飯森範親さん&日本センチュリー響の演奏会を聴いて
昨日(8/5)は、飯森範親さん&日本センチュリー響の演奏会を聴いてきました。
プログラムは、下記の通り。
●ヒンデミット ≪ウェーバーの主題による交響的変容≫
●アダムズ サクソフォン協奏曲(独奏:上野耕平さん)
●ヒンデミット ≪画家マティス≫
ヒンデミットの代表作2曲と、その間にアダムズのサクソフォン協奏曲を挟むという、なんとも意欲的なプログラム。
アダムズのサクソフォン協奏曲は、全くの未知の曲でありました。そのために、演奏会に臨むにあたって、一度耳を通したものでした。演奏時間は25分ほどで、調性や旋律のハッキリとしている、聴きやすい作品。2楽章で構成されていますが、第1楽章は2つの部分から成っていて、前半は急速で、後半は緩やか。その後に、律動的な第2楽章が続きますので、全体を通じては、急・緩・急という古典的な構成をしています。
演奏機会の少ない3曲(特に、アダムズのサクソフォン協奏曲を実演で体験できるのは、希少だと言えましょう)が並んでいる、この日の演奏会。はたして、どのような演奏に出会うことができるのかと、心を躍らせて会場へと足を運んだものでした。
それでは、演奏を聴いての印象について、綴っていきたいと思います。まずは、前プロの≪ウェーバーの主題による交響的変容≫から。
この演奏を一言で表すならば、「お行儀の良い演奏であった」というふうに言えるように思えます。この作品は、良い意味で野放図な性格を持っている音楽であると思うですが、そのような性格の薄い演奏だったように感じられた。
なるほど、飯森さんによるここでの音楽づくりは、丁寧なものでありました。肌触りが滑らかでもあった。音楽を無理せずに鳴らしてゆく。そのような中でも、例えば第1楽章で金管楽器に旋律が渡った際には音の頭にアタックを付けたりと、起伏を付けようという意識が見て取れた箇所も幾つかありました。しかしながら、概して、この作品が持っている「瀟洒な荒々しさ」のようなものが、なかなか伝わってこない演奏だったと思えたのであります。この作品に固有の「鼓動」も、今一つ伝わってこなかった。
更に言えば、飯森さんの指揮は、交通整理に終始していて、平面的でノッペリとした印象が強かった。この作品は、もっともっと力感に溢れ、音のぶつかり合いや、リズムが錯綜してゆくような面白みや、といったものを持っているはず。その辺りが希薄に感じられたのが残念でありました。
その中でも、第3楽章での抒情性の表出や、最終楽章のマーチでの推進力のある歩みなど、曲想にマッチした表現も感じる取ることができた。それだけに、前段で述べた内容での不満が、余計に残念であります。
ということで、前プロは、個人的にはガッカリな演奏だった(前プロが終わった後、私は、全く拍手をしなかった)のですが、中プロのアダムズのサクソフォン協奏曲は、興味深く聴くことができました。
まずもって、曲の冒頭から、音がキラキラと輝いていた。そう、光彩豊かな音楽が鳴り響いていったのであります。それは、オーケストラも、そして、独奏のサクソフォンも。リズムが鮮やかでもあった。
この作品での飯森さんの指揮は、かなり細かく拍を刻んでいたようです。見ていて、もう少し大きく拍を取っても良いのでは、と思えなくもなかったのですが(少し、せせこましい指揮になっていたように思えた)、細かく刻んでいたことによって、小気味よさは出ていたように思えます。
ここでも、作品が進むにつれ、交通整理に甘んじているのだろうな、と思わせる箇所が目立ってはきた(団員にとって、この作品は馴染みの薄い曲でありましょうから、交通整理は頗る重要であると言えましょう)のですが、総じて、生き生きとした指揮ぶりであったと思えます。
そのような飯森さんのバックアップを得ての上野さんの独奏は、自在感のある演奏であったように思えました。
プログラム冊子に、「複雑で立体的な響きがあって、めっちゃカッコいい、めっちゃ難しい」曲だという、上野さんのコメントが記載されています。なるほど、そのような言葉を裏付けするような、ノリの良さの感じられる演奏ぶりでありました。リズムの捉え方に鋭敏さが感じられもした。そして、ダイナミックに演奏しようという意図ともに、過度に粗野にならずに、歌謡性も大事にしようという、そんな演奏であったようにも思えたものでした。
休憩を挟んで、いよいよメインの≪画家マティス≫であります。
前プロでの≪ウェーバーの主題による交響的変容≫が、私には共感できる演奏ではなかっただけに、はたしてどうなるのだろうという不安があったのですが、それは杞憂に終わりました。≪画家マティス≫でも、磨き上げの丁寧さを持ったものであった、いや、磨き上げは前プロ以上に見事であったとともに、この作品の持っている「鼓動」をハッキリと聞き取れる演奏だったと思うのであります。
この作品は、対位法的な書法があちこちに散りばめられていますが、その処理が鮮やかで、音楽が立体的に鳴り響いていた。作品自体が、≪ウェーバーの主題による交響的変容≫と比べると、論理的と言いますか、スッキリとした佇まいを示している分、飯森さんの音楽性に適している。そんなふうに言えるのかもしれません。
ここでも、飯森さんは、音楽を荒げるようなことはしていなかった。それでいて、シッカリとした推進力を備えている音楽が繰り広げられていて、充分に逞しくあった。何と言いましょうか、ドッシリとした底力のようなものを蓄えている演奏でありました。そのうえで、必要に応じて壮麗な音楽世界を現出させてゆく。そして、音楽のフォルムが崩れるようなことは一切なく、端正な音楽が掻き鳴らされていた。
この作品の魅力を十分に味わうことのできた、素晴らしい演奏であったと思います。
飯森さんの実演は、この日が3回目のはずであります。まだ、私にとって、相性の良い指揮者であるかどうか、見極めのようなものが付いていません。
この日の演奏会を聴いて想像を膨らませたのが、バルトークで、私が共感できるかどうか。バルトークの作品の中でも、特に、土俗性の強い曲での演奏が、どうなるのか。飯森さんによるバルトークが、≪画家マティス≫での演奏と共通項を持ったものとなるのか、それとも≪ウェーバーの主題による交響的変容≫と似たような演奏になるのか。ちょっと興味深いところであります。