ブレンデルによるシューベルトの≪楽興の時≫と≪さすらい人幻想曲≫を聴いて

ブレンデルによるシューベルトの≪楽興の時≫と≪さすらい人幻想曲≫(1972,71年録音)を聴いてみました。

ブレンデル(1931-)は、自他ともに認めるシューベルティアンだと言えましょう。ブレンデルの、抒情性を大事にしながら、センシティブに音楽を奏で上げてゆくスタイルは、シューベルトの音楽世界に似つかわしい。
レコーディングにおいても、モーツァルト、ベートーヴェンとともにシューベルトに重点を置いていて、シューベルトの主要なピアノ独奏曲を1970年代にフィリップスに録音し、その後、同じくフィリップスに1980年代後半から90年代にかけて2度目の録音を行っているほど。今回聴きましたのは、その1回目のものに含まれている演奏になります。
ちなみに、個人的には、2回目の録音よりも1回目のほうに、より強い共感を抱いています。2回目のほうは、思索的で内省的に傾き過ぎているように思われますので。1回目の録音では、もっと率直で、かつ、逞しい音楽が奏で上げられているように受け取れるのであります。
ブレンデルの演奏は、奇を衒わない自然な美しさを湛えていつつも知的であると思います。そのうえで、1回目の録音は、必要十分な情熱や逞しさも備えている。そう、知情のバランスが頗る取れている演奏となっていると考えるのであります。

尚、2006年、モーツァルトの生誕250年の記念イヤーにザルツブルク音楽祭を訪れ、ブレンデルのリサイタルを聴いてきたのですが、その演奏会のメインはシューベルトのピアノソナタ第18番≪幻想≫でありました。と言いましても、前半・後半が逆転したようなプログラム構成となっていまして、前半の最後に、最もボリュームのあるシューベルトの≪幻想ソナタ≫が配置されています。そして、プログラム全体を、ハイドンのソナタで始まってハイドンのソナタで閉じるというように、ハイドンへの親愛の深さが示されてもいます。
この年のザルツブルク音楽祭は、モーツァルト色で染まったものとなっていました。そのような中でブレンデルは、モーツァルトのハ短調の≪幻想曲≫K.475とイ短調の≪ロンド≫K.511をプログラムに織り交ぜつつも、メインに据えたのはシューベルト。ブレンデルのシューベルトへのこだわりの大きさが痛感できるプログラムだったと言えましょう。

2006年ザルツブルク音楽祭での、ブレンデルのリサイタルのプログラム

さて、この音盤での演奏についてであります。
とても暖かみのある演奏であります。
研ぎ澄まされた、というよりも、丸みを帯びている演奏。全く硬質な感触はなく、柔らかい。剛毅さはなく、優しさに包まれた音楽となっている。
いわば、ポリーニとは対極にあると言えるような演奏。そう、ポリーニのようなスリリングな要素をここに求めても、それは叶わない。
なぜポリーニを引合いに出したのかと言いますと、私のとっての≪さすらい人幻想曲≫のベスト盤がポリーニに他ならないからであります。息をもつかせないほどに、疾風怒濤の如く劇的に弾き切っている、そして、なんともシンフォニックでもある、ポリーニによる≪さすらい人幻想曲≫。それはもう、聴いていて手に汗を握るような演奏となっている。
そこへゆくと、ブレンデルによるシューベルトは、随分と温厚であります。もちろん、強弱や、硬軟のコントラストはキチンと付いています。例えば、≪さすらい人幻想曲≫の終曲では、壮大なクライマックスが築かれている。そして、全編を通じて強く認められる重層的な構成感にも不足は感じられない。
それでもやはり、概してソフトなのです。そして、冒頭に書いたように、暖かみに溢れていて、丸みを帯びている。しかも、音色は珠のように美しい。
これらのことは、≪楽興の時≫にも≪さすらい人幻想曲≫にも当てはまりましょう。どちらかと言えば、≪楽興の時≫のほうが、ブレンデルの体質に合っているようにも思うのですが。
そのような中でも、例えば、≪さすらい人幻想曲≫の第2部(ここは、歌曲≪さすらい人≫の旋律が用いられている箇所になるのですが)での感傷的でかつ慈しみに溢れている楽想では、胸に深く染み入る演奏となって、ここでのブレンデルによる≪さすらい人幻想曲≫の白眉であると考えます。第2部から第3部にかけての重層的な連なりも見事に、かつ美しく表されている。
≪楽興の時≫は、全曲を通じて認められるブレンデルのセンシティブな演奏ぶりが、この作品にはとても適しているように思えます。思索的で内省的な演奏ぶりが過剰なものとなっておらずに、インティメートな美しさを湛えている。そのうえで、この曲集の中で最も壮麗な音楽となっている第5曲目では、音楽をがなり立てない範囲で充分なる逞しさが与えられている。そのような演奏ぶりに対して、珠のように美しい響きが加わることによって、この佳曲の魅力が一層引き立っている。

全体を通じて、安心してシューベルトのピアノ音楽の世界に身を浸すことのできる演奏になっていると言えるのではないでしょうか。
≪さすらい人幻想曲≫も含めて、このようなアプローチも素晴らしいですよね。そして、その結果として、とても魅惑的な音楽世界が広がっているのであります。