イッセルシュテット&北ドイツ放送響によるブラームスの交響曲第4番を聴いて

イッセルシュテット&北ドイツ放送響によるブラームスの交響曲全集から第4番(1973/5/21ライヴ)を聴いてみました。イッセルシュテット(1900-1973)は、この演奏から僅か1週間後の5/28に急逝しています。
ちなみに、彼の最後の録音となったのは、1973/5/24-26にブレンデルとセッション録音を行ったブラームスのピアノ協奏曲第1番。このときのオケはコンセルトヘボウ管でありました。

さて、今回聴きました交響曲第4番について。
質実剛健にして、ケレン味の全くない演奏となっています。虚飾を排した、誠実な演奏ぶりが示されている。媚びを売るようなところが全く感じられない。
そのうえで、充分に逞しくて、生命力に溢れています。更には、凝縮度の高い演奏が繰り広げられている。それでいて、堅苦しさは微塵もなく、しなやかな演奏ぶりとなっている。シッカリとした起伏が取られていて、彫琢が誠に深い。ブラームスならではの「うねり」も十分に備わっていて、熱気を帯びていて、ロマンティックでもある。
息遣いは、とても自然。伸びやかで、ふっくらとしていて、それでいて芯が強い。そして、クライマックスでの昂揚感の大きさを含めて、感興がとても豊か。
そういったことが、これ見よがしな形でなく、ごく自然に、そして、充分なる手応えを感じさせる形で提示されてゆく。
そのようなイッセルシュテットの音楽づくりに対して、1971年まで彼の手兵であった北ドイツ放送響(現在の、NDRエルプフィルハーモニー管)は、献身的に応えています。それも、全幅の信頼を寄せ、完全なる共感を示しながら、イッセルシュテットが示そうとしている音楽を、実際の音にしてくれている。私には、そのように思えてなりません。

作品のありままの姿を、真摯に描き上げようという意志の貫かれた演奏。そのために、これと言って特別なことをしている訳でもないように思えるのですが、充実感いっぱいな音楽が鳴り響いている。その先から見えてくるのは、この作品の等身大の魅力。
そのような演奏が、1970年代に、ハンブルクというブラームスが生まれ育った街で響き渡っていたということへの尊さのようなものが感じられます。そしてその記録を、およそ半世紀後の我々が音盤を通じて聴いている。飾り気のない、素顔のブラームスの姿が刻まれていると言えそうな演奏の記録を。
(2001年の1月~2月に29日間かけてヨーロッパを周り、オペラ公演、オーケストラの演奏会、室内楽の演奏会、更にはヴェルディの没後100年を記念しての≪レクイエム≫など、計33の音楽会に接したのですが、ハンブルクにも寄りまして≪フィガロの結婚≫を観てきました。そのとき見かけた、ストリート・ミュージシャンのヴァイオリン弾きがブラームスのハンガリー舞曲第5番を弾いている姿に、強烈なインパクトを受けたものでした。そして、「あぁ、今、自分は、ブラームスの街に居るのだなぁ」という思いがフツフツと込み上げてきたものでした。)

それにしましても、ここでのイッセルシュテットによるブラームス、実に立派で魅力的な演奏であり、かつ、なんとも感慨深い演奏であります。