小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトによるプッチーニの≪ラ・ボエーム≫の京都公演(第2日目)を観劇して

昨日(3/19)は、ロームシアター京都で小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトによるプッチーニの≪ラ・ボエーム≫を観てきました。
京都公演の2日目。この後、東京で1回、名古屋で1回の公演が組まれています。

このプロジェクトは、オペラを通じて若い音楽家を育成することを目的に、2000年に立ち上げられたもの。これまでにも、気になる公演が数多く組まれていましたが、観劇するのは初めてになります。
当初は、小澤さんご自身が指揮を執られていましたが、大病をされて以降は、小澤さんが信頼を寄せている指揮者を立てて、音楽づくりの指導に専念。この公演では、ベネズエラのエル・システマの出身であり、当プロジェクトの首席指揮者に就任したマテウス(当プロジェクトで首席指揮者を置くのは初めてとのこと)が、指揮を執っています。
マテウスは、サイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)にも招かれていて、SKOのアジアツアーでも指揮をしているようです。昨年の小澤征爾音楽塾での≪こうもり≫に続いて(そこでの演奏が高く評価されて、首席指揮者に任命されている)、当プロジェクトでは2回目の指揮とのこと。
マテウスも、キャスティングされている全ての歌手も、聴くのは初めて。初めての小澤征爾音楽塾によるオペラ公演に接するということも含めて、どのような公演になるのだろうと、ワクワクしながら会場へと向かいました。

観劇しての感想としては、歌手陣には概ね満足でありました。特に、4人のボヘミアンのうち、マルチェルロ、ショナール、コルリーネの3人の低音陣が充実していた。また、ミミを歌ったカバイエロは、第3幕以降、とりわけ第4幕が素晴らしかった。
まずは、マルチェルロ役のビズィックから。声量が豊かで、ハリのある声を惜し気もなく響かせながら、威勢が良くて、かつ、気っ風の良い歌を展開してくれていました。歌い口がスタイリッシュでもあった。何と言いましょうか、バリトンらしい歌手だという思いを強くしました。これまでに歌った主な役は、≪カルメン≫のエスカミーリョだったり、≪蝶々夫人≫のシャープレスだったり、≪愛委の妙薬≫のベルコーレだったり、≪ランメルモールのルチア≫のエドガルドだったり、≪エフゲニ・オネーギン≫のタイトルロールだったり、といったところのようです。このような諸役が並ぶのも、よく理解できる歌いぶりでありました。また、モーツァルトのオペラの役でも、数多くの舞台を踏んでいるようです。この日の歌を聴いた限りは、マクベスやナブッコ、≪アイーダ≫でのアモナスロといった、ヴェルディ作品でも、素晴らしい歌を聞かせてくれそう。マルチェルロは、確かに重要な役ではありますが、アリアを割り当てられておらず、その点、聴かせどころに乏しい。もっとバリトンが活躍する役で聴いてみたいところであります。
ショナールを歌ったクロフォードもまた、声量が豊かで、威勢が良い。その点で、ビズィックと似た美質を備えていたバリトンだと言えましょう。既にメトロポリタン歌劇場にも出演しているようですが、まだキャリアが浅いのか、あまり大きな役を歌っていないようです。これから先が楽しみな歌手であります。
コルリーネに扮したトマスには、この日の公演の中で、最も深い感銘を受けました。深々とした声で、ドッシリと腰の座った歌いぶり。そのような歌いぶりが、哲学者であり、4人のボヘミアンの中で冷静沈着な性格をしている(それでいて、完全なる堅物ではなく、お茶目なところもありますが)コルリーネに、実に相応しかった。しかも、声がよく響いて朗々としてもいた。安定感抜群の歌を終始聞かせてくれていて、ボヘミアンの要をガッチリと押さえてくれていた、といった感じでありました。トマスによるコルリーネによって、公演全体が締まったとも思えたものでした。そのようなこともあり、コルリーネの最大の聴かせどころであります第4幕でのアリア「外套の歌」は、この公演の白眉の一つだったと言えましょう。
このような低音3人組に対して、ロドルフォ役のボラスは、惹き込まれる箇所もあれば、疑問を覚える箇所もありました。まずもって、輝かしい声をしていて、情熱的。ロドルフォに必要な真摯な性格もシッカリと描き上げてくれていた。幕が開いてすぐの箇所や、第4幕の前半に配されている、4人のボヘミアンによるアンサンブルでは、3人の低音陣とともに、活き活きとした歌を展開してくれていました。とりわけ、第4幕でのアンサンブルでは、ダンスを踊ったり、途中からチャンバラが始まったり(ここは、ショナールとコルリーネの疑似決闘ですが)と、4人でおどけてみせながらの、屈託の無いやり取りが、活気に満ちた形で提示されていて、その輪の中に、なんの違和感もなくロドルフォに扮するボラスは溶け込んでいた。しかしながら、ロドルフォという役には、声の柔らかみも必要であると思うのです。そこへいくと、ボラスによる歌は、直情的に過ぎたように思えました。力任せに過ぎる箇所も、ところどころに見受けられた。もう少し柔らかみがあると、申し分がなかった。そんなふうに思えたものでした。更に言えば、アンサンブルや二重唱などでは歌い口は安定しているのですが、第1幕でのアリア「冷たい手を」では、流れがブツギレになっていて、歌のフォルムに歪みのようなものが感じられた。もっと言えば、歌に滑らかさが足りなかった。そこのところが、実に勿体なく思えたのでした。
ところで、ボラスは、メトロポリタン歌劇場やウィーン国立歌劇場、ミュンヘンやフィレンツェの歌劇場といった、メジャーなオペラハウスにも頻繁に出演しているようで、このロドルフォや、ウェルテル、≪ラ・トラヴィアータ≫のアルフレード、≪リゴレット≫のマントヴァ公爵といったリリカルな役を主に歌っているとのこと。そのうえで、≪仮面舞踏会≫のリッカルドも歌っているよう。リッカルドを足掛かりにして、今後は、ラダメスやカヴァラドッシなどにも手を広げていってくれたならば、と期待をしてしまいました。

さて、続きましては、ミミを歌ったカバイエロについて。第1幕はまずまずでした。透明感があって、ミミの可憐な性格が、シッカリと描き上げられていた。しかしながら、ロドルフォ役のボラスと同様に、アリアの「私の名はミミ」では、流れがブツギレになっていて、滑らかさを欠いていた。その点が、非常に残念でありました。
ところが、第3幕以降は、俄然、光り輝き始めました。ミミという役は、幕を追うごとに重たい歌が要求されますが、第3幕でのカバイエロによるミミは、可憐な中に、悲壮感を漂わせてくれるものとなっていた。そのような歌が、私の胸に深く沁み込んできた。この幕でのアリア「告別の歌(恨みっこなしで、別れましょうね)」では、歌いぶりがブツギレになるようなことはなく、息の長い歌を聞かせてくれて、文句無しにBravaでありました。(実際に、私は2回,3回と、Bravaを叫びました。)
更には、第4幕では、息絶え絶え故の「か細さ」の感じられる表現を聞かせてくれたり、情感の豊かさがあったりと、見事な歌でありました。ロドルフォと2人きりになって、出会いの場面を回想するシーンなどは、健気さも備わっていて、切々たる歌を聞かせてくれていた。第3幕での「告別のアリア」と、第4幕でのカバイエロの歌いぶりは、トマスによる「外套の歌」とともに、この日の公演の白眉だったと思えます。
クリスティによるムゼッタは、この役にありがちな「金切り声」系なのが気になりました。特に、第2幕が。しかしながら、第4幕では、基本的には硬質な声質でありつつも潤いも感じられて、個人的にはホッとしながら聴いたものでした。

ここまで、歌手陣について触れてきましたが、話を指揮者に移しましょう。
マテウスは、一歩一歩立ち止まりながら、足元を固めるかのように音楽を運んでいくことを旨にしている指揮者なのではないだろうか。そんなふうに思えました。ある意味、慎重派で、弾き飛ばすようなことを避けながら音楽をタップリと響かせてゆく。そのようなスタンスは大いに結構なのですが、音楽がなかなか前に進んで行かないのは、考えものであります。
音楽は、伸び縮みしながら進んでゆくものだと言えましょう。しかしながら、マッテスの場合は、伸びてばっかり。それ故に、音楽に「うねり」が生まれてこない。推進力にも乏しくなってしまう。「もっと前へ、もっと前へ」と、心の中で叫ぶ場面がそこここにあって、聴いていてもどかしさを覚えたものでした。≪ラ・ボエーム≫は、「青春のオペラ」と言えるだけに、余計に、もっとはち切れんばかりの奔流が欲しいところでもありました。
エル・システマの出身者ということで、ドゥダメルの演奏ぶりと同様に、敏捷性に優れた演奏を聞かせてくれるのではないだろうかと予想していたのですが、その予想が大きく覆される演奏ぶりでありました。
ところで、オーケストラは、粒立ちのクッキリとした音を随所に聞かせてくれました。特に、木管楽器群において、このことは顕著。それは、小澤さん好みの音だったとも言えそうです。

ニースによる演出は、オーソドックスなもので、安心して観ることができました。第2幕での、カフェ・モミュスとその周辺の街並みも、華やかな賑わいが心地よかった。但し、第1幕でのミミとロドルフォが鍵を探すシーンでは、本当に2人とも鍵を探しているのか疑わしい動きになっていたり、第3幕で、ミミが嗚咽することによってその場にミミが居ることにロドルフォは気が付くのですが、その嗚咽が聞こえずに、なぜロドルフォがミミに気付いたのかが判然としなかったりと(ばったりとミミに鉢合わせるような形が採られていた)、ところどころで「アレっ?」という場面もありました。

縷々書いてきましたが、全体的には、満足のいく公演でありました。≪ラ・ボエーム≫を劇場で観るのは、2016年のゴールデンウィークにメトロポリタン歌劇場で観劇して以来で、随分と久しぶり。やはり、劇場でオペラに触れることは、ある種のスリリングさもあって、格別であります。
なお、初日は、小澤さんが車椅子に乗って舞台に現れたようですが(公演を紹介するホームページに、その写真が掲載されています)、今日は登場されませんでした。小澤さんのお姿を拝見したかったという思いが、最後に残りました。

さて、余談になりますが、会場へ行く前に、京都市内を少々巡ってきました。すると、円山公園のしだれ桜が見事に咲いていたり、祇園白川では桜とともに青々とした柳が鮮やかに目に飛び込んできたりと、今年の「早めに訪れた春」を、たっぷりと楽しむことに。
春の華やぎを、大いに感じることのできた散策となりました。

円山公園のしだれ桜
祇園白川の景観