秋山和慶さん&日本センチュリー響が亀井聖矢さんをピアノ独奏に招いての演奏会(オール・ブラームス・プロ)を聴いて
今日は、秋山和慶さん&日本センチュリー響による演奏会を聴いてきました。演目は、下記の2曲。
●ブラームス 交響曲第3番
●ブラームス ピアノ協奏曲第2番(独奏: 亀井聖矢さん)
一番のお目当ては、亀井聖矢(まさや)さんのピアノでありました。メインがピアノ協奏曲というのも珍しく、本日の主役は亀井さんだと言わんばかりの曲順となっています。
ところで、5日前に23歳の誕生日を迎えたばかりの亀井さんの実演を聴くのは、一昨年の9月に聴いたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番と、今年の9月に聴いたショパンのピアノ協奏曲第1番以来で、これが3回目になります。
ラフマニノフでは、「清冽な熱演」と呼べるような演奏ぶりに心奪われたものでした。音が濁らず、音楽が沈澱するようなこともなく、清らかに流れていつつも、強靭さにも不足はなかった。音楽を急き立てるべき箇所では、切迫感を持って煽って行く。その辺りの呼吸が、とても自然でもありました。
一方で、ショパンでの演奏でも、清冽にして情熱的で強靭な演奏を繰り広げてくれました。しかも、決して力だけで押し切るようなものではなく、むしろ、繊細で、清らかで、精巧な音楽づくりをベースとしていた。とは言え、ショパンに特有の詩情性は薄かったように思え、現実味の強かったショパン演奏だった、という印象を持ったものでした。
本日は、ブラームスの協奏曲。きっと、亀井さんの美質をベースに置きながら、魅力的な演奏を繰り広げてくれることだろうと、大いに期待をしながら会場に向かったものでした。
なお、秋山さんは、私の中では、共感できる演奏と、そうとは言い切れない演奏とが入り混じることとなる指揮者となっています。本日のオール・ブラームス・プロでは、どちらの秋山さんになるのでしょうか。
それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて書いてゆくことに致します。
まずは前半の交響曲第3番から。それは、第3楽章までと最終楽章とで、印象の大きく異なる演奏でありました。
前半の3つの楽章は、「毒にも薬にもならない」ブラームス、といった感じ。秋山さんの演奏で、あまり共感できない時に、よく抱く印象であります。
第1楽章の冒頭から、棒の動きが曖昧で、そのことによって焦点がボヤケたような演奏ぶりになっていた。背骨の抜けた音楽、とも言えそう。
なお、第1楽章の主題提示部はリピートをしていました。最近、ブラームスの実演でリピートを敢行する演奏に度々接していますが、とても良い傾向だと思います。もっとも、ブラームスの交響曲のうち、リピートが付けられた3曲の交響曲の中では第3番が最も頻繁にリピートされるように思え、その点で、あまり驚きはしなかったのですが。
そのリピートの直前で、良い音がしたのですが(演奏の凝縮度が上がったようにも思えた)、総じて「お気楽な」演奏だったように感じられたものでした。また、アンサンブルに緻密さが欠けていたようにも感じられた。この辺りは、秋山さんのアインザッツの曖昧さに由来していたのでありましょう。
なお、第1楽章の再現部直前では、かなりロマンティックな感興を強調していて、それはそれで興味深かった。この部分だけを切り取ったならば、素晴らしい演奏だったと言えそう。しかしながら、それ以外の箇所と切り離された音楽になっているように思えて仕方がなく、「とって付けた感」を強く持ったものでした。しかも、この箇所は、あまりに恣意的にテンポを落とし過ぎていたようにも思えたために、その感を一層強くしたのでした。
また、第3楽章では、極度に遅いテンポを採りながら、拍節感の薄い演奏が展開されていて、頗る居心地が悪かった。この甘美なメロディで彩られた楽章をセンチメンタルに奏で上げようという意図があったのでしょうが、情に溺れてしまい、この楽章が本来的に備えている「出で立ち」が不明確になって、フォルムの崩れた音楽になっていたとも言いたい。
ところが、最終楽章では打って変わって、覇気に富んだ演奏となった。ピシッと背筋の伸びた演奏となってもいた。音楽が、シッカリとした生命力を蓄えていて、逞しく躍動していた。
最終楽章は、それまでの3つの楽章と比べると、明快な音楽であるように思えます。あまり込み入った構造をしていなくて、拍節感が曖昧になるようなことも殆ど無い。特に、静寂に包まれたコーダに入る手前までが。そのようなこともあって、秋山さんとしましても、率直な形で演奏に臨めたのではないでしょうか。音楽がビシッ、ビシッと決まっていた。
聴き終えての感想としましては、つくづく秋山さんは一筋縄ではいかないな、というものでした。私からすると、「出来不出来」の差が大きい。はたしてメインのピアノ協奏曲では、どのような秋山さんに出会うことができるのだろうか。期待と不安とがないまぜになりながら、休憩時間を過ごしたものでした。
ここからはピアノ協奏曲第2番についてであります。
なんともユニークな演奏でした。亀井さんの個性と音楽性が光った演奏だったとも言えそう。
ちなみに、秋山さんの指揮は、第3楽章を除いて、覇気に漲っていた演奏ぶりでした。ピシっと背筋の伸びた演奏だったとも言いたい。これと言って特別なことをしている訳ではないのですが、音楽があるべきところに収まっていたように思えた。しかも、音楽が十分にうねっていて、適度に輝かしくもあった。抒情性を際立たせるべき箇所では、誇張のない範囲でタップリと歌わせながら、しっとりと音楽を奏で上げてくれていた。
その一方で、第3楽章では、交響曲の第3楽章と同様に、拍節感の薄い演奏ぶりとなっていた。聴いていて、どうも落ち着かない。そのために、この、天国的に美しい楽章が、決然として鳴り響いていなかった。軟体動物のような、実体を掴みにくい演奏となっていたのが、なんとも残念でした。他の3つの楽章での演奏が立派であっただけに、余計に残念な思いを強くしました。秋山さん、情に流されやすい音楽性の持ち主なのかもしれません。
さて、ここからは主役の亀井さん(少なくとも私にとっては、今夜の主役は亀井さんでした)についてであります。
曲が開始して直ぐに現れる、長いモノローグからして、多感な演奏ぶりでありました。テンポの幅を大きく採りながら、センチメンタルな風情を与えながら奏で上げてゆく。それはあたかも、このモノローグだけで一つの抒情詩が完結したような演奏ぶりでありました。あまり声を荒げるようなこともなく、どちらかと言えば、声を潜めながら音楽を奏で上げてもいた。これは、モノローグの部分に限らずに、全曲を通じて当てはまることでもありました。
そのようなこともあって、9月に聴いたショパンの協奏曲での印象とは裏腹に、抒情性に富んだ演奏が繰り広げられることとなりました。
しかも、音楽が濁るようなことはない。それは、これまでの亀井さんの演奏から受けていた印象そのままでもあった。すなわち、とても清冽な演奏となっていたのであります。
そのうえで、過度に豊満な音楽にならない。概して、キリっと引き締まった演奏となっていた。ひょっとすると、ペダルを過剰に踏まないことが多いのかもしれません。ここぞ、という場所ではシッカリとペダルを踏みつつも、多くの場所では必要最小限にしか踏んでいないのかもしれない。それ故に、音楽がベト付いたり豊麗に過ぎたりするようなことがなく、粒立ちが鮮やかで、かつ、清潔感に満ちた音楽が鳴り響くことになっているのではないでしょうか。
それでいて、強靭さにも不足はない。音楽から強い意志が感じられ、逞しい生命力に溢れてもいた。繊細にして、強固な音楽が奏で上げられていたのであります。しかも、強い打鍵によるトリルなどは、凄絶でもあった。それがまた、音楽に大きなインパクトを与えることとなっていた。
更には、最終楽章のコーダ部に代表されるように、軽やかさも十分。
また、技巧も冴え渡っていた。ラフマニノフのようなヴィルトゥオジティを誇示できるような作品のほうが、今の亀井さんにとっては、より相応しいレパートリーだと言えるのかもしれません。しかしながら、技巧の高さをひけらかさずに、テクニックを作品の魅力を語り上げるために貢献させようという姿勢は、とても尊いことだとも思えた演奏ぶりでありました。
なお、秋山さんの指揮に足を引っ張られた感はあったものの、第3楽章では、静謐にして情感豊かなピアノ演奏が展開されていた。亀井さんの本日のアプローチの仕方からすると、それもまた、当然のことだと言えるように思えます。
この曲の演奏としては、毅然とした態度に不足していたようには思えます。しかしながら、なかなかに魅力的な演奏であり、ブラームスの協奏曲第2番でこのようなアプローチを施したということに驚きを覚えたものでした。
アンコールは、ショパンとリストの2曲を弾いてくれました。
このうち、圧巻は《ラ・カンパネラ》でした。この、超絶技巧が施された曲を、易易と弾いてゆく。その演奏ぶりは、とても難曲を弾いているようには思えなかった。技巧に優れた奏者は、難曲を難曲と思わせない演奏を展開してくれるものですが、まさにそのことの当てはまる演奏でありました。しかも、音をコロコロと転がす様の美しさや、静謐とした音楽世界や、最後の壮麗な演奏ぶりやと、頗る引き出しの多い演奏でもあった。いやはや、見事でありました。
なお、ホールの最前列、亀井さんの「かぶりつき」と言えそうな席は女性客で占領されている、と言えそうな形になっていたのも、とても印象的でした。
演奏が終わると、数人が立ち上がって盛大な拍手を送っていた。人気者ぶりを目の当たりにした、といったところであります。