下野竜也さん&関西フィルによるオール・ドヴォルザークの演奏会を聴いて

今日は、下野竜也さん&関西フィルによるオール・ドヴォルザークの演奏会を聴いてきました。
演目は、下記の通りであります。
●序曲三部作「自然と人生と愛」
   序曲≪自然の中で≫ 作品91

序曲≪謝肉祭≫ 作品92

序曲≪オセロウ≫ 作品93 ●交響曲第6番 作品60

ドヴォルザークの演奏会用序曲の三部作「自然と人生と愛」を3曲まとめて演奏会で採り上げるのは、とても珍しいことなのではないでしょうか。プログラム冊子にも、ドヴォルザークの母国チェコでも3曲まとめて演奏は少なく、本日は貴重な機会と言えよう、と書かれています。
そこで、演奏会を聴き終えての印象なのですが、三部作「自然と人生と愛」が演奏された後に、休憩を挟んで交響曲第6番が演奏されるという、この取り合せに、自然な流れが感じられたものでした。と言いますのも。
交響曲第6番は、前半の3つの演奏会用序曲に添えられている「自然と人生と愛」という副題の延長線上にある作品だと言えるように思われるからであります。陽光が降りそそぐような、牧歌的で朗らかな旋律によって開始される交響曲第6番。ここで描かれている音楽世界は、飾り気がなくて心懐かしくなってくる「美しい自然」であると言えましょう。そう、のどかな田園風景が一気に広がってゆくような思いを抱かせてくれる交響曲第6番。このような性格を考慮すると、「自然と人生と愛」と組合せるということになれば、交響曲第8番か、もしくは第6番が的確であるように思えてなりません。
それに加えて、急速なテンポを伴ったチェコの民族舞曲であるフリアントが用いられている第3楽章では、農民たちの活気に溢れた輪舞を見るかのような気分にさせてくれる。ここでは、美しい自然のみならず、そこに暮らしている逞しくて屈託のない人々の生活が描かれていると受け取れるのであります。
プログラムの前半と後半との間に、しっかりとした筋の通っている、素晴らしいプログラミングであったと思えます。3曲まとめて採り上げられることの少ない演奏会用序曲をフルセットと、これまた演奏機会の決して多くない交響曲第6番とを、頗る自然な形で取り合わせているのも、なんとも好ましいところであります。

本日のザ・シンフォニーホール前の様子

そのような素敵なプログラム構成による本日の演奏会でありましたが、演奏内容もまた、頗る素敵なものでありました。それもこれも、下野さんの演奏ぶりが、頗る健全であり、伸びやかで率直なものであり、そのことによって作品の魅力を等身大な形で味わうことができた、という点に尽きるように思うのであります。
今申し上げたことは、前半の三部作にも、後半の交響曲にも共通して当てはまる。そう、下野さんは、本日の演目の4曲を、屈託なく朗らかに、しかも力感たっぷりに、生き生きと描き上げてくれたのでありました。
と言いつつも、変に力み返って、力ずくで押し切るような演奏ではありませんでした。このことが如実に現れていたのが≪謝肉祭≫であったように思えます。≪謝肉祭≫は、その題名からも想像できるように、とても賑やかで活力に満ちた作品であります。ある種、お祭り騒ぎになってしまいかねないような作品であるとも言えそう。しかしながら、下野さんは、オーケストラをガンガンと掻き鳴らしながら勇ましく奏で上げてゆくというスタイルを採っていませんでした。力8分目といった感じで、ゆとりを持って音楽を鳴らしていた。そのために、全くこけおどしな演奏とはなっていなかった。それでいて、力感や推進力に不足はない。そのために、音楽のフォルムが美しく保たれたうえで、目鼻立ちのクッキリとした音楽が鳴り響いていた。
その一方で、交響曲の両端の急速楽章での終結部では、音楽を必要十分に煽っていて、激情的かつ雄大な音楽を奏で上げていて、昂揚感も充分であった。第3楽章のフリアントは、この舞曲が持っている性格に相応しい躍動感に溢れていた。
それらの音楽表現が、誠に自然であり、かつ、フレッシュでありました。スッキリとした佇まいの中に、シッカリとした生命力が蓄えられたものとなっていて、正々堂々としていて清々しくもあった。音楽の息遣いも、頗る自然であった。
下野さんの素晴らしい音楽性が真っすぐな形で現れていた、とても素敵な演奏会であったと思います。