インキネン&兵庫県立文化センター管弦楽団(通称:PACオケ)による演奏会を聴いて

本日は、インキネン&兵庫芸術文化センター管弦楽団(通称:PACオケ)の演奏会を聴いてきました。

プログラムは、下記の通りであります。
●シベリウス ≪フィンランディア≫
●シベリウス ヴァイオリン協奏曲(独奏:川久保賜紀さん)
●ストラヴィンスキー ≪春の祭典≫

インキネンは、先月、日本フィルとの九州公演(九州の9つの都市での演奏会)を指揮する予定でありましたが、コロナの感染拡大に伴う入国措置の影響で来日できず。そのため、今月のPACオケでの登場も無理なのだろうと諦めていただけに、予定通りに出演してくれたことに驚いたものでした。
インキネンを聴くのは、今回が初めて。おそらく、音盤や、youtubeなどのソースを通じても、聴いたことはないはずであります。
フィンランド生まれのインキネンは、自国の作曲家であるシベリウスを得意としているようです。前半に、そのシベリウスを2曲、そして、後半には指揮者のポテンシャルのようなものを窺い知ることができると言えそうな≪春の祭典≫を持ってきている本日の公演は、インキネンを知るには格好のプログラムなのではないだろうかと、期待をしながら会場に向かったものでした。
演奏会を聴き終えての感想、それは、インキネンという指揮者は、とてつもない魅力を持っている指揮者だな、ということ。

兵庫県立芸術文化センターのホール前の様子(昨年の9月に撮影したものになります)

それでは、個々の演奏から受けた印象について、具体的に綴っていきたいと思います。まずは、≪フィンランディア≫から。
いやはや、超絶的に素晴らしかった。こんなにも、作品に肉薄した演奏は(それは何も、≪フィンランディア≫に対する演奏に限っての話しではなく、全ての音楽作品に対して、演奏家がその音楽を再現するに当たっての姿勢や、そこから生み出される演奏についてのことであります)、滅多に接することはできないのではないだろうな。そんな思いを抱きながら聴いていました。
≪フィンランディア≫という作品が持っている生命力を的確に、そして、鮮やかに表出してくれていた。この作品が持っている音楽世界を、逞しく、かつ、克明に描き上げていた。ドラマティックに、そして、自然に。そう、この演奏のどの箇所からも、「こけおどし」的な要素は感じられなかった。心からの共感から生まれてきた演奏が繰り広げられていた。そんなふうに思えてなりませんでした。
序奏の部分から、分厚くて、雄渾な音楽が鳴り響いていました。地の底から音楽が湧き上がってゆくような演奏ぶり。その様は、壮絶なものがあった。それでいて、決して重苦しくなり過ぎることはなく、明快な音像が結ばれてゆく、そのような演奏ぶりであった。
そのような音楽がムクムクと膨れ上がり、主部へと流れ込んでゆく。その呼吸の、なんと自然なこと。
主部では、快活に音楽は進められた。歓びの弾けているような演奏ぶりだったとも言えそう。そして、壮麗な音楽世界が広がってゆく。とは言うものの、単なるお祭り騒ぎになるようなことはない。外へ向かって発散されるエネルギーは絶大でありつつも、内側に音楽がギュッと凝縮されてゆく力も充分に感じられる演奏であった。
そして、『フィンランディア讃歌』とも名付けられている中間部分の「祈り」の場面での、厳粛な歌いぶりの、なんと素晴らしかったこと。
この10分足らずの作品が、実に劇的に、情感濃やかに、そして充実感いっぱいに奏で上げられていった、素晴らしい演奏でありました。
この≪フィンランディア≫を聴いただけで、インキネンに脱帽したものでした。この後の≪春の祭典≫では、更に大きな「音楽を聴く歓び」が与えられるのでありますが。

その≪春の祭典≫について触れる前に、シベリウスのヴァイオリン協奏曲について、少しだけ書くことにしましょう。
ここでも、インキネンの指揮は、実に的確なものでありました。
まずもって、呼吸が頗る自然。独奏者の川久保さんによるソロの邪魔をするような素振りは全く見せずに、誠実に音楽を奏で上げていた。しかも、作品のツボをしっかりと押さえながら。インキネンの音楽性の豊かさを、存分に感じ取ることのできる演奏ぶりでありました。
そのようなインキネンに支えられながらの川久保さんのソロでありますが、一言で言えば、酷かった。聴いていられなかった、というのが正直なところであります。
私の耳には、川久保さんは、この曲を弾きこなせていなかった、というふうにしか聞こえなかった。指や弓の追い付いていない箇所、そして、音程の怪しい箇所(もっと言えば、音がシッカリと取れていなかった箇所)が散見されたのでありました。この曲は、数あるヴァイオリン協奏曲の中でも技巧的に難易度の高い作品であると言われています。そのように評されることを痛切なまでに理解することのできる演奏であったと言わざるを得ません。しかも、技巧的に難があっただけでなく、音楽表現がとても控えめであった。それは、繊細な音楽づくりだったと言えるようなものではなく、ひ弱な演奏であったと、私には思えたものでした。
本日の演奏会、インキネンがあまりに見事であっただけに、残念でなりません。

さぁ、それでは、メインの≪春の祭典≫について書くことにしましょう。これがまた、超絶的に素晴らしかった。鮮烈で、緻密な演奏でありました。
全体的に、キリっと引き締まっていた演奏だと言えましょう。豊穣でいて、決してダブついたところが感じられなかった。無駄のない演奏ぶり。そのうえで、この作品の音楽世界を克明に描き切っていた。
機敏で、イキイキとしていた。そう、極めて歯切れの良い演奏でありました。リズム感が抜群で、音の粒立ちが鮮やかで、音像がクッキリとしていました。スリリングでありつつ、洗練味が感じられる演奏でもあった。しかも、色彩感があり、ある種の煌びやかさが感じられた。と言いつつも、決して過剰な演出が加えられていた訳ではありません。それは、≪フィンランディア≫でも書いたように、作品に肉薄した演奏。そのような演奏であったと、私は信じて疑いません。
そのような演奏が生まれたのも、インキネンの棒の動きが的確であり、かつ、頗る鮮やかであったが故なのでありましょう。そう、棒の動きは鋭敏そのものでありました。前置きの箇所に書きましたが、指揮者のポテンシャルを窺い知ることのできる≪春の祭典≫、それは、指揮者としてのテクニックが如何ばかりであるのかを知ることができるとも置き換えられるように思えますが、インキネンのポテンシャルの高さをまざまざと見せつけられた演奏であったと思います。しかも、オーケストラビルダーとしての資質も、かなり高いと言えそう。PACオケという若手中心のオケから、ここまで精度の高い演奏を引き出したことに、大きな驚きを覚えずにおれませんでした。
とにもかくにも、聴き応え十分な、素晴らしい≪春の祭典≫でありました。

なお、定期演奏会に珍しく、アルコールが演奏されました。採り上げられたのは、シベリウスの≪悲しきワルツ≫。
これがまた、絶品でありました。中間部でフルートとクラリネットが加わってからの箇所、更には終結に向かう箇所での、音楽の鼓動の何と逞しかったこと。ストリンジェンドをグイグイと掛けていきながら、壮絶を極めた音楽が奏で上げられていた。と言いつつも、全くオーバーな演奏ぶりではなく、作品の枠からこれっぽっちも逸脱していない。
≪悲しきワルツ≫が、このような様相を呈する作品だったとは、まさに目から鱗でした。

次回、インキネンの実演にいつ接することができるかは今のところハッキリしていませんが、その機会が訪れることを心待ちにしています。
いやはや、インキネン、実に魅力的な指揮者であります!!