ケルテスによるモーツァルトの交響曲を聴いて
ケルテス&ウィーン・フィルによる、モーツァルトの≪ハフナー≫、≪リンツ≫、交響曲第39番の3曲(1972,62年録音)を聴いてみました。
ケルテス(1929-1973)は、イスラエルのテル・アヴィヴの海岸で遊泳中に高波にさらわれ、43歳の若さでこの世を去ったハンガリー生まれの指揮者。
1961年にウィーン・フィルを指揮して録音したドヴォルザークの≪新世界より≫の音盤で世界じゅうの音楽愛好家の前に彗星のごとく現れ、そして、まさに青天の霹靂と言いたくなる形で他界してしまったケルテス。ケルテスによる演奏を愛してやまない私は、彼の命を奪うこととなったテル・アヴィヴの高波が恨めしくてなりません。
ケルテスによる演奏の特徴、それは、溌溂としていて、しなやかさがあって、清新で、瑞々しさを備えているところにあると、私は考えています。そのうえで、演奏全体から実直さが感じられる。そう、彼が奏で上げる音楽は、誠実で清廉潔白なものが多い。
しかも、音楽する「熱気」がヒシヒシと感じられる。聴いていて清々しい思いを抱かせてくれつつ、熱い血潮が滾ってもいる。息遣いが豊かで、かつ、頗る自然でもある。
これらは、類稀なる音楽センスを持っていたからこそと言えるのではないでしょうか。豊かな感受性の持ち主であったケルテス。
感じ取ったものを「現実の音」としてオーケストラから引き出すテクニックも、比類ないものがあったと思っています。日本フィルを指揮したベートーヴェンの交響曲第7番の映像が残っているのですが、そこで観ることのできるケルテスの棒さばきの、なんと的確で見事であること。日フィルとのベートーヴェンの映像は、なぜケルテスが上記のような演奏を実現することができたのかの「秘密」を明かしてくれる記録となっている。私は、そんなふうに考えています。
(日フィルとのベートーヴェンの映像は、YouTubeにアップされていますので、この投稿の末尾にリンク先を添付させて頂きます。)
前置きはこのくらいに致しまして、本日聴きましたケルテスによるモーツァルトの交響曲について。
いやはや、素敵な演奏であります。溌溂としていて、そのうえ、流麗で優美。弾力性に富んでいて、しなやかでもある。
そのようなケルテスの音楽づくりに対して、ウィーン・フィルが艶やかな美音を添えてくれていることによって、より一層、魅力的なものにしてくれている。
全編を通じて、実に美しい演奏となっています。それは、単に響きが美しいというだけではなく、音楽が示してくれている佇まいも含めて。
音楽を聴く歓びに満ち溢れていて、かつ、聴いていて幸福感に包まれてくる、素晴らしい演奏であります。
Beethoven Symphony No 7 A major István Kertész Japan Philarmonic – YouTube