カペル&クーセヴィツキー&ボストン響によるハチャトゥリアンのピアノ協奏曲を聴いて

カペル&クーセヴィツキー&ボストン響によるハチャトゥリアンのピアノ協奏曲(1946年録音)を聴いてみました。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)に収蔵されている音盤での鑑賞になります。

カペル(1922-1953)は、31歳の時に飛行機事故で没したアメリカ人ピアニスト。この曲は、カペルの十八番だったようです。

奔放で剛毅な演奏となっています。鮮烈でもある。音楽が沸騰しているとも言いたくなる。もっと言えば、狂気のようなものすら感じられる。
とは言え、大袈裟に振る舞っているような素振りは微塵も感じられません。あくまでも作品の枠をはみ出ない中で、煽情的で活力のある音楽を作り上げている、といった感じ。しかも、演奏に当たっての姿勢は、頗る真摯なもの。
この作品は(そして、ハチャトゥリアンの多くの作品は)、ある種の「野性味」を帯びていると思うのですが、そのような性格を削ぐことなく、そのうえで「洗練味」を加えたような演奏になっている。そして、瑞々しい感性が満ち溢れている。息遣いが実に自然であり、かつ、豊かでもある。
更には、テクニックの切れが抜群。音の粒立ちが鮮やか。最終楽章などでは、実に煌びやかな響きをしています。しかも、それらのことが、これ見よがしに示されるようなことは皆無で、ひたすら音楽の内奥へと切り込んでゆくためだけに奉仕しているとしか思えないところが、実に尊いと言いたい。
そのようなカペルをサポートするクーセヴィツキーの指揮がまた、切れ味抜群。鮮烈でもある。それでいて、過度に機械的にならずに、適度な潤いが感じられもする。その辺りは、ボストン響の体質にも依るのかもしれません。

この作品ならではのエキゾティックな感興を十分に滲ませながら、逞しい生命力を湛えた音楽を奏で上げつつ、純音楽的な美しさを備えた演奏が展開されている。
いやはや、なんとも見事な、そして、魅力的な演奏であります。