新国立劇場の制作による≪ドン・パスクワーレ≫の京都公演を観劇して

今日は、ロームシアター京都で、新国立劇場が制作したドニゼッティの≪ドン・パスクワーレ≫を観てきました。
出演者については、お手数ですが添付写真でご確認ください。

こちらは「高校生のためのオペラ鑑賞教室」と銘打たれていますが、まずは高校生以下向けと、25歳以下が対象のユース向けの2種類のチケットが先行販売され、その1か月後に、一般向けのチケットが販売されています。ということで、一般向けのチケットを購入しての鑑賞でありました。

ホールの前には、開場を待つ高校生の列。高校生のためのオペラ鑑賞教室ならではの光景ですよね。
このうちの何人かでも、本公演をきっかけに、日常的にオペラに親しむようになって欲しいものです。

ところで、このオペラ・ブッファ(喜劇の筋書きによるオペラ)は、あまり公演機会に恵まれているほうではないと言えましょう。それだけに、「高校生のためのオペラ鑑賞教室」で採り上げられるのはちょっと意外な感を持ったものです。
とは言いましても、2021年にも上演されて人気を博したようでして、今回は再演となったとのこと。喜劇であることと、ドニゼッティならではの旋律美に溢れていることが、受け入れやすいのかもしれません。

私が、このオペラの実演に接するのは、2018年のゴールデンウイークにミラノ・スカラ座で観た以来で、これが2回目になります。あのときは、シャイーが指揮をして、タイトル・ロールを歌ったのはブッフォ系の役を得意とするマエストリでした。
シャイー&スカラ座による演奏は、流麗で、伸びやかで、軽快で、颯爽としていて、しかも、イタリアの青い空に通ずるような鮮やかに晴れ渡ったものでありました。そのうえで、隅々にまで血が通っていて、生き生きとした息吹に満ち溢れている演奏だった。
そのようなシャイーたちが準備してゆくカンバスの上で、マエストリは、大袈裟に悪ふざけする訳ではなく、むしろ神妙かつ端正な歌いぶりでありつつも、そこから何とも言えない可笑しみを滲ませた歌唱を繰り広げてくれていた。ブッフォ役として登場する人物は、決して自分自身では滑稽だと思っている訳ではないはずであります。真面目に振る舞っているのに、周囲から見ると、とても滑稽に見えてくる。本人は至って真面目。それでこそブッフォ役者だと思っているのですが、このことを再認識させてくれるマエストリの歌いぶりだったのでありました。

本日の沼尻竜典さん&京響による演奏、そして、久保田真澄さんらによる歌唱、どのようなものになるのだろうか。
この、上演機会の決して多くないオペラの実演に接することができるという歓びを胸に抱きながら、開演を待っていたものでした。

それでは、本日の公演からどのような印象を受けたのかについて書くことに致しましょう。
まずもって、なんとも素敵なオペラだなぁ、という思いを嚙み締めながら観ていった公演だったことを伝えたい。
実を言いますと、序曲を聴いている時には、首を傾げることが多かった。イタリアオペラに不可欠な、とりわけドニゼッティらのベルカントオペラに必要な、明快さや、伸びやかさや、軽妙さや、といったものに不足している演奏ぶりに思えたからであります。歌心もあまり感じられず、音楽の歩みが鈍重でもあった。爽快さも殆ど感じられなかった。
先が思いやられたのですが、幕が開くと、歌手陣は好調。それに引っ張られるようにして、といった感じで、沼尻さん&京響の演奏にも軽やかさや伸びやかさが備わって来たように思えた。例えば、第2幕のフィナーレの四重唱では、スピード感を伴った演奏ぶりで、頗る颯爽としていた。このフィナーレに限らず、「イタリアの風」があちこちで吹いていたと言いたい。ベルカントオペラに必要な熱量での輝かしさにも不足のない演奏ぶりでもありました。何よりも、音楽が生き生きと息づいていた。
また、第2幕冒頭のエルネストによるアリアには、トランペットによる柔らかくて甘美なソロが付くのですが、実にまろやかで、かつ、デリケートに歌い上げてゆく様は、ウットリするほどに美しく、見事でありました。終演後に、舞台に上がって聴衆からの喝采を受けていた沼尻さんは、オーケストラピットに向かって、トランペット奏者を単独で立たせるような素振りをされていましたが、そのような行動を取られたのも納得のいく、素敵なソロでありました。
そのような沼尻さん&京響は、尻上がりに素晴らしくなっていった、と言いたい。序曲では、例えば、シンコペーションの動きに軽妙さや弾力性が感じられなかったのですが、第3幕では音楽が大いに弾んでいた。また、合唱によるシーンも、逞しくて輝かしい音楽となっていた。
ドニゼッティの音楽の魅力を、存分に味わうことのできた演奏ぶりだった。そして、オペラティックな感興も十分だった。そんなふうに言いたくなる演奏でありました。

歌手陣もまた、素晴らしかった。
久保田さんによるパスクワーレは、悪ふざけが殆どなかった。それでいて、カンタービレを効かせながら朗々と歌う、といった感じでもなかった。頗る率直な歌いぶりでありました。
そうであるが故に、性格的な歌によるパスクワーレが演じられていた、といった風にはなっていませんでした。しかしながら、この役をジックリと歌い切っていた。アクのない歌であったがために、好感の持てる歌唱でありました。そのうえで、ブッフォ役でよく出てくる早口での歌も、そつなくこなしていた。と言うよりも、音楽的な歌いぶりで、見事だった。更に言えば、パスクワーレの悲哀も、巧まざる形で描き出されていた。
このような歌唱によって、オペラブッファの面白味や、味わいは生きてくる。久保田さんの音楽センスの高さと、技巧の確かさを随所で感じ取ることのできた歌唱だった。そんなふうに言いたい。
上江さんによるマラテスタは、久保田さんよりもカンタービレを効かせながらの歌となっていました。そのうえで、こちらも率直な歌を披露してくれていた。伸びやかでもあった。
こちらもまた、素敵なマラテスタでありました。
中井さんによるエルネストは、典型的なテノーレ・リリコによる歌唱、といったところ。とても甘美で、しなやかで、伸びやかでありました。第2幕冒頭でのアリアなどは、まろやかで柔らかみを備えた声を駆使しながら、悲哀に満ちていて、かつ、真摯な歌を聞かせてくれていました。
九嶋さんによるノリーナは、冒頭のアリアこそ、音程がシッカリと採れていなくて、歌にも滑らかさが感じられずに、安定感に欠ける歌いぶりでありました。序曲に現れる旋律を歌う箇所でも、歌いぶりが硬くて、明朗さに欠けていた。しかしながら、このアリアを除くと、なかなかにチャーミングな歌を披露してくれていました。
全体的に、過度に弾けていたり悪ノリしたりといった歌いぶりではなく、オキャンなノリーナといった感じではありませんでした。しかしながら、十分に可憐でキュートな歌いぶりでありました。また、勢い余ってパスクワーレを平手打ちしてしまった後、「ちょっとやり過ぎたかな」といった表情を滲ませていた(実際に、セリフとしても出てくる)ところがまた、秀逸でありました。このことに象徴されるように、意地悪な性格を前面に押し出すようなノリーナになっていなかった点にも、好感を持てたものでした。

合唱は第3幕のみの登場ですが、新国立劇場合唱団の充実ぶりがハッキリと現れていたと言いたい。分厚さの感じられる響きでありつつも、決して重過ぎるようなことはなく、生き生きとしていて、逞しくて、燦然たる合唱でありました。
また、演出は、舞台装置や衣装も含めて、頗る正統的なもの。「高校生のためのオペラ鑑賞教室」に相応しい内容だったかと思えます。このオペラの世界を抵抗なく楽しむことのできる演出でありました。

総じて、観応えのある公演でありました。≪ドン・パスクワーレ≫を堪能することのできる公演でした。更に言えば、オペラに触れる歓びを思いっ切り感じることのできる公演でありました。
冒頭にも書きましたが、本公演で、オペラに親しむ高校生が一人でも多く生まれることを願っていますし、そのことを実現させるに十分な魅力を持っていた素敵な公演だったと思います!!

2018/5/4にミラノ・スカラ座で観た≪ドン・パスクワーレ≫のキャスト表は、こちらになります。