井上道義さん&PACオケ&服部百音さんによる演奏会を聴いて

今日は、井上道義さん&兵庫芸術文化センター管弦楽団(通称:PACオケ)の演奏会を聴いてきました。
オール・プロコフィエフ・プログラムとなっていまして、下記の2曲が演奏されました。
ヴァイオリン協奏曲第1番(独奏:服部百音さん)
交響曲第7番

スリリングな演奏を聞かせてくれることが多い、というイメージのある井上道義さん。プロコフィエフの作品とは相性が良いのではないだろうかと、期待を寄せながら会場へと向かったものでした。
併せまして、昨年の9月に催された川瀬賢太郎さん&アンサンブル金沢による大阪公演で、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾いた服部百音さんを再度聴くことができることも関心事の一つ。今年23歳になる服部さん。若手のヴァイオリニストの中でも注目株の一人と言えそうな服部さんによる昨年のメンデルスゾーンですが、私には、楽器が充分に鳴りきっていないように思え、かつ、作品への切れ込みに今一つ不足があったように感じられ、今一つピンときませんでした。それだけに、本日のプロコフィエフではどのような演奏を聞かせてくれるのだろうかと、楽しみでありました。

兵庫県立芸術文化センターの建物前。春の花が咲き誇っていました。

さて、それでは、本日の演奏を聴いての印象に書いてゆくことにしましょう。まずは、前半のヴァイオリン協奏曲から。
本日のお目当ての一つであった服部さんによるヴァイオリンであります。今日聴いての印象はと言いますと、昨年のメンデルスゾーンでの印象から覆された点もあれば、その印象の延長線上にあった部分もあった(と言いますか、メンデルスゾーンでの印象を、より一層確かなものとする演奏ぶりであった)、というもの。まず、感心した点から触れていきたいと思います。
この作品が持っている、幻想的で、彼岸的な性格を、よく表してくれていたヴァイオリン演奏であったと思えました。音楽に鋭敏な性格が与えられていて、かつ、デリケートであって、この作品が持っている、たゆたうような空気感や玄妙さといったものも遺憾なく生かされていた。
そのうえで、第2楽章での機敏な動きも、カッチリと弾き切っていて、唖然とさせられた。昨年のメンデルスゾーンでは、音程が不安定であったように聞こえたのですが、今日の服部さんを聴くと、確かなヴィルトゥオジティの持ち主であるということがよく理解できました。充分にエッジの効いている演奏となってもいた。
全体を通じて、作品への一体感のようなものが存分に感じられた演奏であったと思います。ある種、作品の世界へと憑依したような演奏ぶりでもあった。
しかしながら、今日の演奏を聴いても、服部さんのヴァイオリンは線が細すぎるように思えてなりませんでした。と言いますか、「肉付き」が薄いように思えてならなかった。そのために、音楽が宿している生命力や逞しさや、音楽としての「実在感」のようなもの、聴いていての「手応え」のようなものが、希薄であるように思えてならなかった。
例えばムローヴァによるヴァイオリンも、繊細かつ鋭敏で、服部さんと似たような性格を持っていると言えるのではないでしょうか。玄妙さが立ち昇るヴァイオリンであるとも言えそう。そのうえで、ムローヴァのヴァイオリンには、肉付きの良さが備わっていて、逞しい生命力や実在感に不足を感じるようなことはない。そのことによって、精彩に富んだ音楽が現出することとなる。シリアスで緊迫感の高い音楽でありつつも、豊饒な音楽となる。服部さんによる本日の演奏からは、そのようものが感じられなかったことが残念でありました。
そのような服部さんをサポートしていた井上さんは、表情豊かな音楽づくりでありました。この作品が持っている玄妙さ、夢幻的な世界観というものを的確に表現してくれていた。雄弁であり、かつ、しなやかさを備えていた演奏ぶりでもあった。見事な指揮であったと思います。
アンコールは、面白い趣向が凝らされていました。演目は、プロコフィエフの≪3つのオレンジへの恋≫から「行進曲」。このナンバーを、オーケストラのバックとともに、ヴァイオリンが主旋律をなぞりながら演奏してゆく、というものでありました。
短い序奏をオーケストラが高らかに奏で上げられた後に、舞台脇から服部さんが現れてテーマとなる旋律を奏でながら行進してくる。指揮台に辿り着いた服部さんは、指揮をしている井上さんを挑発したり、茶々を入れたり。そんな、服部さんと井上さんのユーモア溢れるやり取り(それは、コント風であったとも言えそう)に、にやりとさせられる「舞台」となっていました。演奏ぶりもまた、ユーモアの感じられるものでありましたが、ここでもやはり、服部さんの「線の細さ」のようなものが感じられたのは、ヴァイオリン協奏曲での印象と同様でありました。

さて、続きましては後半の交響曲について。
協奏曲での演奏と同様に、表情タップリな演奏でありました。何と言いましょうか、井上さんのサービス精神のようなものが前面に出ていると思える演奏でありました。アイロニカルであったり、シリアスであったり、といった味わいに不足はなく、かつ、親しみやすさの感じられる演奏でもあった。それがまた、プロコフィエフの音楽に似つかわしい。
そのうえで、壮麗であり、艶やかさもあり、スリリングでエネルギッシュである演奏が展開されていった。最終楽章などは、愛嬌タップリでもあった。
井上さんとプロコフィエフの音楽の相性の良さを痛感いたしました。
こちらでもまたアンコールが演奏され、プロコフィエフの≪古典交響曲≫から第3,4楽章が演奏されました。ただ、こちらは、悪ふざけが過ぎたかな、と。特に第3楽章が。音楽を故意にギクシャクさせて、ユーモアたっぷりに奏で上げられていたのですが、もっと端正な音楽であって欲しかった。第4楽章は、スピード感のある演奏ぶりで、それは大いに結構なのですが、展開部をカットして、ただでさえ短い音楽が随分と短縮されていたのは欲求不満に陥ってしまいました。テキパキとした演奏ぶり(と言いますか、ドライブ感が抜群だった)に好印象を抱いただけに、第4楽章を本来の形で味わいたかったというのが正直なところであります。