ヴェルディの命日に、トスカニーニ&NBC響によるヴェルディの≪レクイエム≫を聴いて

今日は、モーツァルトの誕生日であるとともに、ヴェルディの命日でもあります。この日は、極力、ヴェルディの≪レクイエム≫を聴くようにもしています。
ということで、今年は、トスカニーニ&NBC響による演奏(1951年録音)で聴いてみました。独唱陣は、ネルリ(S)、バルビエ―リ(MS)、ディ・ステファノ(T)、シエピ(Bs)。

雄渾にして、鮮烈で、輝かしい演奏となっています。
例えば、「怒りの日(Dies irae)」の冒頭部分などでは、まさに、荒れ狂うかのような演奏ぶりが示されていて、怒涛の勢いを見せています。頗る燃焼度が高い。しかも、エネルギーが拡散されていつつも、凝縮度の高さが感じられもする。それに続く「妙なるラッパ(Tuba mirum)」では、ラッパが高らかに響き渡っていて、燦然たる輝きを放っている。その演奏ぶりには、イタリア音楽の神髄を見る思いが湧き起こる。
それでいて、音楽は、決してお祭り騒ぎの様相を呈するようなことはない。むしろ、切実な音楽となっている。「哀れなる我(Quid sum miser)」をはじめとして、至る所からすすり泣きが聞こえてもくる。それでいて、その直後の「恐るべき大王よ(Rex tremendae)」では、頗るエネルギッシュな音楽が奏で上げられるなどして、起伏の激しさは凄まじいばかり。しかも、それらの一つ一つが、真実味を持って奏で上げられている。そして、生命力豊かに、かつ、克明に描き上げられていて、彫琢の深い音楽となっている。
上に例を引いたような演奏ぶりは、長大で、ひときわ起伏に富んでいる「怒りの日」以外の箇所にも、そのまま当てはまります。この演奏の至る所から、輝かしくて、逞しくて、しなやかで、抒情性に溢れていて、歌心に満ちた音楽が聞こえてくる。「神の子羊(Agnus Dei)」などでは、安らぎに満ち、慈愛に溢れた音楽が奏で上げられてもいる。
終曲の「われを救い給え(Libera me)」の後半部分、フーガによって進行する箇所では、明晰でありつつも、極めて燃焼度が高い演奏が繰り広げられています。そこでの演奏に接していると、荘厳なる大建造物を仰ぎ見るような感覚に襲われる。まさに、大きなクライマックスを築きながら、全曲は閉じられる。

そのようなトスカニーニの演奏ぶりに対して、独唱陣も、献身的な歌を展開してくれています。輝かしくありつつも、散漫な歌にはならずに、凝縮度が高くもある。
その中でも、とりわけ、男声陣の充実度が高い。輝かしさと流麗さの際立つディ・ステファノ。深々としていて、朗々とした歌を披露してくれているシエピ。この2人には、聴いていて惚れ惚れしてくる。

いやはや、なんとも偉大な演奏であります。