マルケヴィチ&ベルリン・フィルによる≪展覧会の絵≫を聴いて

マルケヴィチ&ベルリン・フィルによるムソルグスキーの≪展覧会の絵≫(1953年録音)を聴いてみました。

マルケヴィチによる演奏の特徴、それは、明晰で鮮烈な音楽づくりにあるように思えます。とても知的で、理性的でもある。更に言えば、切れ味の鋭い筆致によって、エッジの立った音楽を鳴り響かせてゆく。輪郭線は克明で、曖昧な音楽表現を施すようなことは殆ど無く、シャープなスタイルをしたものとなっている。直球勝負で挑んでくる指揮者であるとも言えそう。
そのうえで、切れば血が吹き出そうなほどの「生身の音楽」と言えるようなヴィヴィッドな演奏が繰り広げられることが多い。そこでは、逞しいまでの生命力を宿している音楽世界が描かれてゆく。クールなようで、燃え滾るような熱さを持っている。
そのような特徴が、そのまま、マルケヴィチの演奏を非常に魅力的なものとしている。そして、説得力の大きなものにしている。少なとも私にとっては、マルケヴィチとは、そのような指揮者であります。

さて、ここでの≪展覧会の絵≫でありますが、上で触れましたマルケヴィチの特徴のうち、逞しいまでの生命力を内蔵している、という部分が如実に現れている演奏であると言いたい。
そう、ここでは、とても骨太な演奏が繰り広げられているのであります。その分、シャープさは減退していると言えそう。ふくよかさや、肉付きの豊かさが感じられる。
それでいて、やはり、マルケヴィチらしい、精密で切れ味のある演奏ぶりとなっています。克明で、鮮烈な音楽づくりがなされてもいる。そのうえで、豊饒な音楽世界が広がっているのであります。
なるほど、この辺りの印象は、ベルリン・フィルの合奏能力の高さや、重厚な響きやといった、このオーケストラの体質が影響している結果なのかもしれません。その一方で、マルケヴィチの音楽表現の一つの志向を示したものだとも思える。そう、マルケヴィチの多くの演奏からは、豊饒なものが感じられる訳でありますので。その豊饒さが最大限に現れた結果が、この演奏に示されているのだ、と言えるように思うのであります。

マルケヴィチの演奏の奥深さを垣間見ることのできる、興味深い演奏。そんなふうに言えるのではないでしょうか。

【追記】
似たようなことが、このCDにカップリングされているベルリオーズの≪幻想≫にも当てはまります。と言いますか、≪展覧会の絵≫に増して、シャープさが減退していてマイルドな演奏となっている。生命力の逞しさも、随分と後退している。それでいて、マルケヴィチならではの明晰さや切れの良さが感じられる演奏となっている。
この≪幻想≫、マルケヴィチが遺した音盤の中でも、かなり特異な位置を占める存在だと言えるのではないでしょうか。