尾高忠明さん&大阪フィルによる枚方公演(ドヴォルザークの交響曲第8番とブラームスの交響曲第1番)を聴いて

今日は、枚方市総合文化芸術センターの関西医大大ホールで、尾高忠明さん&大阪フィルによる演奏会を聴いてきました。演目は、下記の2曲。
●ドヴォルザーク 交響曲第8番
●ブラームス 交響曲第1番

4年半ほど前の2021年秋にオープンしたホールで、キャパは1,468。京阪の枚方市駅から徒歩で5分ほどという駅近ホール。こちらに来たのは初めてになります。
新しいホールだけに、内装は綺麗で、しかも、適度に落ち着きがあって、気持ちが良い。
また、同じ建物内に絵画のギャラリーがあり、ルオーや、ダリや、梅原龍三郎などの所蔵作品を自由に観ることができたのも嬉しいところでありました。

さて、ベートーヴェンの交響曲ツィクルスで充実した演奏を繰り広げてきた尾高さん&大阪フィルのコンビによる演奏会。ドヴォルザークとブラームスの著名な交響曲を並べた本日も、きっと、聴き応え十分な演奏を展開してくれることだろうと、大いなる期待を抱きながら会場に向かったものでした。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

前半のドヴォルザークからでありますが、その前に、まずはホールの音響について。
潤いのある響きがするというよりもデッドな響きがしていて、音が硬くなってしまうようで、その点が残念でありました。残響も、あまり豊かなものではない。
さて、演奏についてでありますが、尾高さんらしい、堅実な音楽づくりが為されていました。そのうえで、例えば第1楽章の終結部では、僅かにアッチェレランドを効かせながら適度な昂揚感を築いていた。その辺りの感興の持たせ方は流石でありました。
そう、キチッキチッと音楽を進めながら、息遣いの豊かさが感じられたのであります。曲想に応じての抑揚の付け方も頗る自然で、この作品の音楽世界に安心して身を浸すことのできる演奏となっていた。
なるほど、刺激を求めても、それを得ることのできない演奏ぶりであります。しかしながら、このことは、この演奏会に臨んだ段階で判っていたこと。刺激を得ることはできなくとも、この作品の等身大の魅力を味わえた演奏だった。そんなふうに言いたい。
更に言えば、尾高さんならではのリリシズムが滲み出てくる演奏となっていた。そのことが、この作品の魅力を、より一層引き立ててくれていたように思えたものでした。
とは言うものの、もろ手を挙げて歓迎する、といった演奏でもありませんでした。と言いますのも、もう少し演奏に潤いを備えていて欲しかった、といった思いを抱かずにおれなかったのであります。それは、ホールに原因があったのかもしれませんが。
更には、音楽が存分に躍動していた、というところまでは至っていなかったように思えた。何と言いましょうか、キッチリと演奏してはいるものの、踏み込み不足のようなものが感じられたのであります。そして、生気に満ちていたとも言えそうになかった。
そのようなこともあって、ベートーヴェンツィクルスで感じた「端正な演奏から滲み出る凄み」や、聴いていてグイグイと惹き込まれてゆく魅力と、いったものには到達していなかった点に物足りなさを覚えたものでした。
メインのブラームスでは、この辺りを払拭してくれることを願うばかり、という思いを抱きながら休憩時間を過ごしたものでありました。
なお、第4楽章でのフルートによる長大で目まぐるしさの際立つソロ(74小節目から89小節目)は、安定したテクニックを土台にしながら、華やかさにも不足がなく、なんとも見事でありました。

さて、メインのブラームスでありますが、その演奏はと言いますと、前半のドヴォルザークでのものと同じような印象でありました。すなわち、堅実な演奏ぶりで作品に魅力を語らせよう、といった音楽づくりをベースにしていた。そのような演奏ぶりは、本来は、私の望むところであります。とは言うものの、その一方で、音楽がうねるようなことが少なく、その点に不満が残ったものでした。
序奏部では、ドヴォルザークでの演奏では感じられなかった粘りが備わっていて、ロマンティックな情熱、といったものが感じられました。音楽が艶やかに輝いてもいた。しかしながら、主部に入ると、音楽がサラサラと流れてゆくようになった。例えば、再現部に入る直前のクレッシェンドとディクレッシェンドを繰り返す箇所(252小節目から260小節目にかけて)も、シッカリとクレッシェンドとディクレッシェンドとが施されていつつも、波が押し寄せては引くような昂揚に結びつくようなことはなかった。
また、第1楽章のリピートをカットしていたことにも、疑問が残りました。ベートーヴェンツィクルスでは、愚直なまでにリピートを敢行していたというのに。ベートーヴェンツィクルスでの演奏への処し方と、本日の演奏への態度との間には、根本的な違いのようなものが、この点からも感じられたものでした。ひょっとすると、今日は「やっつけ仕事」だったのではないだろうか。そんなふうにも思えたのでした。
全体を通じて、ケレン味のない演奏でありました。その点は大いに高く買いたいのですが、音楽が十分に躍動していなくて、息遣いが豊かだったとも言い切れなかった。その点に、もどかしさを感じたものでした。
更には、音楽に潤いが乏しかった。しなやかさも、十分とは思えなかった。何よりも、音楽が逞しく呼吸していなかった。
そのような点も含めて、「やっつけ仕事」だったのではないだろうかと思えたのでありました。
本日の尾高さん、興が乗っていなかったのでしょうか。本気度の低い演奏だったように思えてなりませんでした。
なるほど、最も本気を出すのは、定期演奏会においてでありましょう。更には、ベートーヴェンツィクルスといった入れ込みの強くなりがちなシリーズ物の演奏会においても、本気度の高さが現れてくるものでしょう。そういった演奏会以外では、どうしてもムラっ気が出てしまう、といったところなのでありましょうか。

アンコールはシューベルトの≪ロザムンデ≫から間奏曲第3番。
こちらは、大阪フィルの木管楽器群によるソロが見事でありました。音色の美しさ、繊細な歌い口、更には、強弱の付け方の絶妙さや、そこから生まれるニュアンスの豊かさなど、惚れ惚れするほどでありました。
なお、アンコールの演奏の前に尾高さんから挨拶があり、ブラームスの1番は、50年以上前に東京フィルでデビューした際に指揮した作品だと紹介されました。ちなみに、ご本人の話しによりますと、今日のブラームスの1番は、これまでで最も速い演奏で、若返ってゆくようだ、とのことでありました。
なお、前半のドヴォルザークの8番も、≪新世界より≫とともに、若い頃に東京フィルとレコーディングしている作品であります。本日は、尾高さんにとっては思い出深い作品を2曲並べた演奏会だった、といったところだったのでしょうか。