じられなかった。このオペラで描かれているのは、スペインやフランスという特定の地域に閉じた昔話ではなく、今を生きる全人類に共通するメタファー(隠喩)なのだ、というのが演出家のマリアーニの考えなのだとしてプログラム冊子に紹介されていますが、砂漠を舞台にしたことが演劇として特別な意義をもたらしてくれていたとは思われず、或いは、音楽を邪魔していた訳でもなかったために、これなら、セヴィリャを舞台にしても良かったのでは、と思えた。逆に、何故ここにタバコ工場の女工が集まっているのだろう、何故ここが酒場なのだろう、何故ここで闘牛が行われるのだろう、といった疑問が湧いてくる演出だった。もっとも、途中にも書きましたように、音楽を邪魔するような演出(すなわち、演出が過剰なまでに出しゃばってくる演出)ではなかったのが、救いではありました。
とは言うものの、第4幕の幕尻でのカルメンとドン・ホセによる二重唱は、椅子取りゲームのように椅子が丸く並べられている(その数は、20個ほどだったでしょうか)中を、カルメンとホセが直径を結ぶような最も離れた場所に位置して、椅子に沿ってグルグルと回るように歩きながら二重唱を繰り広げていましたが、その際、この2人は向かい合うことがなく、ただただ椅子に沿って歩いていて、その様子は、お互いのことに無関心であるかのようだったのは、どうにも腑に落ちなかった。この2人は、切迫したやり取りをしているというのに、なぜ向かい合わずに、他人事のようにしているのだろう。更には、二重唱の後半でカルメンは、舞台に落ちているゴミを拾い始めた。これが、切迫した二重唱で見せる素振りなのだろうか。なんとも不可解な演出でありました。

縷々書いてきました。
全体的に、ちょっと焦点の定まり切れない公演だったかな、という印象を持ちましたが、その中で、アローニカによる歌唱は圧倒的でした。そのアローニカを聴くことができただけでも、足を運んだ甲斐があった、というところでありましょう。
オペラの公演は、なにか一つでも収穫があれば、それで十分なのだ、というふうに捉えていますので。

(終演後のカーテンコールの様子)