井上道義さん&大阪フィル&ダニエル・オッテンザマーによる演奏会を聴いて
昨日(5/10)は、井上道義さん&大阪フィルの演奏会を聴いてきました。既に日付は5/11になっていますが、「本日」という言葉は5/10であると置き換えて読んで頂きますようお願い致します。
【本文】
本日は、井上道義さん&大阪フィルの演奏会を聴いてきました。演目は、下記の4曲。
●ガーシュイン ≪パリのアメリカ人≫
●コープランド クラリネット協奏曲(独奏:ダニエル・オッテンザマー)
●大栗裕 ≪大阪俗謡による幻想曲≫
●伊福部昭 ≪日本組曲≫より「盆踊り」「演伶(ながし)」「佞武多(ねぶた)」の3曲
一番のお目当ては、ダニエル・オッテンザマーでありました。
オッテンザマー家は、クラリネットのサラブレットのような家系。本日出演のダニエルは、ウィーン・フィルの首席クラリネット奏者、弟のアンドレアスはベルリン・フィルの首席クラリネット奏者を務めています。そして、彼らの父親であるエルンストは、ウィーン・フィルの首席クラリネット奏者を務めていた(エルンストは、2017年に62歳になる手前で亡くなっています)。
弟のアンドレアスは、2017年のゴールデンウィークにベルリンを訪れた際、マリス・ヤンソンス&ベルリン・フィルの演奏会で採り上げられたウェーバーの第1番のクラリネット協奏曲を聴いているのですが、その演奏の見事なことに唖然としたものでした。クラリネットという楽器ならではの「音の均質性」は十二分で、音色や音楽づくりは繊細にして優雅で軽やか、ニュアンスの幅は驚くほどに広く、更に、テクニックは冴えに冴えていて、およそこの人のクラリネットには不可能なことなど無いのではなかろうかと思えたほどでありました。アンドレアスは、コープランドの協奏曲のCDも出していまして、そこでも、実に闊達な演奏を聞かせてくれていた。
実を言いますと、本日を迎えるまでは、コープランドは、アンドレアスのほうがお似合いなのだろうなと考えていました。正直に胸の内を白状すれば、ダニエルではなくアンドレアスが登場してくれれば良かったのに、とも考えていました。と言いつつも、オッテンザマー兄弟の兄のほうが、どのようなコープランドを聞かせてくれるのであろうかとの興味を抱きながら会場へと向かったのでありました。
更には、邦人作品の2曲も楽しみにしながらの、本日の演奏会。表現意欲の旺盛な井上さんのことですので、この2曲では、きっとノリノリで力感に溢れた演奏を展開してくれるのであろう、と期待していたのであります。
さて、そのような演奏会でありましたが、白眉は何と言いましても、ダニエル・オッテンザマーによるコープランドでありました。オッテンザマーが、超絶的に素晴らしかったのです。
ダニエルはウィーン・フィルの首席、アンドレアスはベルリン・フィルの首席ということで、ダニエルはきっと、アンドレアスよりも小回りが効かず、おっとりとした演奏ぶりになるのではないだろうかと考えていました。それはあくまでも、ウィーン・フィルとベルリン・フィルというオーケストラの体質のようなものを基準にしての予測であったのですが。であるからこそ、コープランドの協奏曲は、アンドレアスにお似合いで、ダニエルには合わないのかもしれないと想像していたのです。しかしながら、そんなことは全くなかった。そして、アンドレアスの実演を聴いた時にも感じたことと同じく、ダニエルのクラリネットにも、およそ不可能なことなど無いのではなかろうかと思わずにはおれませんでした。
何が素晴らしかったって、低音から高音まで、更には、どの音域においての弱音にしても強音にしても、音にムラが全くなかったこと。音が、惚れ惚れするほどに滑らかに連なっていたのです。或いは、曲想に応じて、誠に歯切れよく音が紡ぎ上げられてゆくのです。その自在感に唖然としたのでありました。
高音での強音など、その音量は耳をつんざくように凄まじい。かなりの高音部分(記譜で言えば、五線譜の上に突き出した「ド」の音よりも上の音域で、アルティッシモ音域と呼ばれている)での強音など、この音域固有の鋭くて甲高い音がしていたのですが、それでも、全く絶叫にならずに柔らかさを残していた。そして、弱音は、聞こえるか聞こえないかの境目にあるような、消え入るように微かな音であったのですが、ホールいっぱいに鳴り響いていた。アルティッシモ音域での弱音も、見事なまでにコントロールされていて、品格のある柔らかい音がしていた。
しかも、強音であっても弱音であっても、音が消えて次の音が吹かれるまでに「間」がある箇所では、ホールの残響によって、音が美しく空中に漂っている(このことは、カデンツァの部分で顕著でありました)。それはもう、聴いていて恍惚としてくるほどの美しさでありました。
そのような音たちを駆使しながら、強靭でありつつも柔らかくて品格があって、輝かしくありつつも夢の中を彷徨うように幻想的であったりもして、といったように、変幻自在な音楽世界が広がってゆくのであります。そして、それらが、グラデーションを織り成すかのように移り変わったり、突如として世界が切り替わったりする。そんなこんなによって、光彩陸離たる美しさと、目の眩むような輝きを持っている音楽となっていたのでありました。
そのうえで、この協奏曲は、技術的にかなり難易度の高い作品であると言えましょうが、指がもつれるようなところはこれっぽっちも無く、全てが滑らかに、そして、冴え冴えとして流れていた。そう、技巧面でも、全くもって万全なものだったのであります。
しかも、ジャジーな曲想の箇所では、音楽が心地よくスイングしている。と言いますか、スイングしている云々と言うよりも、作品が望んでいる通りに、自然に、生き生きと、かつ滑らかに流れていた。
いったい、これ以上、何を望むことができましょうか。
繰り返しになりますが、超絶的に素晴らしいクラリネットでありました。
オッテンザマーによるコープランドを聴くことができただけでも、本日、会場に足を運んだ価値は十分にあったと考えるのですが、後半の邦人作品もまた、素晴らしい演奏でありました。
この2曲は、誠に土俗的で、日本色豊かな作品であります。西洋の作曲家が書いた作品とは全く異なる、我が国の聴き手の「日本人の血」に訴えかける音楽であると言えましょう。本日の演奏は、まさにそのような演奏になっていました。それは、井上さんの指揮ぶりがどうだった、というところを度外視したところで成り立っていたようにも思えました。大フィルの団員の「日本人の血」が、後半の2曲の演奏を作り上げていた。そんなふうに思えてならなかったのでした。と言いつつも、大フィルを「その気にさせた」のは、井上さんの功績だと言えるのでしょう。
井上さんの指揮ぶりについては、色々と言いたいことがあるのですが、ここでは触れないことにします。そのような中でも、特に印象的だったのが、≪日本組曲≫の1曲目の「盆踊り」が、とてもエキゾチックで官能的に鳴り響いていたこと。まるで、イベールの≪寄港地≫の「チュニス」を聴いているかのような感覚に囚われた。これには、驚きました。
最後に≪パリのアメリカ人≫について少々。
今一つ、ノリの良くない演奏だったと思えます。オケの鳴りも、あまり良くなかった。これは、大フィルがどうだったというよりも、井上さんの音楽の持って行き方に起因していたように思えます。何と言いましょうか、音楽に奔放さが無かった。音楽が停滞しているように感じる箇所も多かった。もっとスイングさせれば良いのにと思わせたり(故意にスイングさせなかったのだろうと見受けたのではありましたが)もしました。
ところで、ちょうど真ん中あたり、テンポがスローになった箇所で吹かれるトランペットによる哀愁漂うソロで、ベルの先にカウボーイハットをぶら下げていましたが(と言いましても、ミュートを付けたよう効果が音に現れていた訳ではありません)、これは、楽譜に指示があるのでしょうか?