オッコ・カム&兵庫芸術文化センター管(通称:PACオケ)と辻彩奈さんによる演奏会を聴いて

今日は、オッコ・カム&兵庫芸術文化センター管(通称:PACオケ)の演奏会を聴いてきました。定期演奏会ではなく、「名曲コンサート」と銘打たれた演奏会。
演目は、下記の3曲になります。
●シベリウス ≪クオレマ≫より「鶴のいる情景」
●シベリウス ヴァイオリン協奏曲(独奏:辻彩奈さん)
●ベートーヴェン 交響曲第6番≪田園≫

一番のお目当ては、辻彩奈さんをソリストに迎えてのシベリウスのヴァイオリン協奏曲でありました。
辻さんの実演は、一昨年の5月にブルッフの≪スコットランド幻想曲≫を聴いていますが、清々しさと濃密さとを併せ持った音楽づくりをベースにしながら、ロマンティックな演奏を繰り広げてくれていて、大いに惹かれたものでした。しかも、高音が艶やかであり、中低音はふくよかで楽器が豊かに鳴っていて、過度に華やかであると言ったようなものではなく、潤いがあって柔らかみを備えている美音を披露してくれていた。
そのような辻さんが、シベリウスを得意にしているカムと組んでシベリウスを弾いてくれる。きっと素晴らしいものになるであろうと、大きな期待を寄せていました。
そこに、シベリウスの小品と、ベートーヴェンの≪田園≫が組み合わされている。カムによるベートーヴェンがどのようになるのだろうかという点にも、興味を惹かれらものでした。

それでは、本日の演奏会をどのように聴いたのか、書いてゆくことに致しましょう。まずは前半のシベリウスの2曲について。
こちらでは、何と言いましても辻さんによるシベリウスの協奏曲が素晴らしかった。それは、期待以上の素晴らしさでありました。
(昨日の鈴木優人さん&日本センチュリー響の演奏会から、期待以上の演奏が続いています。なんという幸せでありましょう。)
そのヴァイオリン協奏曲について触れる前に、最初に演奏された「鶴のいる情景」から。
この作品は、弦五部に、クラリネット2本とティンパニのみが加わるという、小ぢんまりとした編成による5分ほどの小品。寒々とした光景(寂寥としているとも言えそう)の広がる音楽を、繊細に、かつ、情感豊かに描き上げてくれていたように思えます。音を溜めて、深い呼吸を籠めて音を鳴らすという奏で方が随所で採られていて、そのことによって、音楽に深みが与えられてもいた。
シベリウスと同じフィンランドに生まれたカムにとっては、愛奏曲の一つなのでありましょう。愛着の滲み出ていた演奏だったと思えました。
続くヴァイオリン協奏曲でありますが、辻さんによる音楽づくりは、先を急ぐようなことが全くない、堂に入ったものでありました。やや遅めのテンポを基調としながら、ジックリと音楽を語ってゆく。表情がエキセントリックになるようなことも、微塵もない。実に豊醇な音楽を鳴り響かせてくれていました。
その様は、冒頭からしてハッキリと窺うことができました。粘ることなく、清潔感をもって弾き始められていた。実に滑らかでもあった。なるほど、音楽はサラサラと流れてゆくのですが、薄味な感じが全くしない。キリっとしていつつ、骨太でもあった。生命力豊かでもあった。そのような音楽づくりが一貫されていて、揺らぐことが全くありませんでした。
大言壮語するようなことはないものの、雄弁な音楽が奏で上げられていました。そして、感興豊かであった。全編を通じて、そのような音楽が鳴り響いていた。
そのうえで、音が実に艶やかで美しい。それは、2年前に聴いた≪スコットランド幻想曲≫での印象そのまま。高音は凛としていて、かつ、伸びやか。中低音にはふくよかさが感じられた。そのうえで、過度に華やかになるようなことはない。音楽が浮足立つようなこともない。
しかも、技巧的にも申し分がない。そのことによる安定感は抜群でありました。この難曲が、全く難しそうに感じられなかった。
ヴァイオリン音楽を聴く歓びを堪能することのできた、惚れ惚れするほどに素晴らしいヴァイオリン演奏でありました。
そのような辻さんをバックアップするカムによる音楽づくりは、飾り気のないもの。
カムは、この協奏曲をこれまでに幾度となく演奏してきたはずであります。そのこともあって、作品のツボを押さえながら、確信に満ちた音楽が奏で上げられていたように思えます。適度なスケールの大きさが示されてもいた。そのうえで、作品の生命力を過不足なく引き出してくれてもいたように感じられた。
この協奏曲は、独奏から切り離されて、オーケストラのみで演奏される箇所がとても多い。それだけに、カムによる、的確にして充実感たっぷりな演奏ぶりは、かけがえのないものであったと言えましょう。

アンコールは、シベリウスの≪水滴≫という作品。独奏ヴァイオリンと、独奏チェロという2本の楽器によって演奏された音楽。しかも、ともにピチカートのみで弾かれた音楽。そして、演奏時間は1分かかったかどうかといった短さでありました。
聴いている間は、シベリウスによる作品だなどとは予想だにせず、ムード音楽か何かを、ヴァイオリンとチェロに編曲したものなのかな、などと想像していました。それは、実に愛らしい音楽でした。愛嬌のある音楽だったとも言えそう。
そのような、他愛のないとも言えそうな音楽を、辻さんは、ちょっとした動きに抑揚を付けてみたり、ちょっぴり煽ってみたりと、表情豊かに奏でていたのが印象的でした。そのようなところにも、音楽性の豊かさが垣間見えた、そんなアンコールでありました。

それでは、ここからはメインの≪田園≫について。こちらは、ちょっと期待外れ。やはり、そうは良いことは続かない、といったところでしょうか。
カムによる音楽づくりは、前半でのヴァイオリン協奏曲と同様に、飾り気のないもの。とは言え、ヴァイオリン協奏曲では、ツボを押さえながら、作品の生命力を過不足なく引き出してゆく演奏ぶりであったように感じられた。そこへゆくと、≪田園≫では、作品の外面をなぞってゆくような演奏ぶりであったように思えたのでした。
確かに、どこにも破綻は見られなかった。
(第3楽章の133小節目からのホルンのソロが、140小節目から5小節間にわたってタイで繋がっている音を2小節ほどはしょってしまって、大きくズレてしまったという大事故が発生しましたが、それは、カムの責任でない。それにしましても、149小節目からホルンとユニゾンで吹くオーボエは、よく小節数を数えていて、正しい箇所で入れたものです。そのお陰で、音楽は止まることはなかった。)
基本的には、暑苦しくならない、颯爽とした演奏ぶりでありました。キリっとしていて、清涼感を覚えた。そのような演奏ぶりは、≪田園≫に似つかわしいと言えましょう。
テンポは、モダン楽器による演奏として平均的であるか、やや遅め、といったところだったでしょうか。それでいて、必要以上に重くならずに、清々しさが押し出された演奏ぶりでありました。それは特に、第1楽章において顕著だった。しかも、第1楽章でのコーダに入ったところで、fからffにダイナミクスが変化する箇所(458小節目)では、その違いを明確にするなど、やるべきことをシッカリとやり尽くそうという気概が感じ取れもした。
しかしながら、さして、流暢な音楽ではなかったように感じられたのであります。颯爽とした雰囲気があって、清々しさが感じられたのですが、音楽の運びからあまり流麗さが感じられなかった。
基本的には、作品自身に魅力を語ってもらおう、といった類いの演奏だったと言えましょう。しかしながら、何と言いましょうか、感覚的な面での魅力に乏しい演奏だったように思えたのでした。特に、第3楽章でのホルンの大事故以降は、目の前で繰り広げられている演奏への「信頼感」のようなものが急激に持てなくなってしまったのも、そのことを助長してしまったように思える。
あまり使いたくない言葉なのですが、凡庸な演奏だった。そんなふうに思えた演奏でありました。
なお、本日の演奏には、ゲストプレーヤーは、コンマスとして東京交響楽団の小林壱成さんが招かれていたのみ。定期演奏会では、国内外の名門オケから多くの(概ね、5人ちょっと)ゲストが招かれて、団員はレクチャーを受けながら、本番での演奏の支援をしてもらってもいます。「名曲コンサート」では、その辺りの色合いが少し違うのですね。
そのことが、演奏の質を決定的に変えたとは言えないでしょう。(とは言え、全く無関係だとも言えないでしょう。そうでなければ、ゲストを招く意味が無くなります。)
本日の≪田園≫での演奏ぶりを考えるにつけ、ゲストプレーヤー招聘の多寡については、なんだか意味深長なものを感じてしまいます。