バーンスタイン&ニューヨーク・フィルによるチャイコフスキーの交響曲第5番(1988年録音:DG盤)を聴いて

バーンスタイン&ニューヨーク・フィルによるチャイコフスキーの交響曲第5番(1988年録音)を聴いてみました。

こちらは、バーンスタインがこの世を去る2年前の演奏。
最晩年のバーンスタインの演奏に特徴的であった、情念的な性格や、ロマンティックな感興や、煽情的な表現や、激昂的とも言えるような感情の爆発や、といったものがギッシリと詰め込まれている演奏となっています。それはもう、バーンスタインの心情を包み隠さずにストレートに吐露した演奏ぶりが披露されていると言えそう。もっと言えば、恥ずかしげもなく披露されている。そこからは、バーンスタインの強い信念が感じられもする。
しかも、最晩年のバーンスタインの演奏からしばしば感じられる、必要以上に作品がデフォルメされているという印象を受けない。極限を超えてしまっているのではないだろうかと思えるほどに遅いテンポを採るような場面も、見受けられない。
なるほど、この演奏でも、大胆なまでにテンポを遅く採っている箇所は散見されます。と言いますか、この作品そのものが、元来がテンポの伸縮の激しい音楽であり、その振れ幅の非常に大きな演奏となっている。概して、第1楽章の序奏部や、第2楽章や、最終楽章の序奏部など、チャイコフスキー自身がゆったりとしたテンポを指定した箇所では、かなり遅いテンポが採られているのであります。そのために、非常に粘り気の強い音楽が鳴り響くこととなってくる。更に言えば、音楽がロマンティックな色合い濃く湛えてくる。ときに、後ろ髪を引かれるかのような「ためらい」の表情を湛えることにもなっている。或いは、第1楽章の終結部の最後の箇所などは、遅めのテンポによって堂々たる音楽が鳴り響くこととなっている。最終楽章の終結部の前半部分も、堂々としていて、かつ、輝かしい。
その一方で、チャイコフスキーが速めのテンポを指示した箇所では、通常よりも速めのテンポが採られることが多い。その代表例として、第1楽章の主部が開始された箇所と、最終楽章の終結部の後半部分を挙げましょう。前者では、速めのテンポがキビキビとした律動感に繋がっている。そして、後者では、外へ向かってのエネルギーの発散度の大きな演奏ぶりに繋がり、更には激昂的なまでの感情の爆発へと繋がっている。

そんなこんなによって、バーンスタインの、この作品に対する感情が、もっと言えば、音楽そのものに対する感情が、赤裸々に現れている演奏がここに繰り広げられていると言えましょう。それは、チャイコフスキーの作品であったからこそ、このような演奏表現を受け入れてくれているとも思える。
ユニークな魅力を湛えた、素敵な演奏であります。