沖澤のどかさん&京都市交響楽団による演奏会(ソリストにシュタインバッハ―を迎えて)の第2日目を聴いて

今日は、沖澤のどかさん&京都市交響楽団による演奏会の第2日目を聴いてきました。演目は下記の通り。
●レンツ ヴァイオリン協奏曲(独奏:シュタインバッハ―)~日本初演
~休憩~
●タイユフェール ≪小組曲≫
●ラヴェル ≪マ・メール・ロワ≫組曲
●デュカス ≪魔法使いの弟子≫

前半に組まれているヴァイオリン協奏曲は、1965年にルクセンブルクに生まれ、1990年よりオーストラリアのシドニーに在住しているジョルジュ・レンツによる作品。本日のソリストでもあるシュタインバッハ―の依頼によって作曲され、2023年4月にシドニーで初演されたようです。今回の京響の定演が日本初演となります。
シュタインバッハ―による実演は、直近では2年前にメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴いていますが、そこでは、音色の美しさと言い、テクニックの確かさと言い、ニュアンスの細やかさと言い、唖然とさせられるほどに見事な演奏を繰り広げてくれたものでした。基本的には繊細な表情付けによって、作品を描き上げていった。本日も、そのようなヴァイオリン演奏に巡り会えることだろうと、大きな期待を抱いていたものでした。
後半は、フランスの作曲家による管弦楽曲が3曲並べられています。
およそ1年半前の2024年1月、沖澤さんは京響の定期演奏会でオール・フランス物プロを演奏していますが、そこでは、沖澤さんならではの几帳面な音楽づくりをベースにしながらも、色彩感に溢れていて、かつ、生気に満ちた演奏を繰り広げてくれていました。とても鋭敏な演奏となってもいた。そんなこんなによって、フランス音楽との相性の良さを痛感させられてものでした。本日の3曲でも同様の演奏を展開してくれることであろうと、こちらも楽しみでなりませんでした。
なお、最後に演奏されるのが≪魔法使いの弟子≫というのも、なんともオツなものですよね。気が利いていて、オシャレでもあります。プレトークで沖澤さんも、「我ながら、良いプログラムが組めたなぁ」と自画自賛されていました。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて書いてゆくことに致します。

まずは、前半のレンツからになります。
初演者でもありますシュタインバッハーによる独奏は、誠に自信に溢れたものだったと思えました。複雑な造りをしている作品となっていて、さすがに譜面を見ながらの演奏ではありましたが、自在感にみちていた。そのうえで、音楽の肉付きがとても良かったと感じられた。かなり先鋭な世界が広がってゆく音楽ではありましたが、変に尖り過ぎるようなことがなく、ふくよかさや、潤いのあるヴァイオリン独奏を繰り広げてくれていたのであります。更に言えば、響きが艷やかでもあった。
そのような演奏ぶりによって、精妙にして、多彩な音楽を奏で上げてくれていました。適度に緊迫感が高かったものの、神経質になるようなことはなかった。プレトークで沖澤さんは、シュタインバッハ―のことを「一言で言えば完璧なヴァイオリニスト。それでいて、音楽が冷たくなるようなことはなく、むしろ暖かさを備えている」といった風に評していましたが、まさにそのような演奏ぶりが展開されていたと言いたい。
なお、冒頭では独奏ヴァイオリンは舞台裏で弾き始めたり、別働隊のヴァイオリン群が3階の客席後方で音楽を奏でたり、更には、編成の中にエレキギターが入っていたり、ヴィオラが箸で譜面台を叩いたりと、かなり手が込んでいまして、ユニークな音楽世界の広がる作品となっていました。その分、演奏効果の上がる作品にもなっていたよう。そのような作品を、沖澤さんは、敏捷性の高い演奏ぶりで独奏ヴァイオリンをサポートしていたと言いたい。彼女の指揮を見ていますと、「今、音楽がどのように進もうとしているのか」ということがよく理解できもした。以前にも、彼女の指揮する現代音楽を聴いて感じたことなのですが、この手の作品に対する適応性の高さを、ここでも痛感できたものでした。
ソリストアンコールは、クライスラーによる無伴奏ヴァイオリンのための小品でした。
こちらでもシュタインバッハーは、艷やかでまろやかな美音を駆使しながら、高い技巧性を披露してくれていました。しかもそれが、少しもアクロバティックにならない。音楽が豊かに息づいていた。
シュタインバッハ―の音楽性の豊かさがクッキリと現れていた、見事なアンコールでありました。

それではここからは、後半の3曲について。
まずもってタイユフェールの演奏でオシャレな音楽世界が広がっていて、感心させられました。ディヴェルティメントと呼んでも良さそうな軽妙な音楽で、その辺りの軽やかさや、肌触りのソフトさや、といったものが感じられる演奏となってもいました。
続く≪マ・メール・ロワ≫の第1曲目は、センツァ・エスプレッシーヴォで醒め醒めと開始され、グッと惹きつけられました。しかしながら、本日の沖澤さんによる演奏に納得できたのは、ここまで。これ以降のナンバーでは、踏み込みの浅さのようなものが感じられて、失望感にさいなまれたものでした。
なるほど、この作品は、あまり捏ねくり回すと壊れてしまいそうな、繊細な音楽だと言えるかもしれません。とは言うものの、この日の沖澤さんによる音楽づくりは、なんだか靴の上から足を掻くような、もどかしいものに感じられてならなかった。もっと言えば、音楽が生き生きと息づいていなかったように思えたのであります。
例えば、第3曲目の「パゴダの女王レドロネット」での木琴は、乾いていて鮮やかな音が欲しいところでありますが、柔らかめのバチを使うよう指示していたのでしょうか、鮮烈さに欠けたものになっていて、音がクッキリと立ち上がってこなかった。また、同曲の中間部では、音楽が押しては引くような波が欲しいところなのですが、そのような息遣いが殆ど感じられない平板なものになっていた。そのような中でも、「美女と野獣」の後半でしばしば現れるアッチェレランドはシッカリと表現されていて、ここに関して言えば不満を感じるようなことはありませんでした。それだけに、このような態度で、全編において演奏を繰り広げて欲しかったと、という思いが湧いてきました。「やればできるのに」とも思え、悔しくもあった。
終曲の「妖精の園」では、厳かな雰囲気で包み込もう、といった意図が感じられ、それは大いに賛成したいところでありました。しかしながら、このナンバーに必要と思われる、遥かなる地平線が広がってゆくような音楽世界は出現しなかった。プレトークで、沖澤さんは「自分の葬式で掛けてもらいたい音楽の候補の一つが、この終曲になります」と語っておられていて、思い入れの強いナンバーであるのは間違いなさそうですが、エレガントで優しさに満ちた壮麗さ、といったものが感じられなかったのが、私には不満でありました。
さて、最後に演奏された≪魔法使いの弟子≫でありますが、こちらも、私には不完全燃焼に終わる演奏となっていました。
ちなみに、昨年の2月に柴田真郁さん&大阪響による演奏会で、メインにラヴェルの≪子供と魔法≫を据えて、前半には≪魔法使いの弟子≫と≪マ・メール・ロワ≫組曲を演奏するという、本日に似たプログラムを聴いているのですが、そこでの≪魔法使いの弟子≫は、鮮明にして、鮮烈な音楽が鳴り響いていたものでした。音楽の洪水に身を置く、といったものでもあった。更に言えば、アグレッシブでスリリングであり、ドラマティックな演奏だった。それはまさに、この作品の面白さがストレートに伝わってくるものでありました。
そこへゆくと、本日の沖澤さんによる演奏は、随分と面白みを欠くものとなっていました。とりわけ、最初にクライマックスを迎えた場面でトランペットを抑えていたのは、理解に苦しみました。なぜ、もっと面白がって演奏しないのだろうか。なるほど、その後に同じ音型がトランペットとホルン(だと思われた)によって奏でられる形でシーンが再登場し、そこはシッカリと強奏させていましたので、そこのために取っておいたのかもしれません。しかしながら、このような小細工を施さなくても良いのに、といった感慨を抱いたものでした。
そのようなこともあって、今一つ心から楽しむことのできない≪魔法使いの弟子≫でありました。沖澤さんならでは几帳面さはシッカリと感じ取ることができ、全体が破綻するようなことは皆無だった。それなりに、音楽の息遣いは豊かでもあった。それでいて、全体的に硬さの感じられる演奏だったと言えそう。頭で考え過ぎていた演奏だったと言うべきかもしれない。或いは、詰めの甘い演奏になっていたように思えた。
ここのところ、沖澤さんによる演奏には感心させられることが多かったのですが、「アレっ、今日はどうしたのだろう」という思いを胸に帰路に就いたものでした。今年38歳になる沖澤さんは、まだ若手から中堅に差し掛かった、といったところでしょうか。このようなことを繰り返しながら指揮者として成熟してゆくのでありましょう。