カザドシュ&シューリヒト&ウィーン・フィルによるモーツァルトのピアノ協奏曲第27番を聴いて
カザドシュ&シューリヒト&ウィーン・フィルによるモーツァルトのピアノ協奏曲第27番(1961年 ザルツブルク音楽祭ライヴ)を聴いてみました。
清らかで、気品に溢れた演奏が繰り広げられています。
息遣いは自然で、作為的な表現は微塵も感じられません。それどころか、高潔であり、ストイックな雰囲気すら感じられる。それでいて、可憐で、優美でもある。浮かれたところは皆無でありつつ、愉悦感が滲み出ている。深遠にして、天衣無縫でもある。
これらのことは、カザドシュのピアノにも、シューリヒトの指揮にも、共通して窺えます。
しかも、カザドシュの奏でるピアノは、珠を転がすように美しい。
そのうえで、ここでのウィーン・フィルは、いつにも増して古雅で鄙びた響きをしていて、そのことによって、暖かみと憂愁とを同時に身に纏っているような音楽が鳴り響くこととなっている。
そのような演奏によって、このモーツァルト最後のピアノ協奏曲から、底光りするような光が放たれることとなっている。頗る懐が深くもある。澄み切った音楽世界が広がっているにも拘らず、愁いを帯びてもいる。
この作品の音楽世界に、グッと引き込まれてゆく演奏。
カザドシュ&シューリヒト&ウィーン・フィルという組合せの魅力に満ちた、なんとも素敵な演奏であります。