ヴァント&北ドイツ放送響によるシューベルトの交響曲第3番と≪未完成≫を聴いて
ヴァント&北ドイツ放送響によるシューベルトの交響曲第3番と≪未完成≫(1992,91年録音)を聴いてみました。
虚飾のない、真摯な演奏が繰り広げられています。ヴァントならではの、活力の漲った演奏となってもいる。
そのうえで、作品の個性を描き分けているところが見事であります。溌剌とした第3番、荘重にしてスケールの大きな≪未完成≫。
第3番では、快活にして瀟洒な雰囲気演奏が展開されています。そのような演奏ぶりが、可憐な性格を有しているこの作品に相応しい。
とは言いましても、軽快に過ぎる、といったことはありません。この作品にしては、重心を低く採りながら、どっしりと構えた音楽づくが為されている演奏となっている。そのようなこともあって、ウィーン風というよりもドイツ風な演奏だと言えそう。そのうえで、清々しさの感じられる音楽が鳴り響いている。そう、決して重苦しい演奏になっている訳ではない。明朗さが滲み出てもいる。
一方の≪未完成≫から聞こえてくる響きは、まるでベートーヴェンのよう。概して、堂々としていて、雄渾な音楽が奏で上げられている。凝縮度の高い演奏だとも言いたい。
こちらでは、第3番での演奏以上に重心が低く採られている。そのために、荘重な音楽が鳴り響くこととなっています。とは言いましても、息苦しさは感じられない。
そのような中で、例えば第1楽章の第2主題での演奏ぶりで顕著なように、儚さを前面に押し出したりもする。タップリと歌い込むのではなく、幽玄に誘い込むような音楽づくりが為されているのであります。なおかつ、それに続く展開部では、頗る厳粛な音楽づくりが為されていたりもする。また、第2楽章の出だしでも、朗々と歌い込むのではなく、しみじみとした味わいを湛えたものとなっている。
そんなこんなによって、誠に表現の幅の大きな音楽が鳴り響くことになっている。とても能弁な演奏だとも言いたい。
そのうえで、スケールの大きさが示されている。大袈裟にならない範囲で壮麗でもある。しかも、毅然とした音楽になってもいる。
ヴァントの実力を再認識させられる、立派な≪未完成≫だと言えましょう。
この2曲での演奏を通じて感じられること、それは、ヴァントの懐の深さ。
そのようなことも含めて、誠に興味深い1枚であります。なおかつ、聴き応え十分な1枚となってもいます。