佐渡裕さん&PACオケの演奏会を聴いて

今日は、佐渡裕さん&兵庫芸術文化センター管(通称:PACオケ)の演奏会を聴いてきました。演目は、下記の2曲。
●ハイドン 交響曲第90番
●ブルックナー 交響曲第6番

佐渡さん&PACオケによる演奏は、4ヶ月前に聴いたショスタコーヴィチの交響曲第5番が規格外の素晴らしさであっただけに、今回のハイドンとブルックナーは如何ばかりであろうかと、期待に胸を膨らませてホールに向かったものでした。
聴後の満足感はと言えば、期待を大きく上回るものでありました。

ホール前の花壇には、ススキが植えられていました。秋ですねぇ。
そのススキも、台風の影響なのでしょう、強い風で大きくなびいていました。

では、この演奏会を、どのように感じたかについて書かせて頂きます。まずは、前半のハイドンから
覇気が漲っていて、躍動感に満ちていて、明朗なハイドン演奏でありました。ハイドンは、こうあって欲しいという要望を満たしてくれていた演奏だったと言えましょう。
適度に引き締まっていてスタイリッシュで、それでいて、適度にふくよかで、潤いもあって。伸びやかで、晴れやかで、推進力に満ちた音楽が奏で上げられていました。そのうえで、ハイドンならではの、人懐っこさも充分。最終楽章で仕掛けられているハイドンの「悪戯」(あたかも曲が終わったかのように見せかけて、実はまだ続く、という悪戯。しかも、それが2回も起こる)での、聴衆をまんまと嵌める演出もバッチリで、遠くから見ていても、佐渡さんが「してやったり」とほくそ笑んでいるような様子を窺うことができました。
茶目っ気たっぷりな曲であり、演奏が繰り広げられた前半。大いに楽しませてくれた、素敵な演奏でありました。
前半が終わり、「さぁ、次は、打って変わってのブルックナー。ハイドンが素晴らしかっただけに、大いに期待ができそう」との思いを巡らせたものでした。ここで感じたのが、ブルックナーの前にハイドンを置く、ということの素晴らしさ。プログラム冊子に印刷されているコメントや、開演前のプレトークの中でも、佐渡さん本人も、ハイドンとブルックナーの組み合わせは、かなり気に入っているということに触れていました。

さて、メインのブルックナーでありますが、こちらの演奏もまた、実に素晴らしかった。前半のハイドン以上の感銘を受けたものでした。
ハイドン同様に覇気の漲っていた演奏でありました。壮麗で輝かしかった。それでいて、ケバケバしい演奏になっていた訳ではありません。浮ついた音楽になっていた訳でもありません。どっしりとした土台の上に、たっぷりとした音楽が鳴り響いている。そのよう演奏が、終始展開されていた。
テンポはやや遅め。それでいて、音楽が間延びするようなことはない。豊かな音楽が鳴り響いていました。息遣いが自然で、流れの滑らかな音楽であった。それでいて、ブルックナーならではの階段状に音楽が聳え立つような雄大さを備えていた。
この作品ならではの力感にも不足はない。壮健にして、鮮やかな音楽でありました。そして、実に逞しい演奏であった。第2楽章での敬虔な雰囲気にも不足はなかった。
ゲスト・トップ・プレイヤーとして、トランペットには元バイエルン放送響のソロ主席奏者(ハネス・ロイビン氏)が、ティンパニにはウィーン交響楽団の首席奏者(ミヒャエル・ヴラダー氏)が加わっていたことが、オーケストラに、まろやかさと、輝かしさと、安定感とを与えてくれていたようにも思えたものでした。

次回の佐渡さん&PACオケは、来年1月で、マーラーの交響曲第7番が予定されています。こちらもまた、期待大であります。