ジュリーニ&ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲第3番を聴いて
ジュリーニ&ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲第3番(1990年録音)を聴いてみました。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)に収蔵されている音盤での鑑賞になります。
第3楽章までの演奏ぶりと、最終楽章での演奏との間に、大きな隔たりがあるように思えます。この演奏では、第3楽章までは、あくまでも序章であるかのよう。
第3楽章までの演奏、それは、諦観のようなものが前面に押し出されたものであるように思われる。ここには、あからさまな運動性の誇示や、迸る情熱や、といったものは殆ど感じられません。聞こえてくるのは、内省的な音楽。
とは言いつつも、例えば第1楽章からも一定量の運動性は感じられます。音楽は必要十分にうねっている。しかしながら、それが爆発的に露わにされている、という訳ではない。
第2楽章では、淡々と進められてゆく中に、豊かな息遣いが感じられます。そして、終わり間近で音楽はムクムクと膨れ上がり、感興の盛り上がりが示される。
第2楽章と似たようなことが、第3楽章にも当てはまります。第3楽章では、概して抑制された演奏ぶりでありつつも、中間部で音楽はムクムクと膨れ上がる。
とは言いつつも、第3楽章までは、かなり理性的な演奏だと言えそう。
そして、最終楽章において、それまでに包み込まれていた感情が、一気に爆発させられる。それはまさに、赤裸々な音楽が流れ出していると言えそう。そして、音楽がうなりを上げている。
ここで聴くことのできるもの、それは激情の音楽。熱い血潮が燃え滾るような音楽となっています。切迫感に満ちてもいる。
このようなものを、「設計の妙」と言うのでしょう。ブラームスの音楽が持っている、憂い(第3楽章まで)と、情熱(第4楽章)とが、見事に描き出されています。
しかも、全編を通じて、なんとも美しい音楽となっている。それは、響きにおいても、音楽の佇まいにおいても。そして、ウィーン・フィルの体質が反映されていることにも依るのでしょう、しなやかな音楽が奏で上げられている。
ユニークな魅力を湛えていて、かつ、聴き応えも充分な、素敵な演奏。そんなふうに言いたくなる演奏であります。