アルミンク&兵庫芸術文化センター管弦楽団+木嶋真優さんの演奏会を聴いて

今日は、兵庫芸術文化センター管(通称:PACオケ)の演奏会を聴いてきました。
もともとはミヒャエル・ザンデルリンクが振ることになっていたのですが、コロナ陽性となり来日が不可になったため、代役でアルミンクが指揮台に登壇することに。
演奏された曲は、下記の3曲でありました。
●J・シュトラウスⅡ世 ≪こうもり≫序曲
●ハチャトゥリアン ヴァイオリン協奏曲(Vn独奏:木嶋真優さん)
●ベートーヴェン 交響曲第7番

M・ザンデルリンク(1967年生まれ)は、ドイツ生まれの名指揮者クルト・ザンデルリンク(1912-2011)の息子さん。異母長兄のトーマスと、同母兄のシュテファンも指揮者として活動しています。ザンデルリンク一家の音楽の才能、凄まじいですよね。M・ザンデルリンクの実演は、今回が初めてになるところでありましたので、その機会を逃すこととなり、なんとも残念でありました。
アルミンク(1971年生まれ)は、ウィーンに生まれ、ウィーン国立音楽大学で学んだ指揮者。生粋のウィーンっ子ということになります。1997,99年にはザルツブルク音楽祭に出演しているとのこと。2003-2013年の10シーズン、新日本フィルの音楽監督を務めており、日本の聴衆には馴染みの深い指揮者の一人だと言えましょう。私も、東京に在住していた2010年前後に、新日本フィルとの演奏会を10回近く聴いています。あれから約10年が経過。どのような演奏に出会えるのか、楽しみでありました。
一方、木嶋真優さんを聴くのは初めて。ハチャトゥリアンを得意にされているようですので、こちらも大いに楽しみでありました。と言うよりも、M・ザンデルリンクが出演しないことを家を出発する前に知ったため、「一番の楽しみは木嶋さん」という状況で、会場へ足を運んだものでした。

さて、本日の演奏についてであります。まずは、≪こうもり≫序曲から。
この序曲の冒頭は、あたかもシャンパンのコルクが弾け飛ぶかのような快活さが欲しいと考えています。そもそもが、≪こうもり≫は、シャンパンを讃えるオペレッタであると看做しておりますので、そのような連想が起こります。私の結婚式では、乾杯の音頭の後に、この序曲の冒頭を流し、雰囲気を盛り上げたものでした。
本日の演奏では、冒頭部分での快活さは申し分ありませんでした。音楽が精彩を放っていて、弾け飛んでいた。「おっ、これは!!」と思わせるに十分な出だしでありました。
その後も、しばらくは、音楽はしなやかに進んでゆく。流れが自然で、作品との間に齟齬が無い。流石は生粋のウィーンっ子による指揮だと、ワクワクしながら聴いていました。ところが、次第に、推進力に乏しいように思えてきた。もっと前に進んで欲しいというところで、音楽が前に進まない。動きが鈍いというのは言いすぎなのですが、敏捷性が薄い。それは、カルロス・クライバーによる≪こうもり≫序曲が備えていた敏捷性。
この曲は、クライバーの演奏を知ってからというもの、ハードルがかなり高くなっています。ちょっとやそっとの演奏では満足できない。「クライバーの呪縛」とでも言いたくなります。本日の演奏もまた、その呪縛によって満足できずに、跳ね返されてしまった。そんなふうに言えそうです。
クライバーの呪縛を解いてくれた演奏は、これまでに一つだけであります。それは、2012年の新年早々、1月4日にウィーン国立歌劇場での全曲上演を観劇した際の、ウェルザー=メストが指揮した演奏。それはもう、活力に満ち、躍動感と柔らかい音色に包まれていて、眩いまでに魅惑的な音楽でありました。序曲が終わると、隣に座っていた女性が思わず“Schön”とつぶやいていたのも、印象的でありました。あのときの≪こうもり≫序曲は、ナマで接していることも加味されて、クライバーを凌駕する感動を味わえたものでした。
≪こうもり≫序曲は、それなりに楽しめたものの、不完全燃焼といったところではありましたが、次の木嶋さんによるハチャトゥリアンは、文句なしに楽しめる演奏でありました。それはもう、圧巻の演奏だった。
この作品は、律動感に溢れた音楽となっています。エキゾティックな雰囲気を湛えていて、野性味を備えてもいる。そのような性格を、木嶋さんは、鮮やかに描き切ってくれていた。体当たり的に作品にぶつかっていて、気魄の籠った演奏となってもいた。その気魄たるや、何かが木嶋さんに憑依しているかのようでもありました。まるで、シャーマンが奏でる音楽のようにも感じられた。洗練とは懸け離れたプリミティブな曲想が、原始的なイメージへと連なり、このような発想が浮かんだのでもありました。更に言えば、ポニーテールを振り乱しての演奏ぶりがまた、その感を強めてもいた。
細かでリズミカルなパッセージが頻発するこの曲を、高い技巧に支えられながら、機敏に奏で上げられてゆく木嶋さん。その様は、まさに痛快。しかも、妖艶で、エキゾティックな雰囲気にも全く不足はない。体当たり的な演奏でありつつも、美観を損ねるようなことはなく、艶やかで輝かしい音楽が奏で上げられていた。
快刀乱麻たる演奏ぶり。いやはや、なんとも見事でありました。
そのような木嶋さんをバックアップするアルミンクは、端正さが前面に押し出されていつつ、必要十分にリズミカルで、ダイナミックで、スリリングな演奏ぶりで、快演を繰り広げる木嶋さんをシッカリと支えてくれていました。

休憩を挟んで、メインのベートーヴェンへ。
端正であり、かつ、逞しさを備えた演奏でありました。充分に熱気を帯びてもいた。
いわゆる旧来型の演奏で、先鋭的になったり、エキセントリックであったり、というところのない、円満な演奏だったと言えそうです。必要以上に驀進することもなく、音楽をたっぷりと鳴らしていた。更には、ほぼ全てのリピートをカットしていた(リピートしたのは第3楽章の最初のみで、第3楽章の1回目のトリオに入る前のリピートもカットされていた)ことも、「旧来型」という印象を強めることとなっていた。
そのうえで、この作品が持っている舞踏的な性格も、シッカリと描き出されていた。そう、音楽は充分に弾んでいて、運動性を備えた演奏が繰り広げられていたのでありました。生命力に満ち、充実感たっぷりの演奏であった。最終楽章の最後も、過度に煽るようなことはしていなかったものの、音楽の内側からエネルギーが噴出するような演奏となっていて、充分な昂揚感を築いていた。
聴き応え十分な、素晴らしいベートーヴェンの7番でありました。このような演奏に接すると、更にアルミンクを聴きたくなります。

ところで、本日のプログラミング、脈絡の無い作品が並んでいるなぁと思っていたのですが、「舞踏的な性格」を持った音楽という共通点で括っているのかもしれません。アルミンクは代役だったため、アルミンクの発案によるブログラム構成でないことは明らかなのですが、ベートーヴェンの7番を聴いているうちに、「舞踏的で括れそう」と感じ取れたのでした。