鈴木秀実さん&神戸市室内管による演奏会を聴いて

今日は、鈴木秀実さん&神戸市室内管の演奏会を聴いてきました。これが、同楽団にとって2023-24年シーズンの初の演奏会。
演目は、下記の3曲でありました。
●ディーリアス 小管弦楽のための2つの小品
            ≪春初めてのカッコウの声を聞いて≫≪川面の夏の夜≫
●グリーグ ピアノ協奏曲(独奏:久元祐子さん)
●ベートーヴェン ≪田園≫

グリーグのピアノ協奏曲では、ベーゼンドルファーが使用されました。
ディーリアスに、グリーグに、ベートーヴェン。なかなかお洒落なプログラムであります。プログラム冊子に掲載されている鈴木秀実さんの「ごあいさつ」には、「皆様のイマジネーションの中に春・自然の風景がきっと拡がってくれると思われる曲を並べました」とあります。
ベーゼンドルファーによるグリーグというところも含めて、どのような演奏に出会うことができるのだろうかと、ワクワクしながら会場へ向かいました。

神戸文化ホールの花壇にも、ツツジが咲き誇っていました

それでは、まずは前半の2曲から触れていきたいと思います。
ディーリアスでの演奏は、とりたてて清涼感が立ち上ってくるようなものではなく、朧気な音楽がとりとめもなく続いて、まどろっこしさが付き纏っていました。音楽が、立体的に浮かび上がるようなこともなかった。なるほど、ここでのディーリアスの作品は、そのような性格を伴ったものであると言えるのでしょうが、全体的に漫然とした演奏ぶりで、聴き手を惹き込む力に乏しい演奏だったように思えた。
一方のグリーグでは、激しさを伴っていた。久元さんによる演奏からは、ベーゼンドルファーの響き柔らかさを聞き取ることができたものの、打鍵は強靭で、音楽に逞しさが漲っていました。ベーゼンドルファーを使っての演奏というと、なんだか小ぶりなものになるようなイメージを抱いてしまいますが、グランドマナーなスタイルを貫いたグリーグが繰り広げられていました。そのうえで、響きの優美さにも惹かれていった。と言いつつも、ある種、硬質であり、凛とした音楽づくりであったとも言えそう。
鈴木さんによる音楽づくりも、硬質なもの。プレトークで鈴木さんが触れておられましたが、ここでは敢えてバロックティンパニを使用することにしたとのこと。そのバロックティンパニの乾いた音が、硬質な肌合いを強調してくれてもいました。そして、最後の部分のアンダンテ・マエストーソの箇所では(第3楽章の422小節目以降)、テンポをググっと落として音楽をタップリと奏で上げ、誠に雄大な音楽世界を描き上げていた。このような演奏を聴くと、鈴木さんはロマンティシズムに溢れた音楽家なのだということに気付かされます。
グリーグでの鈴木さんの演奏ぶりによって、メインの≪田園≫が、いよいよ楽しみになった次第。

続きましては、後半の≪田園≫について。それは、グリーグが終わった時点で抱いていた期待を上回る≪田園≫でありました。
本日の演奏会、3曲全てで対向配置が採られていたのですが、≪田園≫は、ヴァイオリンの1stと2ndが独立している箇所が多かったり、掛け合いをする場面が多かったりするために、対向配置の妙が最も顕著に現れていたと思います。音楽が立体的に聞こえてきた。また、1stと2ndがどのようなことをしているのかがハッキリと理解でき、興味深かった。
また、前半のディーリアスとグリーグでは弦楽器はヴィブラートを掛けていたのですが、≪田園≫ではノンヴィブラート。そのために、スリムで、清々しい響きがしていました。その清新なサウンドは、いかにも鈴木秀美さんらしい、と思えたものであります。と言いつつも、強音部では厚みのある音を響かせてくれてもいた。
第1楽章は、やや速めのテンポで颯爽と奏で上げてゆく。それは、田園に到着した清々しさが、明確に表されていた演奏ぶり。プレトークで、鈴木さんは、この曲は単に風景描写だけが施されている訳ではなく、感情描写も織り込まれている、とベートーヴェン自身は主張していたと紹介されていましたが、ここでの演奏は、まさにその言葉を体現していたものだと言えましょう。
しかも、単に颯爽としているだけでなく、フレーズごとにタメを作ったり、小節の頭の強拍を強調したりと、彫琢の深い音楽を描き上げようという意志が強く感じられる演奏となっていた。
第2楽章は、一転して遅めのテンポが採られ、音楽がサラサラと流れすぎないように、丹念に奏でられていた。旋律以外の楽器による動きは、粘着性があったとも思える。そのために、少しおどろおどろしい音楽になっていた。そのような中で、旋律は音量が抑えられていた。弦楽器がミュートを付けている(私が所有している全音のスコアには”Con Sordino”の表記はないのですが)ということが、かなり強く意識させられる演奏だったとも言えそう。そのようなこともあり、頗る繊細な表情をした第2楽章だった。
なお、最後の箇所での鳥の囀ずりでは、フルートがためらいがちに吹き始め、かつ、故意に規則正しく吹かずに凹凸を付けていて、如何にも鳥が気まぐれに囀ずっている(気まぐれに、という表現が適切か悩ましいのですが)といった風情が表されていて、印象的でした。この辺りには、自然界の鳥の囀りに少しでも近い形の音楽にしようという、鈴木さんの拘りが感じ取れます。
ちなみに、プレトークで鈴木さんは、「フルートにはナイチンゲール、オーボエにはウズラ、クラリネットにはカッコウと、なんの鳥を模倣しているのか明記されているが、その後を受けて吹かれるファゴットには、なんの鳥の名前も書かれていない。このファゴットの音型にも、なにがしかの鳥の名前を授けたい。」と言われていました。その辺りに注意を払って聴くと、132小節目から133小節目にかけて吹かれる2音は、フクロウかミミズクを想起させられました。
第3楽章は、農民による陽気で朗らかな輪舞が、生き生きと描き出されていました。なお、この楽章でも、そして、第1楽章でも、オーボエのソロが見事でありました。もっと言えば、第1楽章でのソロでの音の立ち上がりの鮮やかさやクッキリとした粒立ち、艶やかな音色と、聴いていてウットリしてきた。終演後、鈴木さんはまずはオーボエ奏者を立たせていたことも、納得です。また、第3楽章でのオーボエのソロの後ろでファゴットが伴奏をする(例えば、95小節目以降)のですが、ここは2番ファゴットなのですね(これは、ベーレンライター版などといった版の問題に依るのかなとも想像したのですが、私が所有している全音のスコアにも2番ファゴットと書かれていました)。2番ファゴット奏者が、ハッキリと主張するべく吹いていたため、お休みしている1番ファゴット奏者が、「お~、やってる、やってる」とばかりに嬉しそうに微笑んでいたのが、印象的でした。パート内で喜びを分かち合うこと、尊いですよね。
第4楽章の嵐もまた、クッキリとした隈取りのなされた演奏で見事。ここでは、バロックティンパニの乾いた響きが威力絶大でした。
そのような中で、最終楽章のみに、やや不満が残った。音楽が細切れになっていたように思えたのです。この楽章は、壮麗な音楽が、果てしなく続く地平線のごとく鳴り響いて欲しいのですが、そのような空気感に乏しかった。≪田園≫の最終楽章では、似たような思いを、多くの古楽器系の指揮者による演奏で抱いてしまいます。今日の演奏では、ホルン、トロンボーン、ティンパニが古楽器を使用していて(トランペットもだろうか)、弦楽器はモダン楽器を使っていました。そのために、楽器の性能が原因で音の保持が難しい、ということはないはずです。古楽器系の演奏家の、音楽に対するイディオムが、このような傾向へと導いているのかもしれません。
最後に、fとffのコントラストについて。この点は、ベートーヴェンを聴く際に、かなり拘っているポイントでもありますので。
第1楽章の提示部(93小節目と100小節目との対比)では、fの時点で既にかなり大きな音量にしていたため、ffへの切り替えが殆ど感じられませんでした。しかし、第1楽章の終結部(ずっとfで演奏されていたところ、458小節目で突如ffに切り替わる)では、fとffの違いが明瞭に表現されていました。
最終楽章で現れる箇所(fからクレッシェンドされていき、133小節目でffに到達する)では、ffで音量が増したというよりも、音の圧力が大きくなった、といった形で描き出されていて、こちらにも納得がいきました。

縷々書いてきましたが、鈴木さんでなければ為し得なかったであろう個性的な表現が散りばめられていて、かつ、聴き手を惹き付ける力の強い≪田園≫だったと思います。大いに楽しませてくれた、魅力的な演奏でありました。