カンブルラン&兵庫芸術文化センター管による定期演奏会の第3日目(幻想交響曲 他)を聴いて

今日は、カンブルラン&兵庫芸術文化センター管(通称:PACオケ)による定期演奏会の第3日目を聴いてきました。演目は、下記の2曲。
●チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏: 中川優芽花さん)
●ベルリオーズ ≪幻想交響曲≫

なお、カンブルランがPACオケの定演を指揮するのは初めてとのこと。
最大の関心は、フランス生まれのカンブルランが、≪幻想≫でどのような演奏を聞かせてくれるか、ということでありました。今年、76歳になるカンブルラン。きっと、素敵な演奏になるであろうと、期待を寄せてもいました。
また、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を弾く中川優芽花(ゆめか)さんは、2021年のクララ・ハスキルコンクルールの優勝者とのこと。ドイツのデュッセルドルフで生まれ育ったそうです。彼女の演奏を聴くのは、これが全くの初めてでありました。演奏頻度の非常に高いこの作品をどのように弾くのかという点にも大いに興味を惹かれながら、会場に向かったものでした。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、触れてゆくことに致しましょう。まずは、前半のチャイコフスキーから。
中川さんのピアノも、カンブルランの指揮も、ともに素晴らしかった。
中川さんによるピアノは、基本的には、柔らかみを大事にしたものだったと言えましょう。その印象は、有名な冒頭部分から明らかで、誇張して豪壮にピアノを掻き鳴らすようなことをしていませんでした。しなやかで、弾力性があって、ソフトな肌触りを持たせながら、格調高く音楽を奏でていった中川さん。同じようなことが、カンブルランの音楽づくりにも当てはまった。いや、中川さん以上に、格調高く、かつ、典雅な雰囲気を漂わせながら、音楽を響かせていました。両者ともに、そのような音楽づくりだったため、この曲の冒頭部分にしては、かなりエレガントな雰囲気が支配する音楽となっていたのが興味深かった。
そのような方向性は、冒頭部分に限らず、全曲を通じて示されていました。とは言え、主部に入ると、エレガントであるに留まらず、多彩な表情を見せることとなった。と言いますのも。
中川さんのピアノは、繊細さに特徴があるように思えたのであります。弱音を多用して、儚げな表情をしばしば見せてゆく。音楽を溜めることも頻繁に行い、心情の揺れをハッキリと示してもゆく。
その一方で、音楽をタップリと鳴らし切るべき箇所では、強靭なタッチを繰り出してもくれる。その最たる箇所が、最終楽章でのコーダに入る手前(243小節目から)。剛毅にして、スリリングな音楽を奏で上げていました。この箇所を筆頭に、敏捷性の高さを、随所で見せてもくれていた。
総じて、ロマンティックでありつつも、繊細で、奥行きの深さのようなものを感じ取ることのできるピアノ演奏でありました。
一方で、カンブルランによる音楽もまた、中川さん同様に、多彩を極めたものでありました。音楽をスパッスパッと言いきるような決然とした表現が多用されていながらも、必要に応じてエレガントな音楽づくりを施してゆく。そのうえで、スケールの大きさにも不足はない。
総じて、ドラマティックでありながらも、繊細な表情を見せてくれる指揮だった言えましょう。反応が鋭敏でもあった。
そして、音楽づくりが実に丁寧であり、句読点を明確に打ちながらのクリアな演奏ぶりだったとも言いたい。特に、木管楽器群の音の粒や動きを、クリアにさせようという意図がハッキリと窺えたものでした。
中川さんをシッカリとサポートしながら、この作品のツボをキッチリと押さえていた、見事な指揮でありました。

なお、中川さんによるアンコールは、シューマンの≪献呈≫。
こちらも、チャイコフスキーの協奏曲での演奏と同様に、繊細にして、ニュアンス豊かな演奏でありました。オケを伴わないソロ曲であるだけに、音楽の揺れがより一層大きく採られていて、それがまた、ニュアンスの豊かさを増してくれていた。
そのうえで、中盤以降は、打鍵を強くしながら、ダイナミックな味わいを加えてくれていて、演奏上の設計の巧みさを見せてくれていました。中川さんによる音楽づくりの多様性を見せてくれたアンコールだったとも言えそう。

大いに満足のいく前半でありましたが、メインの≪幻想≫もまた、期待通りの素晴らしい演奏でした。
それは、カンブルランによる、自信に満ちていた演奏だった、と言えば良いでしょうか。或いは、全5楽章を通じて、確信を持って奏で上げていった、といった感じでもありました。
と言いつつも、予定調和的な演奏であったり、穏健な演奏ぶりであったり、といった訳ではありません。かなり、アグレッシブな演奏だったと言いたい。そのうえで、音楽を明瞭なラインを保持させながら奏で上げようという意志の強さが窺える演奏でありました。或いは、音の粒をクッキリと鮮やかに立たせていこう、という意志が、随所に見て取れた演奏だったとも言いたい。
そのような意志は、指揮の素振りにも、そのような性格を明確に団員に伝えようと心を砕いていた様子が如実に現れていました。そこには、アカデミー機能を持ったPACオケに、≪幻想≫はこのように演奏するべきなのだよと、手取り足取り教え込んでいたような風情が感じられもしたものでした。それは特に、第1楽章において顕著に感じられた。
第1楽章は、長い序奏部を持ちますが、主題提示部に入って第1主題が提示される箇所では、アゴーギクの揺れが大きく、かつ、クレッシェンドとデクレッシェンドが短い波長で繰り返されます。そこで要求される細かな表情を、丹念に指揮の動きで伝えようとしていた。ここに、カンブルランの誠実さを垣間見た思いを抱いたものでした。
かように、まずは、明瞭に≪幻想≫を奏でていこうという傾向が前面に出ていたように思えます。そのような姿勢が、本日の≪幻想≫での演奏のベースになっていた。
そのうえで、大袈裟な表現を施さずに、端正に作品の姿を描き上げよう、という方向性を重視していたように思えたものでした。更に言えば、息遣いは自然であり、この作品が持っているエネルギーを過不足なく自然に放出させよう、というスタイルを貫いていたように思えた。それゆえに、例えば、最終楽章の最後の箇所では、過剰に煽るような音楽づくりではなかったものの、必要十分な高揚感を築き上げていた。
しかも、全編を通じて、エレガントな雰囲気が漂っていた。がなり立てるようにして演奏するようなことは皆無で、ゆとりを持ちながらも、シッカリとエネルギーを放出させながら、格調高く奏で上げてゆく。そのような演奏ぶりが貫かれていた。
そんなこんなによって、力感に不足がなく、かつ、コクの深さの感じられる≪幻想≫の姿が現れてきた。そんなふうに言えそうな演奏でありました。それはすなわち、カンブルランの音楽性の豊かさや、円熟ぶりが見て取れる演奏だったとも言えそう。
聴き応え十分で、作品の魅力を堪能することのできた、素敵な≪幻想≫でありました。