オイストラフ&セルによるブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴いて

オイストラフ&セル&クリーヴランド管によるブラームスのヴァイオリン協奏曲(1969年5月録音)を聴いてみました。
セルが亡くなる前年の録音で、オイストラフは丁度60歳であった時の録音、ということになります。

オイストラフ(1908.9.30-1974.10.24)は、ロシア帝国のオデッサ(現:ウクライナ)出身のユダヤ系のヴァイオリニスト(以上、Wikipediaより転載)でありますが、終生、西側に亡命せずに演奏活動を行っていました。と言いつつも、たびたび西側に出向いていまして、西側で活躍していた多くの演奏家と共演しています。ここに刻まれている演奏も、その中の一つ。
ちなみに、1974年にアムステルダムで演奏旅行中に客死、遺体はモスクワに送られ、同地で埋葬された(Wikipediaより転載)とのことです。
オイストラフによる演奏の特徴は、峻厳で凝縮度や緊張度が高く、かつ、骨太で強靭な音楽が紡ぎ上げられているとともに、潤いがあって豊麗で、しかも甘美でもある演奏を繰り広げていたところにある、と言えるのではないでしょうか。そのために、堅固でありつつも、感覚的な美しさも備えている演奏が多い。

さて、ここでのセルと共演したブラームスの協奏曲についてであります。
実に集中力の高い演奏であります。更に言えば、毅然としていて、精悍で、そして、とても熱くもある。これらのことは、ヴァイオリンにも、指揮にも、オーケストラにも当てはまりましょう。
まずもって、オーケストラによる長い序奏の、なんと充実していることでありましょうか。こけおどしなところや、効果を狙うようなところは全く感じられないうえで、実に壮健な音楽が奏で上げられている。キリっと引き締まっていながらも、壮麗でもある。そして、とても凛々しい。
そのようなセル&クリーヴランド管による序奏部が提示されたうえで、オイストラフは決然として入ってくる。峻厳にして、ドラマティック。そして、鬼の形相を見るかのような趣きがあり、気魄の籠り方が尋常ではない。緊迫度が頗る高くもある。
その入りの部分が過ぎた後に、独奏ヴァイオリンによって第1主題が明確な形で示されるのですが、その箇所でオイストラフが奏で上げている音楽の、なんと甘美なこと。それまで見せていた厳しい表情との隔絶の、なんと大きなこと。
ここでの演奏は、以上で綴ったことが交錯しながら進められてゆく。そんなふうに言えるように思えます。すなわち、壮健で凛々しく、峻厳で緊迫感の強い音楽でありつつも、頗る甘美でロマンティックでもある。そのような音楽世界が並立している演奏。そして、とても精力的で緊密な音楽が展開されてゆく。オイストラフは、ときに弓を激しくぶつけ、激情的でかつ彫りの深い音楽を響かせもする。しかも、全く美観を損ねることなく。
更に言いたいのは、どこにもハッタリがなく、誠実さの滲み出ている演奏であるということ。そのような中から、純粋なる「美」が現れてくるような演奏となっている。とても高潔でもある。
そのうえで、演奏全体から、成熟度の高さのようなものが感じられてくる。激しくありつつも、馥郁とした薫りが漂ってくる。揺るぎない堅固な音楽が掻き鳴らされていて、貫録豊かでもある。

聴いていて惚れ惚れしてきます。胸が熱くなってきます。
いやはや、なんとも見事な演奏であります。