ヴェーグ&カメラータ・ザルツブルクによるモーツァルトのディヴェルティメント第10,11番を聴いて
ヴェーグ&カメラータ・ザルツブルクによるモーツァルトのディヴェルティメント第10,11番(1986,87年録音)を聴いてみました。
誠実で、キッチリカッチリとした堅固な演奏が展開されています。
それでいて、しなやかで伸びやかでもある。全く堅苦しくなく生気に溢れている演奏となっています。
更には、作品自体に魅力を語らせてゆくタイプの演奏だと言えるのではないでしょうか。しかも、じっくりと、かつ、親しみと慈しみを持たせながら語らせてゆく。緩徐楽章では、慈愛に満ちた歌を聞くことができる。
そのうえで、流れが誠に自然。急速楽章での歩みは、キビキビとしていつつ、過度にはしゃぎ立てるようなことはなく、しっとりとした質感を備えたものとなっている。コクの深さや、雅趣といったようなものが感じられもする。そして、音楽全体が暖かみを帯びている。
何よりも尊いのは、機会音楽に不可欠な愉悦感が、誇張のない形で滲み出ているということ。とりわけ、第11番での演奏において、その感を強く持ちました。そして、鳴り響いている音楽は、誠に晴朗でもある。この種の作品に必要な颯爽とした風情も十分。
燻し銀。なるほどそのような言葉が似つかわしいように思えますが、それと同時に、清新さの窺える演奏となっている。そして、落ち着いた雰囲気の中にも、聴き手をウキウキさせる「弾けた感」を持った演奏となっている。
モーツァルトの機会音楽の世界にドップリと身を浸すことのできる、素敵な素敵な演奏であります。