森麻季さんとメストレのデュオ・リサイタル(西宮公演)を聴いて

今日は、兵庫県立芸術文化センターで、ソプラノ歌手の森麻季さんとハーピストのメストレのデュオ・リサイタルを聴いてきました。演目は、添付写真をご覧頂ければと思います。
なお、演目が一部変更になりましたが、変更点、ハープ・ソロによるグラナドスの作品が追加されたことと、プッチーニの≪つばめ≫から「ドレッタの夢」と≪蝶々夫人≫から「ある晴れた日に」が削られて、代わりに≪ラ・ボエーム≫から「ムゼッタのワルツ」が組み込まれたこと。それに伴い、曲順の入れ替わりも発生しています。

歌とハープとを取り合わせた、珍しい形態のリサイタル。きっと、天上の音楽と呼べそうな世界が現出するのではないだろうかと、期待を寄せていました。とりわけ、森さんの独唱は、昨年の10月に聴いたヘンデルの≪ジュリオ・チェーザレ≫の前半部分(クレオパトラが自らの身分を隠して、侍女のふりをしている箇所)での歌唱が、まさに「天上の歌」と呼びたくなるような典雅なものであっただけに、よけいに、そのような歌を聴くことができるのであろうと期待しながら、会場に向かったものでした。
なお、メストレは、フランス生まれの、現代を代表するハーピストの一人。プロフィールを見ますと、1998年にフランス人として初めてウィーン・フィルの一員となった、という経歴を持っているようです。

それでは、本日のリサイタルをどのように聴いたのかについて書いてゆくことに致しましょう。
リサイタルを聴く前は、「これから、ハープ伴奏によるソプラノ・リサイタルに触れるのだ」、という思いを抱いていました。しかしながら、聴き進むにすれ、そのような印象は大きく覆されていきました。チラシや、プログラム冊子に記載があるように、「デュオ・リサイタル」と呼ぶのに相応しい演奏会であった、という思いが込み上げてきた。いや、むしろ、ハープのためのリサイタルに森麻季さんがゲストで登場している、といった形に見えてきた。
その印象は、ハープのみによる演目が多く含まれていた(しかも、長めの作品が多かった)ことに依るところも大きかったのでしょうが、演奏面においても、そのように思わせるほどにメストレの存在がクローズアップされていたリサイタルでありました。自国のフランスの作曲家による作品が多く、メストレの体質や、音楽性に適した作品が多く選曲されていたことにも依っていたのでしょうか。
そのような概観を呈していたと言いたくなるリサイタルでありましたが、それぞれの演奏ぶりについて、もう少し詳しく触れていきましょう。
プログラム前半での森さんの歌いぶりは、清澄にして、可憐。とりわけ、高音域の響きが透き通るようなもので、伸びやか。とてもチャーミングな歌となっていました。
それでいて、第2曲目の越谷達之助作曲の≪初恋≫では、中音域で太さが感じられる発声をしていたりして、表現の幅を感じさせてくれた。
ただ、音を押すような癖が散見され、それが興醒めでもあった。この点を除けば、とても魅力的な歌でありました。
(ちなみに、4曲目のマスカーニの≪アヴェ・マリア≫とは、≪カヴァレリア・ルスティカーナ≫の間奏曲にアヴェ・マリアの歌詞を載せて歌われたものでありました。)
後半のほうが、森さんの美質が更に強調されそうな作品が並んでいると思われるだけに、その点を楽しみに、休憩時間を過ごしたものでした。
メストレによるハープは、実に雄弁なものでありました。森さんの歌をシッカリと支えていた。いや、シッカリと寄り添っていた。そして、感興豊かなものにしてくれていた。
ハープによる演奏に特徴的な、典雅な雰囲気を醸し出すだけでなく、時に優美であり、時に繊細であり、時に強靭な音楽を紡ぎ上げてくれていた。音楽づくりが率直であり、かつ、引き出しの数の豊富さが感じられる演奏ぶりでもあった。
全編を通じて、音楽センスが抜群であった。そんなふうに言いたくなる、メストレの演奏ぶりでありました。

引き続きまして、プログラム後半について。
森さんの歌への印象は、前半から大きく変わるものではありませんでした。清澄な声であり、歌いぶり。その中でも、最初のベルリーニの≪カプレーティとモンテッキ≫からのアリアでのレチタティーヴォ部では、中音域に肉付きを持たせながら、毅然とした歌いぶりを見せてくれていて、キリッとした佇まいをしていた。本日のプログラムとして予め組まれていた演目の中で、森さんの歌に対して、最も感銘を受けた箇所となりました。
それに対して、期待していた≪ジャンニ・スキッキ≫の「私のお父さん」は、清らかではあったのですが、思いっ切り伸縮させながら歌っていたが故に音楽の流れが崩れていて(その分、情感の豊かさが織り込まれていた)、ちょっと恣意的な歌になっていた。リサイタルならではの歌いぶりだと言えそうで、オペラの上演の中でのアリアとしてこのように歌ったならば、全体から「浮いてしまう」歌になってしまうだろう、と思わせる歌いぶり。個人的には、あまり好ましいものではありませんでした。
もっと率直に歌っても、十分に抒情的で可憐な音楽世界が出現するアリアであり、森さんのチャームに合った作品だろうと考えていただけに、余計に惜しく思われた次第。もっと伸びやかで、冴え渡った青空が広がるような「わたしのお父さん」を聴きたかった。
また、こちらも期待していた「ムゼッタのワルツ」は、ムゼッタらしい蓮っぽさの感じられる歌いぶりであり、その点には満足。絶叫系のムゼッタになるような素振りが全くしなかったのも、森さんが持っている技術の高さと、清潔感のある音楽性故なのでありましょう。しかしながら、あまり滑らかな歌になっていなかったのが残念。そして、このアリアならではの恍惚感にも不足していたように思われた。
更に言えば、オペラ本編では、ムゼッタがひとしきり歌い切った後、ロドルフォやマルチェッロらのボヘミアンが横槍を入れながら音楽は進んでいき、やがて、ムゼッタがマルチェッロへの想いを吐露しながらクライマックスを迎える、といった構造になっているのですが、ボヘミアンたちが入ってくる箇所以降は、当然だとは言えカットされていたために、尻切れトンボになってしまっていたという点にも、不満が残ってしまったものでした。ボヘミアンたちが入ってきて以降の箇所は、多少のカットを施しながらもハープの演奏で繋いで、ムゼッタによるクライマックスを歌って欲しかった。
一方のメストレのハープについては、こちらも前半と同様に感心させられました。≪モルダウ≫を除いては。
とりわけ、ドビュッシーの≪月の光≫が素晴らしかった。ハープは、アルペジオとグリッサンドが効果的だと言えましょう。アルペジオは、ハープと語源を一にしていますので、余計にその思いが強い。≪月の光≫では、中盤以降、アルペジオによる音楽に乗って旋律が奏で上げられるため、ハープで演奏するには打って付けだと思われた次第。しかも、この楽器ならではの幻想的な雰囲気もタップリと味わえた。繊細でもあった。メストレの、感受性豊かな演奏ぶりが最大限の成果を生んだ演奏であったと思えます。
ちなみに、これは本日のリサイタルの多くの箇所から感じられたことなのですが、歌とハープという組み合わせは、かなり魅力的だな、と感じられました。ハープによる演奏では、決して音楽が攻撃的になることはない。むしろ、歌を包み込んでくれる。がなり立てるような音楽にならずに、かなり繊細な表情を見せることになる。歌手の声質や、歌いぶりにも依りますでしょうが、森さんのようなリリコ・レジェーロには、頗る相性が良いように思えます。このような形態のリサイタル、もっと増えても良いのではないでしょうか。
さて、メストレによるハープについての続きになりますが、≪モルダウ≫には失望させられました。と言いましょうか、ハープには合っていないように思えて仕方がありませんでした。
なるほど、前半部分などは、アルペジオによる効果が発揮されていた。しかしながら、中盤の「農夫たちの結婚式」のシーンをどのように演奏するのだろうかと興味津々で待ち構えていると、その場面はバッサリとカットされていた。場面は「水の妖精たち」のシーンへと移ったが、なんともか細い音楽になっていた。更に言えば、終盤の、大河となって滔々と流れてゆく様は、スケールの大きさに欠けていた。何故、敢えて≪モルダウ≫を採り上げたのだろうか。その意図が掴み切れない演奏でありました。

アンコールは、シューベルトの≪アヴェ・マリア≫と、当初のプログラムに組み込まれていた≪蝶々夫人≫の「ある晴れた日に」の2曲。このうち、≪蝶々夫人≫が素晴らしかった。
森さんにとって、蝶々夫人という役はドラマティックに過ぎるでしょう。アンコールの際の森さんによる説明で語られていたのですが、オペラ公演では歌ったことはない役のようです。しかしながら、このアリアの後半部分での、ドラマティックな感興に不足は感じられなかった。森さんが、こんなにも豊麗な歌を歌うのだと、びっくりさせられたほど。実に立派な歌になっていました。
しかも、序盤から中盤にかけては、抒情的な美しさが備わっていた。儚くもあったのですが、ピンカートンの帰りを待つ毅然とした意志、といったものが感じられもした。
ベルリーニと共に、本日のリサイタルの中で深い感銘を受けた歌となりました。
森さん、≪蝶々夫人≫の本編を歌う日が訪れるかもしれません。そうすれば、きっと、素晴らしい蝶々さんになるのではないでしょうか。
ちなみに、このアリアのクライマックスの後、オーケストラが強奏で蝶々さんの歌を引き継ぐのですが、そこをバッサリとカットしていました。それ故に、ここでも「尻切れトンボ」感が満載となってしまった。なるほど、ハープでは、あのオーケストラの強奏を「再現」するのは不可能でしょう。しかしながら、あまりに中途半端すぎます。森さんの、蝶々さんへの適正を窺い知ることができたのは貴重だったものの、ハープとのデュオ・リサイタルには相応しくない選曲だったと言えそうです。