葵トリオの演奏会を聴いて
今日は、京都青山音楽記念館で葵トリオの演奏会を聴いてきました。
会場の京都青山音楽記念館・バロックホールは、客席数がちょうど200。こじんまりとした、室内楽にはうってつけの規模だと言えましょう。
ここのホールに来たのは初めてのこと。最初のうちはちょっと残響があり過ぎるかなと感じられたのですが、聴いているうちに耳が慣れてきて、残響の豊かさが心地よく感じられるようになりました。そして、演奏者の息吹を生々しく感じ取ることができ、この規模のホールならではの醍醐味を味わうことができた。
葵トリオは、2016年に結成され、2018年に開催された第67回ミュンヘン国際音楽コンクールのピアノ三重奏部門で優勝したグループ。彼らの演奏を聴くのは、全くの初めてであります。
独墺ものの王道を行くような作品を採り上げて組まれた本日のプログラム。それだけに、ごまかしの効かない作品ばかりが並んでいるとも言えそう。彼らの音楽が如何なるものなのかを窺い知ることのできる格好の演目であると思えます。
未知の、そして、実力の高そうな、若手のトリオによる演奏に触れることができることに、期待に胸を膨らませながら会場へと向かいました。
本日の演奏会を聴いての葵トリオの印象、それは、極めて燃焼度の高い演奏を奏で上げるグループであるな、ということでありました。
演奏全体に気魄が溢れている。そして、3つの楽器の音が重層的に重なり合う様は、とても3つの楽器による音楽であるとは信じがたいような分厚い響きで敷き詰められてゆき、壮観でありました。聴いていて、血の騒ぐ音楽となっていた。このことは特に、シューマンでの作品と、アンコールで演奏されたブラームスのピアノ三重奏曲第2番の最終楽章において顕著であったと思えます。音楽に内蔵されている熱気がフツフツと湧き上がってくるような、もっと言えば、あたかもマグマが噴き出すような瞬間を随所に見ることができた、そのような演奏でありました。情熱的で熱狂的で、うねりを存分に感じさせてくれた演奏。そのことによって、シューマンらしい世界を、そしてブラームスならではの世界を、存分に描き出してくれていたのでありました。
更に言えば、3人それぞれから、音楽性の豊かさが感じられた。違う言い方をすれば、演奏における「引き出し」の多いトリオであると感じられたものでした。
確かに、基本的には元気の良さを前面に押し出しながらの演奏ぶりでありました。外連味のない演奏ぶりであったとも言えましょう。そのような演奏ぶりに加えて、柔軟性を備えた演奏でもあった。そう、柔らかな響きから強靭な演奏ぶりまで、あるいは、静謐な音楽世界の表出や抒情的な音楽づくりから力感に溢れた演奏ぶりまで、彼らの演奏の幅は頗る広かった。しかも、それが作品の性格に完全に寄り添ったものとなっていた。このことは特に、モーツァルトの作品で強く感じられました。モーツァルトならではの愉悦感や明朗さや伸びやかさや、更にその先に備わっている優美さや、といったものをシッカリと感じ取ることのできる演奏となっていたのでありました。
これら、私が感じた葵トリオの特質を生み出していった要因としましては、パッショネートな性格においてはヴァイオリンの小川さんに依るところが大きいように思え、音楽に柔らかさをもたらしてくれる部分については、ピアノの秋元さんとチェロの伊東さんに負うところ大きいように思えたものでした。
葵トリオの3人は、秋元さんは兵庫県の生まれで、小川さんと伊東さんは奈良県出身であるというように、チラシにも書かれているとおり「関西発」のグループ。既に全国区になっており、かつ、国際的な活動も積極的に行っているようですが、今後も、関西においても頻繁に演奏会を開いてくれることを希望せずにはおれません。