バティアシュヴィリ&ネゼ=セガン&ヨーロッパ室内管によるプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1,2番を聴いて

バティアシュヴィリ&ネゼ=セガン&ヨーロッパ室内管によるプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1,2番(2015,17年録音)を聴いてみました。
NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリー)に収蔵されている音盤での鑑賞になります。

ここでのバティアシュヴィリの演奏は、なんとも清冽なもの。実に冴え冴えとした演奏となっています。そして、とても理知的。それでいて、情感も豊か。
基本的にはスリムな音楽づくりでありつつ、決して痩せぎすな音楽にはなっていません。そう、キリっとしていながらも、必要十分なふくよかさが感じられるのであります。そこへ持ってきて、「音楽する熱狂」が充分に備わっている。音楽を過剰に煽るようなことはしていないのですが、充分に狂おしい音楽が鳴り響いています。
それはもう、感受性の塊のような演奏だと言えましょう。なるほど、全体的にはクールな演奏ぶりだと言えそうですが、「青白い炎」のようなものが感じられもする。だからこそ、単に冷たくならずに、熱さも伝わってくる。
総じて、実に玲瓏な演奏となっていて、ピンと張りつめた緊迫感があり、集中力の高い演奏が繰り広げられている。そのうえで、力感に不足はなく、十分に情熱的でもある。そのような演奏ぶりがまた、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲の音楽世界にはピッタリだと言えましょう。こういった点にも、バティアシュヴィリの感受性の高さや、音楽性の豊かさが感じ取ることができます。
更には、テクニックの切れが抜群。その辺りの「快感」も充分に備えていながら、単にテクニックをひけらかすような演奏になっていないところがまた、実に好ましくもあります。そう、音楽することへの誠実さが、ここには宿っている。
テクニックの切れの良さと、音楽する熱狂との融合、そのことによって、ここでの演奏に凄みや深みが生まれてきているように思えます。彫りの深い演奏となってもいる。
そのうえ、音色が実に美しい。クリアで、澄み切った音だと言えましょう。クリスタルを思わせる、硬質で透明感のある響きがしている。全体を通じて粗さが全く感じられないのも、見事としか言いようがありません。
そのようなバティアシュヴィリをサポートしているネゼ=セガンも、キリッとした音楽づくりをベースにしながら、ときにクールに、ときにホットな演奏を展開してくれている。その反応ぶりは、誠に鋭敏なものだと言えましょう。そのようなバックアップがまた、バティアシュヴィリの素晴らしさを引き立ててくれている。

バティアシュヴィリの魅力がぎっしりと詰まっているプロコフィエフ演奏。
惚れ惚れするほどに見事な、そして、素敵な演奏であります。