クァルテット・インテグラによる守山公演(ハイドン、バルトーク、ベートーヴェン)を聴いて
今日は、滋賀県の守山市民ホールで、クァルテット・インテグラの演奏会を聴いてきました。
演目は、下記の3曲。
●ハイドン ≪五度≫
●バルトーク 弦楽四重奏曲第3番
~休憩~
●ベートーヴェン ≪ラズモフスキー≫第3番
守山は、大津から彦根へ向かう途中に位置する街になります。
クァルテット・インテグラは、昨日は大津市にあるびわ湖ホールで演奏会を催しています。2日続けての、滋賀県内での演奏会ということになります。
我が家からは、大津の方が近くて行きやすいのですが、本日の守山の演目のほうが私には魅力的でしたので、こちらを聴くことにしました。
ちなみに、昨日のびわ湖ホールでのプログラムは、下記の3曲でした。
ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第3番
三善晃 弦楽四重奏曲第2番
ブラームス 弦楽四重奏曲第3番
クァルテット・インテグラは、2021年のバルトーク国際コンクールで優勝し、2022年のミュンヘン国際音楽コンクールでの弦楽四重奏部門で第2位を獲得したグループ。
一昨年の9月に京都での演奏会を聴き、実演に接するのはこれが2回目になります。そのときのプログラムは、下記の3曲でありました。
モーツァルト ≪狩≫
ドナトーニ ≪そのハツカネズミは笑わない≫
ブラームス 弦楽四重奏曲第1番
前回聴いた京都公演での印象は、エッジの効いた切れのある演奏を繰り広げてくれるグループだな、というものでした。特に、2曲目の現代音楽での演奏において、その思いを強く持ったものでした。「攻め」の音楽だと言えそうな≪そのハツカネズミは笑わない≫を、緊張感を持続させながら、切れ味鋭く、かつ、克明に描き上げていったのであります。その一方で、モーツァルトとブラームスでは、エッジの効いた演奏ぶりというよりも、おおらかで円満な演奏が繰り広げられていたように思われた。そんな、作品ごとでの柔軟性を持ち合わせているグループだとも言えそうです。
また、決して第1ヴァイオリン主導のプリマドンナ型の弦楽四重奏団ではないな、という印象も抱いたものでした。第1ヴァイオリンが独壇場で名技を誇らしげに見せつけるというよりも、4名のアンサンブルの緻密さで勝負するグループだと思えたのでした。いやむしろ、第2ヴァイオリンとヴィオラの主張が強く、音楽を内側から支えていこうというグループだと感じられた。音楽へのパッションは、第1ヴァイオリンよりも第2ヴァイオリンのほうから、より強く迸り出るように感じられたことも多かった。そのような音楽づくりに乗っかって、第1ヴァイオリンが主旋律を奏で上げてゆく。それでいて、第1ヴァイオリンは、音楽をシッカリとリードしている。そのような演奏ぶりだな、と思えたものでした。
そんなクァルテット・インテグラが、本日のハイドン、バルトーク、ベートーヴェンでは、どのような演奏を繰り広げてくれるのだろうか。期待を抱きながら、会場に向かったものでした。作品ごとによる描き分けにも注目しながら、楽しみたいと思っていました。
なお、チェリストが、一昨年からは交代しているようです。そのことによる変化がどのようであるのかも、気になるところでありました。
前のチェリストは、4人の中でもとりわけアンサンブルへの意識が強かったようで、終始周りに視線を送りながら、音楽の流れが滑らかになるように気を配っていて、音楽に対して献身的だったように感じられたのですが、チェロの動きが今一つクッキリと浮かび上がってこない、といったことが時おり見受けられ、「チェロがちょっと弱いかな」とも思えたのでした。
JR守山駅からホールに向かう途中、中山道を横切りました。
守山は中山道の宿場町だったようです。
ホールの北側には、比叡山が見えています。山頂は雪をかぶっていて、趣深い。
ホールのエントランス付近の様子。
それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。
前半の2曲では、このグループの美質を存分に味わうことができました。それは、一昨年の京都公演を聴いての印象の延長線上にあったものであり、なおかつ、前回の印象を覆す要素も多く含まれていた。
特に感心したのが、バルトークでの演奏でした。このグループは、近現代の作曲家による作品での鋭敏な演奏ぶりが、大きな「売り」であり、魅力だと言えそうです。一昨年の演奏会での≪そのハツカネズミは笑わない≫が見事な演奏だったように。
バルトークならではの、峻厳な音楽世界がシッカリと表出された演奏が繰り広げられていました。凝縮度が高くもあった。そして、時に「断末魔の叫び」のような音楽が鳴り響いていた。そのような音楽づくりがまた、バルトークに相応しかった。
しかも、技巧面での難易度のかなり高い作品だと思われますが、緻密な演奏が展開されていました。まさに、「水も漏らさぬ」アンサンブルが展開されていた。曖昧さのない演奏だったとも言えそう。
そうであるが故に、頗る切れ味鋭い演奏になっていました。音楽への「食いつき」の良い演奏だったとも言いたい。しかも、楽器によるバラつきもなく、バランスの良い音楽が鳴り響いていた。音楽のフォルムがキッチリとしたものになっていた。
しかも、音楽が沸騰していた。なるほど、バルトークならではの厳粛さにも不足はなかったのですが、そのうえで、頗る激情的だった。
演奏時間が15分ほどの短めの作品で、しかも、切れ目なく演奏される作品でありますが、まさに一気呵成に、そして、ニュアンス豊かに聞かせてくれた演奏。インパクト十分で、なかつ、完成度の高い、見事なバルトークでありました。
冒頭に演奏されたハイドンも、バルトークでの演奏ほどの鮮やかさは見いだせなかったものの、こちらもなかなかに素敵でありました。バルトークがあまりに素晴らしかっただけに、やや霞んでしまったといったところ。
この作品は第1ヴァイオリン主導といった性格が強いと言えそうですが、それだけに、第1ヴァイオリンによるプラマドンナ型の演奏に傾いていたように思えた。それがまた、素敵だったのであります。この辺りが、一昨年の演奏での印象とは異なるところになります。
そのような中で、第3楽章のトリオ部での、ちょっぴりおどけたようにしながら、弾けた演奏ぶりで表情豊かに音楽を奏でていたのが、なんとも印象的でありました。メンバー全員で音楽を楽しんでいることが手に取るように解る様子がまた、聴衆の立場としても、喜ばしく思えてきたものでした。
なお、総じて、チェロが弱いといった印象を全く抱くことがなかったのも、頗る喜ばしいことでありました。
「これは、メインのラズモフスキーも大いに満足できそうだな」という思いを抱きながら、休憩時間を過ごしたものでした。
さて、ここからはラズモフスキーを聴いての印象になりますが、本日の白眉はバルトークだったな、というのが正直なところであります。と言いましょうか、私個人としましては、ラズモフスキーは、色々と問題のあった演奏だったように思えたのでした。
まずは、音楽を溜めることが多い。これは、ハイドンでも感じられたのですが、ラズモフスキーでは、その頻度が増したようで、かなり鼻につきました。その度に、勿体ぶった音楽に聞こえてしまう。
なるほど、この作品では、溜めを作りたく箇所があちらこちらにあると言えそうです。他の多くの演奏でも、そのような措置が採られることが見受けられます。しかしながら、本日のインテグラによる演奏は、あまりに頻繁にそれが行われていたため、音楽の流れが滑らかさを欠いてしまう傾向にあり、音楽が散漫なものになってしまったように思えたのでした。更に言えば、煩わしさが感じられもした。
音楽を溜めるという行為は、「やむにやまれぬ心情」が沸き起こったうえで施して欲しい。内面から湧き出たものであっても欲しい。本日のラズモフスキーでの演奏は、残念ながら、外面的な理由で行われていたように思えたのでした。「お約束」の上で溜めているようにも感じられた。それ故に、鼻についてきたのでありましょう。
いずれにしましても、音楽がキリっとした表情を湛えることを阻害してしまっていたように感じられたのでありました。
また、バルトークでは、あれほど緻密に思えたアンサンブルが、ややぎこちないものに感じられた箇所があった。例えば第3楽章の21小節目から22小節目にかけて、16分音符による速いパッセージが第1ヴァイオリンからヴィオラを経由して(ヴィオラは、ほんの4音だけ)、チェロへと引き継がれる場所があるのですが、音楽に凸凹が生まれてしまい、滑らかさを欠いていたように思えたのであります。やはり、ベートーヴェンのような古典派の作品では、ごまかしが効かないのだな、と思えたものでした。
とは言え、最終楽章では、楽器間での橋渡しはスムーズにいっていたように思えました。この楽章は、技巧的に難しいと思えますが、破綻なく進められていました。展開部の終わり近くに出てくるヴィオラによるパッセージ(184小節目から)なども、誠に雄渾であり、「鬼気迫るような気魄」が籠められているものとなっていました。
更には、「あっ、走ってしまっているな」と思わせる箇所が何箇所かで散見されたのも残念でした。勢いに任せて音楽が先走ってしまい、地歩が揺らいでしまう。この点についてはハイドンでも見受けられたのですが、ラズモフスキーで頻度が上がってしまったように思えます。この辺りは、「若気の至り」なのでありましょうか。
ラズモフスキーでは、ついつい辛口になってしまいましたが、大いに惹かれるところも多かった。第1楽章での快活な躍動感などは、その筆頭だと言え間しょう。この音楽が宿している明朗さもシッカリと表されていた。それに続くものとしては、最終楽章でのエネルギッシュにしてドラマティックな演奏ぶりが挙げられましょう。この作品を、ひいては本日の演奏会を、昂揚感たっぷりに締めくくってくれていました。
また、第2楽章でのピチカートが味わい深かったチェロ。この楽章のみならず、チェロがアンサンブルをシッカリと支えてくれていて、安心感の大きな音楽になっていた。
更には、最終楽章の終わり近くの箇所をはじめとして、第2ヴァイオリンに旋律が渡ると、「ここぞ」とばかりに主張する様が、なんとも心地よくて、演奏に「異なる味わい」をもたらしてくれるというアクセントになっていました。
なお、本日の演奏では、意識的にノンヴィブラートを多用していたようでした。それは、ハイドンでもバルトークでも感じられたのですが、ラズモフスキーの冒頭楽章での序奏部は殊更に顕著であり、大きな効果を生んでいたように思えたものでした。ノンヴィブラートだと、音楽の潤いが薄れ、研ぎ澄まされた感覚といったものが前面に押し出される。ラズモフスキーの序奏部は、それが最もはまっていたように思えたのであります。音楽に緊迫感が生まれることにもなっていた。
(もっとも、この序奏部は、ノンヴィブラートを多用するのは、常套的な手法なのかもしれないのですが。)
また、ラズモフスキーの第1楽章では、しっかりと主題提示部をリピートしていたのも好ましかった。ハイドンの第1楽章では、主題提示部のみならず、展開部と再現部もリピートしていましたので、ラズモフスキーでのリピートは、十分に予想できたのですが。
なお、アンコールはベートーヴェンの3番の第2楽章。初期の作品での演奏にしては、ちょっと神妙になり過ぎていたように思えました。
演奏後にポストトークが行われましたが、4人のメンバーのうち第1ヴァイオリンとチェロの2人がバルトークへの深い愛情を語っていたのが印象的でした。それ故の、本日のバルトークの演奏だった、と言えるように思えます。
まだまだ若いカルテットであります。これから更に熟成され、素敵な音楽を奏でてくれることでありましょう。