アルゲリッチによるショパンの≪24の前奏曲≫op.28を聴いて
アルゲリッチによるショパン集から≪24の前奏曲≫op.28(1977年録音)を聴いてみました。
なんとも内省的な演奏であります。アルゲリッチがよく見せる、奔放な演奏ぶりが影を潜めているような。或いは、誤解を恐れずに表現すれば、爪を隠しているかのような。そんなふうに言える演奏が繰り広げられている。
しかしながら、時と場合によっては、強靭な打鍵を繰り出したり、敏捷性を見せたりもします。例えば、短い第5番では、細かな音符の連なりが、機敏に紡ぎ上げられてゆく。第8番では、音楽が激しく流れてゆく。例えば、「雨だれ」の副題で知られる第15番での中間部では、強靭な音楽が奏で上げられている。或いは、続く第16番では、疾風が駆け抜けてゆくが如き情熱的な音楽づくりを示されている。第22番では、荒れ狂うような表情を見せてくれていたりもする。そして、最終曲では、表情記号が示す通りのappassionatoな音楽が展開されている。
概して、後半の曲の数々では、激流を思わせるパッショネートな演奏が繰り広げられる機会が多くなっているように思えます。しかしながら、本質的には内省的な音楽づくりに重きが置かれているように思えてなりません。
そのような内省的な表現を主体としつつ、振幅の大きな音楽を聞かせてゆくアルゲリッチ。その様には、一種の畏怖すら覚えてしまう。
アルゲリッチの奥深さを感じ取ることのできる演奏だと言えるのではないでしょうか。