鈴木秀美さん&神戸市室内管による演奏会(トルコ趣味はいかが?)を聴いて
今日は、鈴木秀美さん&神戸市室内管(略記:KCCO)による演奏会を聴いてきました。演目は、下記の3曲になります。
●モーツァルト ≪トルコ風≫(ヴァイオリン独奏:フィリッペンス)
●ハイドン ≪軍隊≫
●ベートーヴェン 交響曲第2番
「トルコ趣味はいかが?」とのサブタイトルが付けられている、今回の演奏会。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンと、ウィーン古典派の3巨頭の作品が並べられていて、しかも、協奏曲作品を含んでいるという、バランスが良くて、かつ、頗る魅力的なプログラムとなっています。ちなみに、ベートーヴェンの交響曲第2番が選曲されているのには、「異国風と対峙する、いわば城壁の内側の文化として」楽しんでもらいたい、という意図があってのことのようです。
ヴァイオリン独奏のフィリッペンスは、鈴木秀美さんのチェロの師となるアンナ―・ビルスマの奥様でありますヴェラ・ベスに師事したという、1986年にオランダで生まれた女流ヴァイオリニスト。今回が初共演になるようですが、鈴木さんにとってはゆかりのある演奏者、ということになります。
そのような今回の演奏会で、果たしてどのような演奏に巡り会うことができるのだろうか。きっと素敵な演奏会になることだろうと、期待に胸を膨らませながら開演を待ちわびていたものでした。
それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのかについて書いてゆくことに致しましょう。
まずは前半の2曲から。
冒頭の≪トルコ風≫でありますが、フィリッペンスによる独奏が実に素晴らしかった。
作品を誇張することなく、自然体で端正に弾いてゆくフィリッペンス。しかも、息遣いがとても伸びやか。しなやかなフレージングを基調としながら、優美に、そして、軽やかに音楽を奏でてゆく。響きは、決して豊潤ではないものの、キリリと引き締まっていて、気品に満ちていた。そのようなこともあって玲瓏とした音楽が奏で上げられていました。凛としていて、かつ、チャーミングな演奏ぶりとなっていた。清楚にして、生気に溢れてもいた。更には、音の粒が立っていて、音楽が生き生きと弾んでいた。
そんなこんなの演奏ぶりが、モーツァルトには誠に相応しいものとなっていました。
最終楽章でのトルコ音楽の箇所で、フレーズを先走って弾いてしまうといった間違いを犯してしまっていたようで、終演後にはバツが悪そうにはにかんでいるような表情を見せていましたが、それも愛嬌。
そのようなフィリッペンスに対して鈴木さんもまた、生き生きとした表情を湛えながら、溌溂とした音楽を奏で上げてくれていて、フィリッペンスをシッカリとバックアップしてくれていたと言えそう。ビルスマを介して繋がりを持つ両者、ということにも依るのでしょうか、音楽を奏でるに当たっての「語法」に、近似性を持っていたようにも思えました。
ソリストアンコールとしては、バッハの無伴奏パルティータ第2番から「ジーグ」が演奏されました。
その演奏はと言いますと、モーツァルトでの演奏と同様に、しなやかにして、凛とした姿をしたものでありました。息遣いが自然で、かつ、豊かであり、しかも、楚々とした風情が感じられもした。端正な佇まいをしてもいた。
フィリッペンスの音楽性の確かさが刻まれていた、素晴らしい演奏だったと言えるのではないでしょうか。
続くハイドンでは、鈴木さんによる音楽づくりは、誠に雄渾なものでした。ハイドンのこの作品が、大交響曲の体を為していたと言えそう。
とは言いながらも、決して大袈裟な演奏になっていた訳ではありません。なおかつ、過度に豊満になるようなこともなく、引き締まった音楽づくりが為されていた。それ故に、凝縮度の高い演奏となっていた。それでいて、シッカリとエネルギーが解放されていた。その辺りのバランスが頗る良かった。
全体に速めのテンポが採られていたために、音楽がダブつくようなことは皆無。そのうえで、第3楽章のトリオ部でのトランペットとティンパニで顕著だったように、音楽を打ち込んでゆくような音楽づくりを随所で見せてくれていた。
更には、最終楽章では、かなり快速なテンポで突っ走りながら、キビキビとした音楽が奏で上げられていた。
また、第2楽章で、トルコの軍楽隊よろしく打楽器群がドンシャンと打ち鳴らす場面では、その場面を面白がるかのように、思いっ切り派手に鳴らしていたのには、鈴木さんの茶目っ気やサービス精神が弾けていたように思えたものでした。
そんなこんなを含めて、聴きどころの多かった、実に魅力的なハイドン演奏でありました。
さて、ここからは、後半に演奏されたベートーヴェンについてであります。
ハイドンの≪軍隊≫と同様に、誠に雄渾な演奏でありました。ベートーヴェンの初期の作品とは思えないほどに、勇壮で、しかも、輝かしい音楽が奏で上げられていた。
鈴木さんは、プログラム冊子でも、また、プレトークでも、この作品のことを「決してただ穏やかなわけではない」と評していましたが、そのように見做していることが如実に表されていた演奏になっていた。そんなふうに思えてなりませんでした。そう、律動感に富んでいて、ベートーヴェンならではの闘争的な性格も既に現れている音楽として奏で上げられていたのでありました。それでいて、明朗快活な性格を帯びた音楽となっていた。第2楽章は、ベートーヴェンの交響曲の中では、最も歌謡性に富んでいる音楽だと言えそうですが、伸びやかにして、濃やかな歌を披露してゆこうといった意思が強く感じられる演奏となってもいた。
また、ティンパニやトランペットの強奏がかなり目立った。とりわけ、トランペットは、けたたましいまでに鮮烈な音を奏でていた。KCCOは、鈴木秀美さんが音楽監督に就いていることもあって、トランペットもホルンも古楽器を使用しているのですが、いかにも古楽器によるトランペットの奏法といったところ。正直に言えば、その強奏のさせ方があまりに露骨に過ぎ、美観を損ねることが多かった、といった印象を受けたのですが、古楽器系の指揮者の面目躍如たる音楽づくりだったと言えそう。これはこれで、アリだと思えます。また、第1楽章の序奏部などで顕著だったのですが、ホルンを咆哮させて、音楽にメリハリを効かせてゆくことも、効果的でありました。
(ちなみに、オケの全てのパートが古楽器を使用している訳ではなく、古楽器とモダン楽器とを混在させながらの編成。オケの歴史の過渡期には、このように混在していたこともあった訳で、その姿をKCCOに見ることができる、といったところなのであります。この点については、以前、鈴木さん自身も語っておられました。)
これまでに触れてきたような音楽づくりを基調としながら、キビキビとした、そして、目鼻立ちのクッキリとした演奏が展開されていった。生気に溢れていたこと、この上ない演奏ぶりでありました。しかも、音楽をシッカリと抉っていきながら。そういったことが、愚直なまでに徹底されながら、音楽が進められていった。その様は、実に痛快でありました。
しかも、表現が空回りするようなことがなかった。全てが、作品の血肉となって鳴り響いていたと言いたい。それは、トランペットの強奏においても然り。このように思えたのも、鈴木さんの音楽性の確かさと、人間性の豊かさ、更には、音楽への誠実な姿勢があってのことでもありましょう。そう、全体を通じて、とても篤実な演奏ぶりが示されていたのであります。この点については、前半の2曲も含めて、本日の全ての演奏に当てはまると言いたい。
そのような、誠実さを裏付けとしながら、逞しい生命力を宿していて、輝かしくて、スリリングでもあった、ベートーヴェンの2番を聴くことができたのでありました。聴いていて、ワクワク感の湧いてくる演奏でもあった。
ちょっと荒削りでもありましたが、なんとも見事で、魅力的な演奏でありました。
アンコールは、ハイドンの≪突然の出会い≫序曲。≪軍隊≫と同様に、シンバルと大太鼓、更には、杖状の長い棒に鈴を付けたもの(キリスト教の司教が、床に打ち付けて鳴らす杖の上部に、鈴を付けた打楽器)が用いられた、トルコ趣味が色濃く反映された音楽でありました。当時は、トルコ趣味の音楽が愛好されていたことがよく解る音楽だと言えましょう。急・緩・急の3部形式で書かれていて、急速部分では同じ素材が使われていている。
その演奏はと言いますと、これまた≪軍隊≫での軍楽隊の場面での演奏ぶりと同様に、鳴り物を面白がって賑々しく打ち鳴らしながらの、愉悦感に富んだものとなっていました。音楽か生き生きと弾んでいて、覇気に溢れてもいた。ウィットに満ちてもいた。その演奏ぶりや、作品の性格や、といったことを含めて、本日の演奏会のアンコールに最適な音楽だった。そんなふうに考えながら、晴れやかな気分に浸ったものでした。