ピリス&アバド&ヨーロッパ室内管によるピアノ協奏曲第17番を聴いて

ピリス&アバド&ヨーロッパ室内管によるピアノ協奏曲第17番(1993年録音)を聴いてみました。

自然体が貫かれている演奏となっています。
ピリスによるピアノは、整然としていて、かつ、凛とした佇まいが示されている。どちらかと言えば、静的であり、内省的であると言えましょう。そう、音楽を大きく揺らしたり、感情の起伏を大きく採ったり、といったことは為されていないのであります。そのことによって、音楽に美しい佇まいが与えられることとなる。
これと言った特徴が示されているとは言えなさそうなピリスによるピアノ。しかしながら、隅々にまで神経が行きわたっているピアノ演奏が展開されています。
基本的にはインテンポが保たれていながら、フレーズの中には微妙なアゴーギクが施されている。それは、作品の呼吸に合致した、自然な揺らめき。
更には、時に声を潜ませたり、時には声音を強めて毅然とした表情を見せてくれたり、或る時にはリズミカルに音楽を弾ませたりと、これまた曲想に応じながらの自然な表情が与えられている。
しかも、音の粒がクッキリとしていて、かつ、響きは珠のような美しさを湛えている。
そのうえで、10番台のピアノ協奏曲に相応しい、可憐でチャーミングな音楽が紡ぎ上げられている。

そのようなピリスに対して、アバドがまた、繊細にしてしなやかで、溌溂とした音楽を奏で上げながら、ピリスによるピアノをしっかりと支えてくれている。
曲想に応じては、ピリスが静的であることを補うかのように、躍動感に満ちた音楽を掻き鳴らしてくれてもいる。最終楽章において、とりわけ終結部において、そのことは顕著であると言えましょう。
ここでのアバドは、独奏者に寄り添いつつも、補完的な役割を果たしてもいて、協奏曲における演奏での理想的なバックアックぶりを見せてくれていると言えそう。

モーツァルトの10番台のピアノ協奏曲の魅力を存分に味わうことのできる、実に素敵な演奏であります。