山下一史さん&大阪交響楽団による演奏会(≪ツァラトゥストラかく語りき≫ 他)を聴いて

今日は、山下一史さん&大阪交響楽団による演奏会を聴いてきました。演目は、下記の3曲。
●シューマン ≪ゲノフェーファ≫序曲
●モーツァルト ≪リンツ≫
●R・シュトラウス ≪ツァラトゥストラかく語りき≫

本日は、大阪響にとって、2026-27年シーズンの開幕を飾る演奏会。山下さんがシェフに就いて5期目が開幕したこととなります。
そのような演奏会の演目として、シューマンの序曲を前プロに据え、モーツァルトの交響曲と、R・シュトラウスの交響詩を持ってくるという、ドイツ物を並べたプログラムを組んできた。筋が通っていて、しかも、多彩な味わいを楽しむことのできる、なんとも素敵な構成となっています。更には、指揮者とオーケストラの、それぞれの実力をつぶさに感じ取ることのできるプログラムだとも言えそう。潔いまでに真っ向勝負を挑んでいる、そんな意欲の感じられる内容であります。
山下さん&大阪響の演奏会を聴くのは、本日が5回目。これまでは、オール・ブラームス・プロ、オール・モーツァルト・プロ(しかも、ディヴェルティメントとセレナードという機会音楽を2つ採り上げたプログラム)、ヴェルディの≪レクイエム≫、更にはニールセンの交響曲にモーツァルトを組み合わせたプログラムを聴いてきましたが、いずれにおいても、ケレン味がなくて、端正にして真摯で、聴き応え十分な演奏を繰り広げてくれたものでした。本日も、その延長線上にある演奏を展開してくれるのではないだろうか。そんなふうに期待しながら、会場に向かったものでした。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて、書いてゆくことに致します。

まずは前半の2曲から。
山下さんらしい、実直な演奏でありました。両曲ともに暗譜で指揮をされていた山下さん。完全に掌中に収めておられる演目なのでありましょう。≪ゲノフェーファ≫序曲は、あまりメジャーとは言えない作品ではありますが、プログラム冊子によると、このオペラの日本での舞台初演を指揮したのが山下さんだとのこと。そのこともあって、この作品に精通されているのでしょう。
そんなこともあってか、前半の2曲の中でもとりわけ≪ゲノフェーファ≫序曲が素晴らしかった。この作品の生命力をシッカリと放出しながら、逞しく奏で上げてくれていました。シューマンならではの激情にも不足がなかった。音楽が存分に蠢いていた。そして、豊かに息づいていた。
更には、ホルンや木管楽器やを効果的に生かしながら、目鼻立ちのクッキリとした音楽を鳴り響かせてゆく。そのうえで、山下さんならではの折り目正しさが、ドラマティックな音楽づくりの先から滲み出てくる、といった演奏を繰り広げてくれていたのであります。
演奏の素晴らしさのみならず、演奏会のオープニングを飾るワクワク感にも不足のない、なんとも素敵な演奏でありました。
続くモーツァルトもまた、折り目正しくて、かつ、キビキビとした演奏が展開されていました。
山下さんの誠実さから考えるに、ひょっとすると全てのリピートを敢行するかも、などと推察してもいたのですが、第1,2,4楽章のソナタ形式による楽章でのリピートは、全て削除されていました。せめて主題提示部だけでもリピートをされていたならば、もっと、音楽様式から生まれる美しさがもたらされたのでないだろうか、などと考えもしたものでした。
とは言うものの、一見、何もしていないような山下さんの音楽づくりが、この作品のピュアな美しさを引き出してくれていたのは間違いないでしょう。更に言えば、音楽が存分に躍動していた。なおかつ、ロマンティックな味わいを湛えてもいた。そして、モーツァルトの飛翔感にも不足はなかった。
もっとも、「何もしていないようで」と言いつつも、例えば、第2楽章の冒頭をかなり強めに、ハッキリと奏でていた。それは、決然とした入りになっていたのであります。ちょっとした「意志表明」といったもののようにもなっていた。同じことが、展開部に入ってすぐの箇所でも行われていた。そのような表現に、ハッとさせられたものでした。
また、同じく第2楽章についてとなりますが、展開部に入ってしばらく経った箇所(47小節目の1拍目)での8分音符の音価をシッカリと保持する、といったところも確実に行われていました(特に、ファゴット奏者が、音価を守る意識が強かったように思えた)。そのようなことの積み重ねが、演奏の入念さに繋がり、端正な音楽を生んでゆくのでありましょう。
もっとも、途中でも書きましたように、モーツァルトにしては、ちょっとロマンティックに傾くことが多かったかな、という点が、少々気になったところではあります。とは言うものの、全般的に、率直にして端正で、かつ、聴き応えのあるモーツァルトでありました。作品に魅力を語らせる演奏だった。そんなふうにも言えましょう。

ここからはメインの≪ツァラトゥストラ≫について。それは、前半の2曲での演奏に輪をかけて素晴らしいものでありました。
こちらも、山下さんは暗譜で指揮。そして、確信を持って全曲を演奏し通した。そんな音楽が鳴り響いていました。それぞれの箇所が、的確に、そして雄弁に描き上げられていった。そんなふうにも言いたい。
山下さんらしく、と言いましょうか、変に誇張をしたり、芝居っぼくしたり、といったようなことは皆無。そう、ここでも、頗る実直に音楽を奏で上げていったのであります。とは言いましても、音楽が四角四面な表情をするようなことはない。しなやかに音楽は流れていった。そして、存分にうねっていた。そう、山下さんは、ただ単に真面目一徹なだけではなく、柔軟性を持って音楽を奏で上げていったのであります。それ故に、誠に流麗な音楽が鳴り響くこととなっていた。R・シュトラウスならではの絢爛豪華な色彩にも、全く不足はなかった。
印象的だったのは、第2部のちょうど真ん中辺りの舞踏の場面。ここで山下さんは、指揮台の上で身体を揺すりながら、しなやかな身のこなしをされていたのであります。その動きは、頗る優雅でもあった。真面目でありつつも、遊び心にも欠けていない、そんな山下さんの人間性のようなものを垣間見た思いをしたものでした。
なお、弦楽器のプルトの数は7-6-5-4.5-4。エキストラを呼び、このオケとしてはかなりの大人数での演奏となっていた(このプルトの数は、シューマンでも同じだったはず。モーツァルトでは、少々刈り込んで6-5-4-3-2となっていました)こともあって、頗る豊麗な音がしていました。しかしながら、山下さんは、変に力み返るようなことはしない。余裕を持ってオケを鳴らしてゆく、といった感じ。それは、前半においても、特にモーツァルトにおいても強く感じられたこと。そのこともあって、音楽が悲鳴を上げるようなことは決してない。格調高く、音楽が鳴り響いていたのであります。
それでいて、充分に豪放でもあった。映画「2001年宇宙の旅」で使われた序奏部などは、実に壮麗な音楽が鳴り響いていた。しかも、腹にズシンと響く音楽でもあった。また、第2部の冒頭での各パートが細かなパッセージを入れ替わり立ち替わり奏でゆく箇所などでは、目もくらむような鮮やかさで奏で上げられていった。そんなこんなの、至る箇所に散りばめられている「聞かせどころ」を、実に的確かつ手際よく、折り目正しく、そして、鮮烈に奏で上げてゆく。その様の、なんと見事なことであったでしょう。
これ以上、≪ツァラトゥストラ≫の演奏に何を求められようか。そんなふうに感じながら、魅了されっぱなしで聴き進んでいったものでした。
そんな山下さんの音楽づくりに応える大阪響がまた、見事でありました。5期目を迎えたこのコンビ、その成熟度を窺えたものでした。そう、山下さんの指揮に、オケが的確に付いてゆくのであります。それはまさに、指揮者の手足となって音楽を奏でてゆく、といった感じ。
しかも、響きは充分にふくよかで、かつ、艷やかでもある。難曲でありますが、アンサンブルに乱れが生じる、といったようなことも見られなかった。これは、山下さんの薫陶のお陰でもあるのでしょう。
そんなオケの見事さがまた、この演奏を魅力的なものにしてくれたのであります。
なお、細かなことを言えば、第2部に入って間もない箇所での、トランペットが1オクターヴの跳躍で高音域に駆け上がる場面(練習番号18の2小節目の終わりから次の小節にかけて)は、音にハリがあり過ぎて、音が強すぎたように思えた。ここは、トランペットの難所として知られていますが、もっと柔らかい音で吹いて欲しかったものであります。とは言うものの、その周りの木管楽器群や弦楽器による、羽毛のように軽やかで、かつ、キラキラと煌めく音たちによる、なんとも眩い響きは、実に魅力的でありました。
山下さん&大阪響による演奏会、これまでにガッカリさせられたことは一度もないのですが、本日の≪ツァラトゥストラ≫は、その中でもとりわけ感心させられた演奏となった。そんなふうに言いたい。

真っ向勝負を挑んだと言えそうな、本日の演奏会。その勝負は、輝かしい勝利を収めたものになったと言えるのではないでしょうか。
このコンビ、これからも目が離せません。