小泉和裕さん&大阪フィルの京都特別演奏会を聴いて

今日は、京都コンサートホールで、小泉和裕さん&大阪フィルによる京都特別演奏会を聴いてきました。演目は、下記の2曲。
●メンデルスゾーン ≪イタリア≫
●チャイコフスキー ≪悲愴≫

小泉さんの実演を聴くのは、これが5,6回目くらいになるでしょうか。基本的に、几帳面な音楽づくりをするというイメージが強いですが、直近で聴いたのは2018年6月の九響との演奏会で、そこでのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(独奏は小山実稚恵さん)とブラームスの交響曲第1番は、真っ直ぐで、ケレン味のない演奏ぶりをベースとしながらもアグレッシブな演奏を展開していて、グッと惹きこまれました。
超名曲の2曲を並べての、今日の演奏会。はたして、どのような演奏を聞かせてくれるのだろうかと、楽しみに会場へ足を運びました。

それでは、実際に聴いてみての印象について。まずは、≪イタリア≫からであります。
小泉さんらしい、几帳面な演奏でありました。そのような中で、両端の急速楽章が素晴らしかった。
特に、最終楽章。活力に満ち、熱気に溢れていました。音楽を、グイグイと押してゆく。このような演奏を聴くと、小泉さんが「情熱の人」だということが解ります。と言いましても、空回りはしていない。理性的であり、端正な佇まいを示しつつも、力の籠った演奏が展開されていた。見事でありました。
第1楽章も、小気味良くて、推進力があって、弾力性もあった。演奏ぶりに屈託がなく、音楽の表情が伸びやかで晴れやかだったところも、この作品に相応しい。そのうえで、どこにも破綻の無い、安定感のある音楽が鳴り響いていました。
こういった印象を強めてくれていたのが、大フィルのまろやかでコクのある響き。音に弾力性があり、伸びやかでもある。こういったことは、つい4日前に聴いた大友直人さんとのベートーヴェンからも同様に感じられただけに、これが大フィルの体質であり、魅力なのだという思いを強くしました。
ただ、中間の2つの楽章が、表情がノッペリとしていて、起伏に乏しく単調であったのが残念。両端楽章ではリズミカルでダイナミックな演奏であったこととは対照的に、中間の2つの楽章では、レガートで音楽を敷き詰めようという演奏ぶりに終始していたのでした。それ自体は、決して悪いことではないと思えるのですが、音楽を滑らかに奏でようという意図以上のものを、私は感じ取ることができずに、表情が平面的に感じられ、面白味に欠けたものになっていた、という印象でありました。音楽から推進力が感じられずに、沈滞していたようにも思えたものでした。

ところで、今日の座席は、ステージに向かって左側の真横。座席番号で言えば、2階 L2列 13番。1st.Vnと2nd.Vnが座っている境目の真後ろ辺りになります。客席は、ステージとの高低差があまり無いため、すぐ目の前で、ヴァイオリンを弾いていて、それを背後から聴いている、といった格好。
これが、かなり音響が良いのです。音がまろやかに聞こえてくるし、何よりも面白いのが、ヴァイオリンの音の粒がクッキリと聞こえてくる。オケ全体の音も、それなりにブレンドされている。そして、音像が鮮やか。なるほど、楽器の音量バランスは最適とは言いかねるのですが、それでも、予想以上にバランスが取れている。
加えて、指揮者の動きや表情を、全て把握できる。(指揮者を見る状態は、ヴァイオリン奏者と変わりませんので。)
この日のチケットの中では最も低料金なカテゴリーの席だったのですが、この辺り、京都コンサートホールの穴場と言える席なのかもしれません。

続きましては、メインの≪悲愴≫についてであります。こちらもまた、大熱演。この演奏会を聴く前は、小泉さんは「あっさり味の人」という印象が強かったのですが、決して、そんなことはないのだということを、今日の2曲を聴いて痛感しました。
第1楽章の展開部などは、音楽が渦巻いていました。第3楽章は、速めのテンポで邁進し、最後のほうでは更にアッチェレランドを掛けて突き進む。最終楽章は、あちらこちらで慟哭が聞こえてくる。頗る彫りが深くもあった。
この3つの楽章での演奏ぶりに共通すること、それは、全くケレン味のない、真摯なものだったということ。であるからこそ、それぞれの表情に真実味があった。そう、全く、こけおどしな演奏にはなっていなかったのであります。
全体的には、≪イタリア≫以上に、堂の入った演奏であったと思えました。何よりも、小泉さんの、この曲への思い入れの強さ、共感の深さが、ヒシヒシと感じられた。特に、最終楽章での没入感は、凄まじいものがありました。
(ちなみに、≪イタリア≫も≪悲愴≫も、暗譜で指揮をされていました。)
第2楽章が、ちょっと没個性的(ここでも、レガートを効かせて、ゆっくりめのテンポで粘りながら音楽を進めてゆく)ではありましたが、この作品の魅力をストレートに味わうことのできる佳演であったと言えましょう。

≪イタリア≫同様に、≪悲愴≫でも今日の座席で聴く愉しみを、大いに味わうことができました。
ただ、この日のホルンはステージの下手側に座っていたため、ベルが私の席の方向を向いており、ホルンが強奏すると音が直撃するような塩梅になっていたのが、ちょっと不自然でありました。とは言いましても、ホルンの細かな動きまで手に取るように聞こえてくるため、なかなか興味深く聴くことができたのも事実。そういう意味でも、面白い席であります。