京都市交響楽団の第九コンサートを聴いて

今日は、京響の第九を聴いてきました。
第九の実演に接するのは、約10年前に広上淳一さん&日本フィルによる演奏を聴いて以来。第九はどうも、苦手なのであります。しかしながら、地元の京響による演奏、しかも、指揮がデニス=ラッセル・デイヴィス、独唱陣も豪華ということで、今年は聴きに行くことにしたのでした。

第九は「崇高な音楽」という評判が高いですが、私は、ベートーヴェンが作曲した9つの交響曲の中で、最も俗っぽい曲だと考えています。特に最終楽章が。それも、「歓喜の歌」のテーマがオーケストラで提示され、声楽が入ってくる前にトゥッティで高らかに奏で上げられたその瞬間から、それ以降の部分が(164小節目以降になります)。
どうして、ベートーヴェンほどの「偉大なシンフォニスト」が、交響曲というジャンルで(ここには、ベートーヴェンの手によって産み出された交響曲は神聖なものであって欲しいという、私の偏見のようなものが含まれています)、あのような俗っぽい曲を書いてしまったのだろうか。不思議に思えてなりません。
(この思いについては、大学オケに所属して折にも、練習後の居酒屋で、酒を酌み交わしながら仲間たちに吐露したものでした。)

かのクナッパーツブッシュも、第九に好意的ではなく、音楽界で確固たる地位を築いて以降は、おそらく一度も演奏していません。
「わしは、どうも第九は好きになれん。あんなしょうもない曲を演奏する暇があったら、他に演奏せないかん曲が、わしには山ほどある。」
そのような趣旨のことをクナッパーツブッシュは語っていたそうです。この言葉を見たときには、同志に出会えた気分になり、狂喜したものでした。

11月にNHKで放送された「ベートーヴェンの謎」という番組では、「ベートーヴェンの会話帳」を元にしながら、様々な角度から、ベートーヴェンを採り上げていました。そして、番組の最後で、ベートーヴェンが酒場で第九について記していた言葉が紹介されました。(確か、「乾杯!!」といったような言葉だったような。)
その言葉は、崇高な理念を語ったようなものではなく、とても俗っぽかった。番組の中でも、ベートーヴェンが第九に求めていた音楽世界は、酒場の雰囲気に近かったのではないでしょうか、といったコメントがなされていて、「まさに、そのように言えるよなぁ」と共感したものでした。

ちなみに、ここまで、こんなふうに書いてきましたが、「交響曲」というレッテルを外して第九の最終楽章に接すると、聴いていて気分は昂揚してきます。共鳴できる箇所も多い。
第九は、積極的に聴こうという気分にはなかなかなれませんが、決して嫌いな作品ではありません。

そんなこんなの思いを抱きつつ、今日は、どのような「酒場の音楽」に出会うことができるのだろうかと、演奏者への期待を込めながらホールへと向かったものでした。

京都コンサート・ホールの入口前の池には、イルミネーションが

それでは、今日の演奏を聴いての印象について。
遅めのテンポを基調にしながら、雄大な音楽世界を築き上げよう、という意図の強かった演奏でありました。レガートを効かせる箇所が多く、滑らかさを前面に出そうとしてもいた。それでいて、時に、音の粒をクッキリとさせて(冒頭の箇所などに、その傾向が見られました)、輪郭を明瞭に描こうとしている場面も多々見られました。それはそれで、それぞれの瞬間においては、納得のできるアプローチだと感じられた。
しかしながら、それらの音楽表現が、一点に収斂されていないように思えたのであります。アーティキュレーションの処理に曖昧さが感じられもした。何と言いましょうか、散漫な演奏になっていたように思えたのであります。
しかも、雄大な音楽に仕上げようとしつつも、壮麗な音楽になり切っていないようにも感じられた。さして輝かしくなかった。昂揚感も充分だとは思えなかった。そのために、崇高でもなければ祝祭的でもない第九が鳴り響いていた。「酒場の音楽」としての雰囲気にも乏しかった。そのような印象でありました。
あの、天国的に美しい第3楽章も、あまり精妙なものではなかった。演奏の「純度」のようなものも、高いとは思えなかった。(第3ホルンは、余裕を持って滑らかに吹いていて、心の中で拍手喝采しました。)
全編を通じて、何とも「もどかしい」演奏でありました。
なお、第1楽章の遅さが気になって、演奏時間を計測し始めたのですが、第3楽章に入る前のチューニングと独唱陣の入場も含めて(合唱団員は、第1楽章が始まる前に入場済み)70分ほど。時間としては標準的な長さなのでしょうが、全体的に「まったり」とした時間が流れた、という印象でもあります。そう、緊張感があまり感じられない演奏だったとも言えそう。以前のD.R.デイヴィスの演奏ぶりは、キビキビとしていて克明で、緊張感もあった、という印象だったために、この点でも意外でありました。
(克明という点では、今日の第九にも片鱗が見られましたが。)

来年の京響の第九の指揮は、大友直人さんとのこと。
大友さんの実演では、昨年の京響とのサン=サーンスの≪オルガン付き≫他、今年の大阪フィルとのベートーヴェンの≪英雄≫他で、大いに共感のできる演奏に巡り会えています。来年の京響の第九に、早くも想いを馳せてしまいました。