ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによるショスタコーヴィチの≪レニングラード≫を聴いて

ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによるショスタコーヴィチの≪レニングラード≫(1953年録音)を聴いてみました。

なんとも凄絶な演奏であります。凝縮度や集中度が極めて高い演奏だとも言えましょう。そのうえで、毅然とした表情を湛えた演奏が展開されている。
巧緻であり、かつ、燃焼度が高い。そして、誠にシリアスな音楽が鳴り響いています。切迫感が強くもある。
音楽は、至る所で咆哮し、一聴すると賑々しく聞こえますが、全く空騒ぎとなっていません。空々しく聞こえてくるようなこともない。むしろ、実在感のある音楽として鳴り響いている。このことは、とりわけ、最終楽章の最後の場面において顕著だと言いたい。頗る盛大に終わるのですが、お祭り騒ぎな音楽になっていない。その分、凄惨さが強調されてくるとも言えそう。そのようなこともあり、背筋が凍るようなおぞましさが感じられる演奏となっている。
しかも、極めて実直な演奏だと言いたい。そう、どこにも脚色が加えられていない演奏だと思えてならないのであります。こけおどしな表現も、一切見受けられない。ただただ、客観的に作品を掻き鳴らしてゆこう。そのような意志が伝わってくる演奏が繰り広げられている。その結果として、誠にピュアな音楽が鳴り響くこととなっている。切実な音楽となっている。そして、凄絶であり、おぞましさが感じられながらも、純音楽的な美しさを湛えることとなっている。

なにもかもが克明であり、鮮烈であり、そして、的確にして冷徹な音楽が奏で上げられている、ここでの演奏。しかも、まさしくこれは、作品に肉薄した演奏だと思えて仕方がない。
これはもう、神がかり的に素晴らしい演奏であります。