原田慶太楼さん&京都市交響楽団の演奏会の演奏会を聴いて

今日は、京都コンサートホールへ「京都の秋 音楽祭 2022」の開幕コンサート、原田慶太楼さん&京都市交響楽団の演奏会を聴きに行ってきました。
演目は、下記のロシア音楽2曲になります。
●ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番 ピアノ独奏:亀井聖矢(かめい・まさや)さん
●チャイコフスキー 交響曲第4番

京都の秋 音楽祭は、今年で26回目を迎えるとのこと。今日から11月23日までの2ヶ月強の間、オーケストラコンサートや、室内楽コンサート、各種のリサイタルなど、20を超える催しが組まれています。その中には、ラトル&ロンドン響、アンドリス・ネルソンス&ボストン響と、2つの外来オケのコンサートも含まれている。

さて、本日の演奏会でありますが、ピアノ独奏は、もともとは髙木竜馬さんというピアニストが予定されていましたが、体調不良のために降板。代役で亀井さんが務めることとなりました。亀井さんは2001年生まれの新進気鋭。2019年の日本音楽コンクールのピアノ部門で第1位を獲得しているようです。
指揮者の原田さんも、ピアノの亀井さんも、聴くのは初めて。どのような演奏に出会うことができるのか楽しみにしながら、会場に向かったものでした。

それでは、聴いてきました演奏に抱いた印象についてであります。
前半のラフマニノフのピアノ協奏曲、見事な演奏でありました。清冽な熱演。そのような表現が当てはまる演奏であったと思えます。
まずもって、亀井さんのピアノが見事。音楽が粘らずに、サラサラと流れる。冒頭で清冽と表現したのは、そのため。音が濁らず、音楽が沈澱するようなこともなく、清らかに流れていた。
その一方で、決して力で押し切るような演奏ではないものの、強靭さにも不足はない。スッキリとしたスマートな音楽づくりの中に、必要十分な逞しさが備わっている演奏となっている。音楽を急き立てるべき箇所では、切迫感を持って煽っても行く。その辺りの呼吸が、とても自然でもあった。
しかも、終盤に向けての高揚感も見事。冷静に音楽を開始させながら、クライマックスでは、エネルギッシュかつドラマティックな音楽世界を築き上げる。そのような構想に基づいて音楽を組み立てているようでありました。このことは、アンコールで披露されたリストの≪ラ・カンパネラ≫からも感じられた。亀井さんが基本に置いている演奏プランなのかもしれません。
そのような亀井さんのピアノを受けて、原田さんもまた、しなやかな、かつ、起伏のある音楽を奏で上げていて、とても好ましかった。
ピアノにいついても、指揮についても、爽やかな興奮を味わえた、素敵なラフマニノフでありました。
ちなみに、指揮者の原田さん、終演後にはかなり興奮しながら亀井さんをハグして、終始、亀井さんに盛大な拍手を送っていたのが、とても印象的でありました。その様子を見ていると、まさに亀井さんを激賞しているといった風。そのような激賞に値する、素晴らしいピアノ演奏であったと思います。また、亀井さんを称えている原田さんの姿が、「面倒見の良い、気さくなお兄ちゃん」といったふうに見えて、なんとも微笑ましく思えたものでした。

前半のラフマニノフが素晴らしかったために、メインのチャイコフスキーに対しても、大いなる期待を寄せたのですが。
その演奏はと言うと、なんとも個性的なものでありました。異様なほどに旺盛な表現意欲が込められていた演奏。それはもう、作品の随所に、指揮者のアイディアを散りばめていました。その様が、私には、演出過剰だと思わずにはおれませんでした。
好悪の分かれる演奏だと言えましょう。そして、私がどのように受け止めたかと言えば、私の趣味と大きく掛け離れたものになっていた、というのが、正直なところであります。
原田さんは、楽譜にないスビト・ピアノを多用し、いたずらに音楽に凹凸を付けようとする。そのあざとさには、辟易としたものでした。
また、随所で音楽に楔を打とうとする。そのこと自体は、決して悪いことではないのですが、そのことによって音楽が浮いてしまう箇所が頻発してしまい、聴いていて煩わしく思えてしまった。そう言えば、ラフマニノフの協奏曲でも、第2楽章から第3楽章に移行する場面で、思いっきり楔を打っていたものでした。ラフマニノフでは、頻発させていなかったために、効果的に作用しておりました。この辺りのバランスをどう採るか、それは、音楽センスの一部であると言えるのではないでしょうか。
更には、第1楽章の第2主題を筆頭に、音楽に倦怠感の色を帯びさせること甚だしかった。まるで、妖怪でも出てきそうな雰囲気が、随所に生まれていた。第1楽章の第2主題には、確かにそのような性格が込められているようにも思えます。但し、それが度を越していた。チェロの対旋律などは、もっと伸びやかに歌って欲しいところなのですが、ノッペリとした音楽となっていた。そして、他の箇所でも多用しすぎていた。そのことが、演出過剰という印象を強めてしまっていた。
他にも、わざとらしいテヌート奏法を多用したり、テンポの伸縮の幅をかなり広く採ったりと、あの手この手で、チャイコフスキーの音楽を「面白く」演奏しようと腐心していた。そんなふうに思えたものでした。
その手法が、私は、手練手管を尽くしていると思えてなりませんでした。もっと作品を信用して、作品に語らせてくれても良いのではなかろうか。そんなふうにも思えてなりませんでした。
本日のチャイコフスキーだけで、原田さんの音楽性について、私個人としての結論付けを行うのは危険なように思えます。今後も、幾つかの演奏に接して、そこからどのような感慨を抱くとこになるのか。次の機会に期待、であります。

前半のラフマニノフでは大満足な演奏に出会え、後半のチャイコフスキーでは疑問が残る演奏を聴かされることになった。なんとも高低差の激しい演奏会だったと言えそうですが、このような体験も、演奏会場に足を運ばなければ味わえないこと。
演奏会通いをする「面白味」を痛感できた、本日の演奏会でありました。