蚕ノ社の御手洗祭(足つけ神事)への参加と、クレンペラー&バイエルン放送響によるマーラーの≪復活≫を聴いて

今日は、年に1日だけの蚕ノ社での御手洗祭(みたらしさい)。そこで、蚕ノ社に行って、足つけ神事を行ってきました。
御手洗祭と言えば、下鴨神社での神事として広く知られていましょうが、太秦エリアに鎮座している蚕ノ社でも行われています。蚕ノ社にも糺の森(ただすのもり)があったりと、下鴨神社との類似点を多数持っているのが、なんとも興味深い。
こちらの御手洗祭に来るのは、昨年に続いて2回目。
2022年から昨年までの4年間は、下鴨神社での御手洗祭にも参加していましたが、料金が300円から500円に跳ね上がっているようなので、今年は蚕ノ社のみにしようかな、と。なお、蚕ノ社は無料であります。
下鴨神社と同様に、池の清水に足をつける「足つけ」もできます。ひんやりして、とても気持ちが良い。
「足つけ」をすると、疫病にかからないと信仰されています。これで、無病息災で過ごせそう。

さて、今日は、クレンペラー&バイエルン放送響によるマーラーの≪復活≫(1965年ライヴ)を紹介いたします。
独唱は、ジャネット・ベイカー(MS)と、ヘザー・ハーパー(S)。
クレンペラー晩年の演奏ではありますが、過度に遅いテンポが採られてはいません。トータルタイムは80分弱。≪復活≫の演奏時間としては、どちらかと言えば短いほうでしょう。クレンペラーは、同じマーラーでも、ニュー・フィルハーモニア管を指揮して1968年にセッション録音した交響曲第7番の≪夜の歌≫では、100分を超える演奏時間を要しながら尋常ならざる遅さで演奏しており、そちらとは対照的であります。
とは言うものの、聴感としては、テンポが速いとは感じられない。全体的に、ドッシリと構えた演奏ぶりとなっているのです。しかも、必要以上に遅くは感じられず、ましてや、音楽が弛緩するようなことはない。むしろ、覇気の漲っている演奏だと言えそう。緊迫感が強くもある。更に言えば、音楽が粘り気を持つようなことはない。
そのような音楽づくりをベースにしながら、気宇が大きくて、情感の濃やかな演奏が繰り広げられています。
それでいて、過剰に情念的になるようなことはない。適度に輝かしく、適度に壮麗な演奏が展開されています。そして、何よりも宏壮な音楽が鳴り響くこととなっている。そう、大きな拡がり感をもっている音楽となっているのです。そのうえで、コクの深さが感じられる。ズシリとした量感を湛えてもいる。
そのような中でも、エンディングでは、大きく音楽を伸縮させながら(すなわち、アゴーギクを存分に効かせながら)、壮麗かつ劇的なクライマックスを築いていて、なんとも見事。大いなる陶酔感を持って、曲を締めくくってくれています。
そのようなクレンペラーの音楽づくりに対して、バイエルン放送響は機敏に反応しながら、精度の高いアンサンブルと、過度に厚ぼったくはないながらも(そう、かなりクリアな音がしている)充分に重厚な響きもたらしてくれていて、この演奏に感覚的な喜びを加えてくれている。
独唱陣では、とりわけ、ベイカーの深々としていて陰影に富んだ歌が、魅力的。
手応え十分な、そして、なんとも立派な、素晴らしい演奏であります。





