ルドルフ・ゼルキン&アバドによるモーツァルトの≪ジュノム≫を聴いて
ルドルフ・ゼルキン&アバド&ロンドン響によるモーツァルトの≪ジュノム≫(1981年録音)を聴いてみました。
ここでの演奏に限ったことではないのですが、R・ゼルキンのピアノには、ちょっとゴツゴツとした質感が含まれているように思えます。そのうえで、実に堅牢なピアノ演奏を繰り広げてくれる。しかも、訥々とした語り口が感じられる。そこから、音楽に独特の重みが与えられる。そして、とてもピュアな音楽を奏で上げてくれる。
この≪ジュノム≫もまた、そのような特徴の現れた演奏であると言えましょう。
やや遅めのテンポで、ジックリと語りかけるような演奏を聞かせてくれている。しかも、その語り口は篤実なもの。
そのようなこともあって、モーツァルトならではの「飛翔感」は薄いと言えましょう。しかしながら、その代わりにと言いましょうか、他の演奏からは得難い滋味深さを備えて演奏となっている。更に言えば、シッカリと地に足の付いた演奏ぶりは、とても真摯なもので、これみよがしな表現に走るようなことは微塵も感じられない。そのこともあって、自然な「風格」が漂ってくるような演奏となっている。
作品の深淵をひたすらに覗きこもうとしているような演奏とも言えそう。その一方で、音楽は純粋を極めている。揺るぎない構成感が備わってもいる。
そのような中でも特に、第2楽章での哀感に満ちた歌が、心に深く染み渡ってくる。
そのようなゼルキンに対して、アバドもまた、誠に誠実な演奏ぶりを示してくれています。アバドならではの晴朗さやしなやかさも、存分に感じられる。それでいて、底抜けに明るかったり、颯爽としていたり、という訳でもないのは、ここでのゼルキンの演奏ぶりを踏まえてのことなのでしょう。
なんとも味わい深いモーツァルト演奏であると思います。
それが、元来、飛翔感の強い音楽であると考えている≪ジュノム≫に対しての演奏であるだけに、余計に、その思いを強くします。