原田慶太楼さん&京都市交響楽団に、森麻季さんと京響コーラスが共演しての演奏会を聴いて

2023年8月20日

今日は、原田慶太楼さん&京響による演奏会を聴いてきました。プログラムは、下記の通り。
①ヴェルディ ≪アイーダ≫より「凱旋行進曲とバレエ音楽」
②ストラヴィンスキー ≪道楽者のなりゆき≫より「トムからは何の便りもない」(ソプラノ独唱:森麻季さん)
③ボロディン ≪イーゴリ公≫より「ダッタン人(ポロヴェッツ人)の踊り」※
~休憩~
④ラター ≪レクイエム≫(ソプラノ独唱:森麻季さん)
①③④では、京響コーラスが共演

※我が国では「ダッタン人の踊り」と呼ばれるのが一般化していますが、本来は「ポロヴェッツ人の踊り」となるべきところを間違って日本語訳されています。ダッタン人とポロヴェッツ人は、異なる民族。

前半の3曲では、オペラ・ガラコンサートのような多彩な構成になっています。原田さんは、アリゾナ・オペラのアシスタント・コンダクターを務めておられますので、そこでの演奏体験を生かしてのプログラミングなのかもしれません。そして、後半にはラター(英国、1945-)の≪レクイエム≫が置かれている。
ラターの≪レクイエム≫は、未知の作品でありました。そこで、昨夜、NMLに所蔵されている自作自演の音源を聴いて、予習をしてきました。その音楽世界はと言いますと、フォーレの≪レクイエム≫の系譜に属するような、透明感に満ちたものでありました。
10年ぶりくらいに実演で接することになる森麻季さんの歌唱も併せて、どのような演奏に巡り会うことができるのであろうかと、ワクワクしながら会場に向かったものでした。

なお、開演前に催された原田さんによるプレトークによると、まずはコーラス付きのプログラムにしようというところから練られていって、そこに、かねてから共演を望んでいた森麻季さんをソリストに迎えよう、というふうに構成していったようです。原田さん、森さんとはテレビ番組の収録でご一緒した経験はあるものの、その時には共演はしていなかったとのこと。それ以来、共演の機会を窺いながらもスケジュールが合わずに、ようやく本日、共演が実現したとのことでした。
また、プレトークでは、今日が森さんの誕生日であることも紹介されていました。

京都コンサートホールの入口の様子

それでは、演奏を聴いての印象について触れていきましょう。まずは前半から。
≪アイーダ≫も「ダッタン人の踊り」も、スリリングでオペラティックな演奏。音楽が存分にうねっていて、生命力に溢れた演奏が展開されました。
全曲演奏以外では演奏会で聴く機会の滅多にない≪アイーダ≫のバレエ音楽で充実した演奏を聴けたのも、本日の収穫の一つ。スピード感に満ちた演奏が展開されていて、このナンバーの魅力を存分に味わうことができました。また、このナンバーで大活躍する木管パートを、京響のメンバー達は音の粒をクッキリと際立てた演奏ぶりで聞かせてくれ、見事でありました。
なお、≪アイーダ≫では、シンバルが随分と控えめに鳴らされていましたが、「ダッタン人」では、しっかりと主張していた。オペラにおけるシンバルは、盛大に打ち鳴らすと歌や音楽を掻き消してしまう恐れがあるため、得てして控えめに鳴らされるのです。とは言うものの、≪アイーダ≫で今日演奏された場面ではシンバルが重要な役割を果たしているために、もう少し大きく叩いて欲しかった。私の脳内で、シンバルの音量を増大させながら聴いたものでした。「ダッタン人」は、合唱付きによる演奏ではありましたが、管弦楽曲として捉えてのシンバルの処理だったのでしょう。
(ちなみに、≪アイーダ≫のバレエ音楽でのトライアングルも、音量を絞っていた。こちらもまた、脳内で音量調整をしながら聴いていました。)
真ん中に配置された≪道楽者のなりゆき≫からのアリアにおける森麻季さんによるソロでは、透明感があり、抒情性に溢れ、表情が細やかで、素敵な歌を聞かせてくれました。歌いぶりや、フレーズの捉え方が、自然で滑らかで、しなやかで、伸びやかでもあった。その一方で、虚脱感のようなものや、決然とした意志が感じられもした。
森さん、素晴らしい歌唱でありました。

それでは、後半のラターについて。こちらは、今一つ心に響かなかったというのが正直なところでありました。但し、昨夜、予習で聴いた時に気付かなかった「気付き」もあった。
昨夜聴いた時には、この曲は、終始、フォーレのレクイエムに通じるような清澄な音楽だという風に思えたのですが、今日聴いてみると、冒頭部分がかなり不穏な雰囲気を湛えたものとして聞こえてきた。それはあたかも、ブリテンの≪シンフォニア・ダ・レクイエム≫の冒頭に通じるような音楽世界。それは、原田さんが意図的に描き上げたものだったのでしょうか。今の私には、その判断が付きませんが、興味深く聴いたものでした。ちなみに、ブリテンもラターも、同じ英国人。ラターは、ブリテンのあの曲を意識していたのかもしれません。
また、「サンクトゥス」は3拍子が採られていたのですが、その音の繋がりにカリヨンが打ち鳴らされている様子を想起させられたのもまた、興味深かった。
森さんの独唱は、前半同様に繊細にして清澄なもの。声量があまりないために、慎ましやかな音楽として聞こえてくるのも、この作品の性格に相応しいと言えそう。但し、最終曲での歌いぶりが、やや苦し気だったのが惜しまれます。森さん、あまりコンディションが良くなかったのかもしれません。以前聴いた時より、全体的に声量が抑え目だったのも、コンディションのせいだったのでしょうか。
原田さんによる音楽づくりは、この作品への愛情が感じられたものの、ちょっと淡白だったと言えそう。原田さん、前半では音楽を存分に煽り、うねりを持たせながら演奏しており、それが生命力に満ちた音楽を築き上げてくれていたのですが、ラターでは、そのような気概のようなものが、今一つ薄かったように思えたものでした。

かように、個人的には出入りのある演奏内容だったと思えた演奏会ではありましたが、前半の3曲での演奏の素晴らしさに大いに満足させられた演奏会でありました。