デ・フリーント&京都市交響楽団による定期演奏会(シューベルトの≪未完成≫ 他)の第2日目を聴いて

今日は、デ・フリーント&京都市交響楽団による定期演奏会の第2日目を聴いてきました。演目は、下記の3曲。
●ベートーヴェン ピアノ協奏曲第3番(独奏:鈴木愛美さん)
~ 休憩 ~
●シューベルト ≪6つのドイツ舞曲≫(ウェーベルン編)
●   〃    ≪未完成≫

先週の日曜日、≪カルミナ・ブラーナ≫他のプログラムで充実の演奏を聞かせてくれたデ・フリーント&京響のコンビ。乗りに乗っていると思われるだけに、本日もまた、大きな期待を寄せながらの鑑賞でありました。
京響の首席客演指揮者に就任して3シーズン目を迎えているデ・フリーント。両者による意思疎通も、随分と密なものになっているように思われます。
そんなコンビが、ベートーヴェンとシューベルトを採り上げる、今回の定期演奏会。デ・フリーントは、京響との初共演となった2022年の演奏会で≪ザ・グレート≫をメインに据え、それ以降も、交響曲第1番、交響曲第4番≪悲劇的≫と、シューベルトをプログラムに載せています。今回もまた、≪未完成≫と、ウェーベルン編による≪6つのドイツ舞曲≫と、シューベルトを2曲演奏する。どのような演奏になるのか、楽しみなところであります。
また、鈴木愛美(まなみ)さんの演奏に接するのは、今回が初めて。ここ最近、よく名前を見かけるだけに、どのような演奏を繰り広げてくれるのか、こちらも楽しみであります。しかも、ベートーヴェンが唯一、短調で書いたピアノ協奏曲を採り上げるという点にも、興味をそそられたものでした。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致しましょう。

まずは、前半のベートーヴェンについて。
何はさておき、鈴木さんによるピアノが桁外れに素晴らしかった。剛毅な要素と、繊細な要素を併せ持つ演奏ぶりでありました。その結果として、短調で書かれていることによるパトスと、優美さとが同居している音楽が立ち昇ることとなっていた。そう、この協奏曲が、優美さも湛えながら鳴り響いていったのであります。
オケによる導入部に引き続いて開始されるピアノ独奏による上昇音型は、オケの音が鳴り止む前に、オケに被せるようにして弾き始めていた。しかも、頗る強靭な弾きっぷりによって。そのために、とても衝撃的であったとともに、ソリストの強い決意が滲んでくる、といった開始となっていて、度肝を抜かされたものでした。それと同時に、私の心を鷲掴みにした。
そのような開始に象徴されるように、頗る表現意欲の強い演奏でありました。それでいて、不自然なところは微塵もない。それは、作品を感じ切っていたからでありましょう。曲想に応じて、表情を千変万化させてゆく。そう、ただ単に、強靭で豪放な演奏ぶりで押し通してゆくのではなく、箇所によっては、柔らかみを帯びていて、伸びやかであり、しなやかであり、夢見るような美しさを湛えた音楽を奏で上げていったのであります。
例えば、182小節目と183小節目でのピアノ独奏は、16分音符で上昇しては下降し、上昇しては下降し、という動きを見せるのですが、その様は、まさにアーチを描くようにして形作られているのだ、ということを実感させられるものとなっていて、溜息が出るほどの美しさを湛えていた。しかも、粒立ちが鮮やかで、かつ、柔らかみを帯びた音で、その音型は紡ぎ上げられていた。
例えば、オケのみと、ピアノ独奏の双方による主題の提示が終わると、オケのみによる経過部(227小節目より)を経て、展開部に入るために、249小節目でピアノ独奏が上昇音型を奏でながら再登場します。その場面の4小節目(252小節目)で、スタカートが付記された4分音符+8分休符+8分音符といった塊りの音型が鳴らされるのですが、粒立ちの良いタッチで、毅然と音楽を鳴り響かせていた。そこからは、強い意志の力が感じられもした。その様の、なんと潔かったことでしょう。
或いは、例えば、もうじき展開部が終わろうとする箇所、281小節目以降のピアノ独奏は、3連符によって旋回を何度も繰り返すのですが、そこでは柔らかなタッチのもとに、仄かに抑揚を付けながら、暖かみを帯びていて、かつ、夢幻的な音楽を奏で上げていた。例えば、再現部に入ったところでの、326小節目からの旋律などは、伸びやかに、そして、滑らかに歌っていて、頗る流麗だった。
そのような音楽づくりによって進められてきた演奏も、いよいよカデンツァに入るのですが、それはまさに圧巻でした。と、一旦書いてみたものの、圧巻という言葉について回る「威圧的」な要素はなかった。何と言いましょうか、純粋なる音楽美に満ちていて、かつ、説得力に溢れた演奏となっていた。
カデンツァの冒頭は、力強く開始されました。頗る煌びやかでもあった。しかしながら、単調さに陥らない。次第に音量が抑えられてゆくと、俄然、精妙な音楽となってゆく。或いは、慈しみに満ちた音楽が鳴り響いてもいた。時に、さざ波が立つような音楽が鳴り響くこととなってもいた。そのような演奏ぶりの、なんと多彩なことだったでしょう。しかも、全ての表情が当意即妙なものとなっていた。
いやはや、惚れ惚れするほどに見事なカデンツァでありました。
第1楽章について、かなり詳細に触れてきました。ここからは、要点のみを書くことに致しましょう。
第2楽章の冒頭のモノローグは、柔らかみを帯びていて、繊細であって、かつ、祈りにも似た音楽が鳴り響いていた。その美しさたるや、息を飲むほどであり、音楽に吸い込まれてゆくようでもありました。その雰囲気は、この楽章全体を覆うこととなっていたのであります。しかも、要所要所で、切々たる歌を聞かせてくれていた。
また、最終楽章においては、トランペットをはじめとした管楽器群が短いファンファーレ風の音型(57小節目)を2回鳴らした後、66小節目から、左手と右手が交互に16分音符で上昇音型を奏でる箇所では、スパっ、スパっ、と言い切りながら音を回してゆくような様子を見せ、なんとも小気味が良くて印象的でありました。この箇所で、このような味わいに巡り会うのは、初めてのことでありましょう。
(この箇所でミスタッチを犯していたのは、ご愛敬といったところであります。ちなみに、このロンド楽章の後半にも同様の動きがありますが、そこではミスタッチしていませんでした。)
そのような印象深い場面のあった最終楽章でありましたが、楽章全体を通じて、歯切れが良くて、それでいて、機械的になるようなことなく、まろやかさを備えてもいる演奏が展開されていた。
そのような鈴木さんのピアノ独奏に対して、デ・フリーントによるバックアップは、実に多彩なものとなっていました。凝縮度が高くもあった。とりわけ、冒頭楽章でのオケによる導入部では、音を叩きつけるようなことが多かったことには、目を瞠るものがありました。
デ・フリーントはプレトークで、次のように解説をしていました。この協奏曲は、ベートーヴェン自らがピアノを弾いて初演された最後の協奏曲なのだが、その時点でベートーヴェンの耳の疾患は随分と進んでいたため、かなり強い打鍵で弾いていたのだという。そのために、しばしば、ピアノを壊していたそう。
そのような話を聞いた直後での演奏だったため、ベートーヴェンの強い打鍵と、デ・フリーントによる音を叩きつけるようにして演奏する様が、オーバーラップしたものでありました。
その一方で、曲想に応じて、柔らかさや繊細さも、充分に見せてくれていた。しなやかさもあった。そのような演奏ぶりが、鈴木さんのピアノ独奏にピッタリと寄り添っていたとも言いたい。
ピアノ独奏も、オケパートも、極めて充実度の高い演奏でありました。

なお、ソリストアンコールは、シューベルトの≪楽興の時≫から。後半のシューベルトへの橋渡しだったのでしょう。なんとも粋な選曲であります。
しかも、その演奏は、頗る思索的なものだった。精妙であり、触れたら壊れそうなほどに繊細だったのですが、決してひ弱な音楽にはなっておらずに、しっかとした生命力を宿した演奏になっていた。
鈴木さんの音楽性の豊かさが滲み出ていた、素晴らしいアンコールでありました。

ここからは、後半の2曲のシューベルトについてとなりますが、やはりと言いましょうか、≪未完成≫が聞きものでありました。
最初に演奏された≪6つのドイツ舞曲≫は、ウェーベルンによる編曲だということもあり、前衛的な響きが特徴的。それは、精妙にして繊細で、研ぎ澄まされた感性に裏打ちされた響きを伴った音楽になっている。デ・フリーントは、その辺りの特徴を、よく描き出していたと言えましょう。しかも、強弱の対比を克明に表していた。アゴーギクの変化も、強調していた。そのこともあり、鮮烈な音楽が出現することとなっていた。
であるが故に、あまり、典雅な音楽になっていなかった。
シューベルトによる音楽というよりも、ウェーベルンによる音楽、といった要素の強い演奏だったと言えるのではないでしょうか。
さて、いよいよメインの≪未完成≫でありますが、こちらもまた、様々なコントラストを鮮やかに描き出してゆく演奏でありました。それは、強弱の対比であったり、速度の対比であったり、デモーニッシュな雰囲気と爽やかさの対比であったり、等など。
本日の演奏会、両端に短調の作品が配置されています。そして、真ん中に、短いながらも、長調で書かれた陽気な雰囲気が支配的な舞曲を置いている。この演奏会全体におけるデ・フリーントの意図は、デモーニッシュなものと、朗らかさや優美さや颯爽とした空気感や、といったものを対比させる、といったところにあったのかもしれません。そのことを体現していたかのように、鈴木さんによるピアノ演奏は、それらを両立させていた。
その≪未完成≫での演奏。
第1楽章は、かなり遅めのテンポが採られていて、デモーニッシュな雰囲気が支配的だった。これまでの、デ・フリーントによるシューベルトは、速めのテンポでキビキビと進めてゆくことに主眼が置かれていたように感じられていたため、この点は、ちょっと意外でありました。
なお、本日の演奏会、前半後半ともに、弦楽器のプルトの数は6-5-4-3-2となっていて、あまり大きな編成が採られていた訳ではありません。それでいて、≪未完成≫では、低音を効かせながらの、彫琢の深い音楽が鳴り響くこととなっていました。
ちなみに、古楽に通じている指揮者らしく、弦楽器は対向配置。先週の≪カルミナ・ブラーナ≫では対向配置は採用されていませんでしたが、やはり、本日のような古典派と初期のロマン派の作品を並べたプログラムであれば、対向配置を採ることにしたのでしょう。なお、ヴィブラートは、そこそこ掛けていたようです。特に、第1楽章の第2主題でのチェロなどは、ガンガンに掛けていました。また、第1楽章の提示部のリピートは敢行されていたのも、古楽系の演奏家であれば当然のことでありましょう。
話を戻しましょう。
デモーニッシュな要素が強調されていたがために、かなりおどろおどろしい音楽が鳴り響くこととなっていた。とは言いながらも、音楽が粘ったり、肥大化したり、といったようなことはない。それは、デ・フリーントのいつもながらの音楽づくりに通じるところがあり、かつ、大きな編成を採らなかった故でもあるのでしょう。
そのような中で、展開部でのドラマティックな音楽づくりは、かなり特異でありました。トランペットを思いっ切り強奏させることによって、そのことが嫌がうえにも強調されていた。こんなにも激烈な≪未完成≫の展開部は、なかなか巡り会うことができないのではなかろうか、と思えてくるほど。
これもまた、デモーニッシュな雰囲気と、ドラマティックな感興との対比の見事さであったのであります。
長調で書かれている第2楽章では、一転して、速めのテンポが採られていて、爽やかにして晴れやかな音楽が鳴り響くこととなっていた。それは、頗る爽快感の強いものでありました。
しかしながら、第2主題では、ガクンとテンポを落として、情念的な音楽が奏で上げられていた。なんと、濃淡の濃い演奏だったことでしょう。更には、クラリネットとオーボエによるソロが終わった直後でのトゥッティによる強奏では、第1楽章の展開部と同様に、嵐のような壮絶さが表されていった。
実に、表現意欲の高い演奏でありました。それでいて、あまり恣意的ではなかった。デ・フリーントの音楽性の高さ故なのでありましょう。

プログラム全体を通じて満足度の高い演奏会でありましたが、本日の白眉は、何と言いましても前半のベートーヴェンだったと言いたい。とりわけ、鈴木さんの素晴らしさは、群を抜いていた。
鈴木愛美さん、大いに注目していきたいピアニストであります。